●ジェームス・ジェマーソン・ジュニア、58歳で死去
【James Jamerson Jr. Dies At 58】
訃報。
モータウン・レコードで伝説のベース奏者として知られたジェームス・ジェマーソン(・シニア)の息子、ジェームス・ジェマーソン・ジュニアが、2016年3月23日死去した。58歳。いくつかの疾患があり、体調を崩していたという。デトロイトで死去したか、ロスアンジェルスで死去したかは不明。
http://www.soultracks.com/story-james-jamerson-jr-dies
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評伝。
今回死去したジェームス・ジェマーソン・ジュニアは、1960年代から1970年代にかけてモータウンを中心に活躍した伝説のベース奏者、ジェームス・ジェマーソン(・シニア)の息子。1957年8月24日、デトロイト生まれ。仲間からは、「ジャモ(Jamo)」と呼ばれ親しまれていた。
ジェームス・ジェマーソンの父、ジェームス・ジェマーソン・シニアは1936年1月29日サウス・キャロライナ生まれ。1954年にデトロイトに家族で移住し、以後、デトロイト在住。デトロイトで1959年にスタートするベリー・ゴーディー・ジュニアのモータウン・レコードのセッションで大活躍するようになり、モータウン所属のテンプテーションズ、フォー・トップス、マーヴィン・ゲイ、グラディス・ナイトら多数のレコーディングにその名を残した。まさにモータウン・サウンドの屋台骨として多くの傑作を生み出した人物だ。
しかし、1972年、モータウンがその本社をロスアンジェルスに移し、徐々にモータウンでの仕事が減り、1973年までに彼も結局ロスに移住することになる。ところが、元々アルコール依存症だったために、セッションをキャンセルことも多発。なかなかお呼びがかからなくなり、その後、体調をくずし1983年8月2日、47歳という若さで死去。同年3月にロス郊外パサディナ・シヴィック・オーディトリウムで行われた『モータウン25周年記念イヴェント』にはひっそりとチケットを買って見にきていた、という。それから半年も経たずに亡くなったわけだ。父親については、ドキュメンタリー映画『永遠のモータウン』(2002年)で触れられる。
一方その息子ジェームス・ジェマーソン・ジュニアは、名前が同じで、しかも扱う楽器がベースで同じということで、初期は大変混乱した。
そこでここでは、ジュニアとシニアで区別する。
ジュニアが初めてモータウンのセッションに参加したのは、1970年9月にリリースされるミラクルズのアルバム『ポケット・フル・オブ・ミラクルズ』収録の「フラワー・ガール」という曲で、インタヴューでは当時14歳くらいだった答えているが、実際は12歳か13歳ということになる。そのときは、父親シニアについてスタジオに遊びに行っていたが、シニアが帰ってしまったあともジュニアはスタジオでぶらぶらしていた。
すると、そこに制作途中の「フラワー・ガール」の音が流れていた。レコーディングを仕切っていたキーボードのアール・ヴァン・ダイク(1930年7月8日~1992年9月18日、62歳で死去)とミラクルズのロバート・ホワイト(1939年4月5日~1995年8月26日、56歳で死去)が遊び半分で「ベース弾いてみるか」と声をかけてきた。ジュニアは、この曲はやさしそうだと思ったので、やってみることにした。こうして、ジュニアはレコーディング・デビューを飾ることになった。1970年中頃のことだ。
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引っ越し。
その後、ロスに引っ越してきたジェマーソン一家。モータウン周辺に出入りするようになっていたジュニアはテンプテーションズのツアー・バンドのメンバーに抜擢される。そして、徐々にスタジオでデモ・テープを作ったりする仕事が増えるようになった。ツアー仕事は1975年から1977年くらいまで続いたが、1977年頃からはスタジオの仕事に軸足を置くようになった。彼はマーヴィン・ゲイからタタ・ヴェガまでさまざまなモータウン・アーティストだけでなく、多くのシンガーのレコーディングに参加するようになる。
どのタイミングがわからないが、一時期、ボストンのバークリー音楽学校に通っていたこともあるという。
こうしてロスのスタジオ仕事を多数こなすようになったジェームス・ジェマーソン・ジュニアはスタジオ・シーンで徐々に名前を挙げていくのと同時に、同じようなミュージシャンたちとも知り合うようになる。
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シャンソン。
そうして知り合ったミュージシャンの中に、ギタリストのデイヴィッド・ウィリアムスがいた。
デイヴィッド・ウィリアムスは1950年11月21日、ヴァージニア州ニューポート・ニューズ生まれ。子供の頃からギターを弾きだしたが、おそらく10代の頃にシカゴに移り住んだ。18歳のとき、1968年から1969年に彼はシカゴの名門ソウル・ヴォーカル・グループ、デルズのツアー・バンドのメンバーとなる。ところが、この時期、彼は徴兵でしばらくヴェトナム戦争に行き、音楽活動を休止。その後ヴェトナムから戻り、今度はテンプテーションズのツアー・バンドのメンバーとなり、さらに本拠をシカゴからロスアンジェルスに移す。
https://www.youtube.com/watch?v=TQ3mBKDTkws
そして、このデルズのツアー時代にデイヴィッドは、バンドのリーダー、音楽ディレクターであるベンジャミン・ライト(モータウンを中心に活動していたアレンジャー)と知り合う。さらにここには、ベース奏者のジェームス・ジェマーソンも参加していた。
デイヴィッドもロスに移住、徐々にツアーの仕事よりもスタジオでの仕事に重点を置くようになり、スタジオ・ミュージシャンとして名前が売れるようになった。彼のスタジオ・シーン初期の作品には、1974年のフレッド・パリスのアルバム、ホッジス・ジェームス&スミスの1978年のアルバム、フィル・ハートのアルバムなどがある。
1977年、世の中は完全にディスコ・ブームになっていた。そんな中、ニューヨークからナイル・ロジャーズとバーナード・エドワーズのシックが登場。次々とダンス・ヒットを放ち始める。そこで、シックのようなグループを作ろうという機運がどこからともなく盛り上がる。
ロスのスタジオでもいろいろな場面で遭遇するようになったデイヴィッドとジェームスも、自分たちもシックのようなグループを作ってダンスに適した作品を作ろうということになった。
こうしてでき上がったのが、シャンソンというグループで、そのデビュー作『シャンソン』が1978年10月全米アリオラ・レコードからリリースされた。全米ブラック・アルバム・チャートでは、1978年11月からチャート入りし、最高位23位を記録。またディスコ・チャートでは最初のシングル「ドント・ホールド・バック」が1978年10月からヒットし、最高位11位、第2弾シングル「アイ・キャン・テル」が21位を記録する。
ディスコやブラック・ラジオではそこそこの成果をあげたということになる。
そして、彼らは1979年、第2弾アルバム『トゥゲザー・ウィ・スタンド』をリリース。ところが、内容はよかったが、ほとんどヒットせずに終わる。レコード会社は、シャンソンとしての活動を続けてほしいと願ったが、まだヒットがないグループの仕事はギャラも取れず、一方、スタジオ・ミュージシャンとしての彼らは名前があったためにきちんとしたギャラが取れた。ちょうどこの頃ジェームスは結婚し所帯を持ったため、いくら稼げるかわからないシャンソンとしての仕事よりも、確実にしかも多くを稼げるスタジオの仕事を取るようになった。
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解散。
こうして、グループは自然解散。彼ら二人は再び、スタジオ・セッション仕事の生活に戻る。
そんな中、デイヴィッドの名前を決定づけたのが、マイケル・ジャクソンの『スリラー』のアルバムに収録された「ビリー・ジーン」だ。この途中のギター・ソロ、これをやったのがデイヴィッド・ウィリアムスその人なのだ。そう、マイケルが『モータウン25周年記念イヴェント』で世界で初めてムーン・ウォークを見せたあの部分のギター・ソロを弾いていたのがデイヴィッドだ。
これ以後、デイヴィッドは、レコーディングでもマドンナ、フリオ・イグレシアス、ジョージ・ベンソン、マイケル・マクドナルド、アリーサ・フランクリンなど大物アーティスト多数に参加、マイケル・ジャクソンのツアー、マドンナのツアーにも請われて参加している。
しかし、彼は2009年3月6日、故郷のヴァージニア州で58歳の若さで突然の心臓停止のため亡くなった。彼は娘4人、息子1人、両親、3人の姉妹、2人の兄弟を残した。
その後ジェームスの目立った活動をなかったが、近年いくつかの疾患があり静かに息を引き取ったようだ。
ジェームスの享年58は、奇しくもデイヴィッドと同じ歳で亡くなったことになる。
ジェームス・ジェマーソン・ジュニア・インタヴュー (2013年2月28日)
http://www.notreble.com/buzz/2013/02/28/bass-dynasty-an-interview-with-james-jamerson-jr/
(この項、続く)
OBITUARY>Jamerson, James, Jr. (August 24, 1957 – March 23, 2016, 58 year old)
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●ジェームス・ジェマーソン・ジュニア、58歳で死去
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