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Channel: 吉岡正晴のソウル・サーチン
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● フランキー・ナックルズ59歳で死去~ハウス・ミュージックの生みの親

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● フランキー・ナックルズ59歳で死去~ハウス・ミュージックの生みの親

【Frankie Knuckles Dies At 59】

訃報。

「ハウス・ミュージック」の生みの親として世界的に知られるDJフランキー・ナックルズが2014年3月31日、シカゴで死去した。59歳。2000年代半ばから糖尿病二型を患っていた。

評伝。

フランキー・ナックルズは、1955年1月18日ニューヨーク生まれ。フランシス・ニコールズ。当初、ニューヨークでディスコDJをしてきたが、1970年代中期にシカゴに移り、1977年、同地にできたディスコ「ウェアハウス」のレギュラーとなる。ここでニューヨーク時代の盟友ラリー・レヴァンがかけていたタイプのディスコ・ミュージックをプレイするようになり、シカゴで人気DJとなった。

その後、自分がディスコでかけるときに、ドラム・マシンを使ったり、独自のリミックスを作ったり、音楽制作の道へ入る。とくに当時はまだ新しかったドラム・マシンを使った作品を生み出し、注目されるようになった。

フランキーがいた「ウェアハウス」でかけていたディスコ曲は、1970年代初期から中期にニューヨークのディスコでかかっていたものとほぼ同じで、ただDJラリー・レヴァンのプレイリストなどに影響を受けていた。当初はフランキーが「ウェアハウス」でかけていたサウンドを略して「ハウス」といい始めるようになった。したがって当初は、たとえば、ニューヨークのディスコでかかっていたフィリー・ソウルやソウルのダンサブルな曲などが「ハウス」と呼ばれていた。

その後、フランキーが作るサウンドがかなり個性的なものになり、まさに「ハウス・ミュージック」がひとつのジャンルとして確立。フランキーは「ハウスの生みの親」的存在として評価されるようになる。

1980年代後半以降は、リミックス、ミックス、音源制作、ディスコDJ、クラブDJと活躍の幅を広げ、その名は世界的なものとなった。

リミキサーとして、マイケル・ジャクソン、ルーサー・ヴァンドロス、ダイアナ・ロスら超大物から指名がかかるようにまでなる。

1991年、自身、アーティストとしてヴァージン・レコードと契約、アディーヴァをフィーチャーした「トゥ・メニー・フィッシュ」(1995年)などが大ヒットした。ほかにも、日本の富家哲(とみいえ・さとし)と作品を作ったりしていた。

1997年にはグラミー賞で「リミキサー・オブ・ジ・イヤー」賞を受賞。

来日経験もあり、日本でもクラブDJ界に大きな影響を与えている。

2000年代中頃から糖尿病の二型に感染しており、2014年3月31日、合併症を併発し死去した。59歳だった。

Frankie Knuckles - Your Love

http://youtu.be/LOLE1YE_oFQ



http://www.youtube.com/watch?v=oTbuYH84bfg&list=AL94UKMTqg-9AClMnP0JRCYG5OVLKkuYo9&feature=share



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OBITUARY>Knuckles, Frankie (January 18, 1955 - March 31, 2014, 59 year old)

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