●速報 ケイシー・ケイスン82歳で死去
【Legendary DJCasey Kasem Dies At 82】
訃報。
「アメリカン・トップ40」のDJケイシー・ケイスン Casey Kasemが 2014年6月15日、ワシントン州の病院で死去。82歳。
ニュース記事
http://goo.gl/mlVH1S
http://goo.gl/Ot4Pdm
http://link.billboard.com/view/51927303191b2a646dc892001mrwv.11bz/408776fc
ケイシー・ケイスンを巡っては、妻と義理の娘(ケイシーの前妻との娘)の間で法的争いがあった。ケイシーはアメリカでもっとも有名なラジオDJの一人。カウントダウン形式の毎週のプログラムを全米で放送するようになり、これが世界各国でも放送され、世界的に有名になった。「アメリカン・トップ40」は日本でも1972年10月から放送。日本版DJは湯川れい子さん @yukawareiko
番組の最後の言葉 Keep your feet on the ground and keep reaching for the stars も有名。
評伝。
ケイシー・ケイスンは、1932年(昭和7年)4月27日ミシガン州デトロイト生まれ。両親はレバノンからの移民。ウェイン・ステイト大学を卒業後、1950年代中期からミシガン州フリントのラジオ局で仕事をするようになる。その後、サンフランシスコ、オークランドなど全米のラジオでDJとして活躍した。1970年7月4日から、毎週アメリカのヒットチャート(ビルボード誌)の上位40曲をカウントダウン形式で放送する「アメリカン・トップ40」を考案、全米にシンジケート形式で放送を始め、これが大ヒット。アメリカ軍の放送局などを通じ世界でも聞かれるようになり、世界でもっとも知られるラジオDJとなった。この「アメリカン・トップ40」は、日本でも1972年10月から当時のラジオ関東で放送が始まり、日本へ多くの洋楽ヒットを紹介することになった。日本語版DJは湯川れい子さん。
アメリカ版の第一回放送のナンバー・ワンは、スリー・ドッグ・ナイトの「ママ・トールド・ミー・ノット・トゥ・カム」、日本版第一回(1972年10月14日放送)のナンバー・ワンはマイケル・ジャクソンの「ベン」だった。ラジオ関東では、1986年9月27日まで放送された。
この「アメリカン・トップ40」は大変な人気となり、一時期テレビ版もでき、ケイスンはそのホストともなった。2004年1月、ケイスンは「アメリカン・トップ40」のDJをライアン・シークレストに譲ったが、しばらくのちにまた、カウントダウン形式の番組を始めた。
またその声を生かし、アニメなどの映画の声、また映画出演も果たした。
ケイスンは1972年から1979年まで続いた最初の結婚(リンダ・マイヤーズ)との間で3人の子供、マイク、ジュリー、ケリーをもうけた。その後1980年、ジーン・ケイスンと結婚。2013年、ケイシー・ケイスンは、パーキンソン病にかかっていることが明らかにされ、認知症が確認された。そのため、話をすること、判断をすることが難しくなったとされる。そして、ジーンと3人の子供間でケイシーを巡って法的争いが起こっていた。
2014年6月15日、父の日に友人、家族らに看取られて、ケイシー・ケイスンは死去したという。
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声。
「全米トップ40」は本当に毎週聞いていた。毎週土曜日、午後FENで聞いて、それから夜10時からのラジオ関東で湯川さんの日本語解説で再度聞く。これが、1970年代初期の洋楽にはまった人たちの定番だった。
ケイシーの声はとてもよく、英語の発音がはっきりしていたので、聞き取りやすかった。とても英語の勉強になったと思う。
ケイシーのちょっとした曲のエピソードの紹介や、のちにヒット・コーナーとなる「ロング・ディスタント・デディケーション」など実にいいコーナーだった。これで、坂本九の「スキヤキ」が流れたことは有名な話。これは1985年8月12日日航機事故で急死した坂本九さんを追悼して日本のリスナーからの手紙でかかったもの。1985年9月21日付けの「AT40」で流れた。
彼の声が世界中でもっとも知られたアメリカのDJというのも、この「アメリカン・トップ40」のおかげ。
ご冥福をお祈りいたします。
1986年2月15日オンエア。同録
http://youtu.be/sMEZxhmOf2g
OBITUARY>Kasem, Casey (April 27, 1932 – Jue 15, 2014, 82 year old)
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●速報 ケイシー・ケイスン82歳で死去
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