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Channel: 吉岡正晴のソウル・サーチン
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●カシーフとの思い出(パート7)~ロスで再会

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●カシーフとの思い出(パート7)~

 

【Memories About Kashif : Kashif’s Documentary】

 

(1983年に出会ったカシーフ。ニューヨークで会っていた彼が来日。そのとき東京を案内した。その後、1990年代彼はハワイに居を移し、ロスに移住した)

 

~~~

 

本。

 

カシーフとはその後1990年代に入って、ロスアンジェルスで再会する。1994年のことだ。

 

それまでにカシーフは一時期ハワイに住んでいたこともあり、その頃、ハワイからロスに本拠を移していた。ビーチ沿いのコンドミニアム(日本で言うマンション)に住んでいた。ジャッキー・ロビンソン邸からすれば小さいが、それでも高級マンションのようだった。

 

このとき彼は音楽や音楽業界のことを若い人に教えることに力をいれていて、本を書いていた。どうやら、UCLAでクラスを持ち、いろいろ教えるようになり、その教材を作る上でいろいろ自分でまとめていたものを一冊の本にしようということだったようだ。そのときはまだ一冊の本になっていなかったが、翌年これが本となる。それがこれだ。

 

https://goo.gl/C19cm3

 

ここには、音楽業界に入るためにはどうしたらいいか、入ったら何を知っているべきか、業界内のさまざまなことを事細かに書いてある。

 

印税のしくみ、実際の契約書のひな型まで収められている。ソングライターとして、あるいは、プロデューサーとして、アーティストとして音楽業界に入ろうとする人には、もってこいのノウハウ本だ。

 

なんとこの本は1996年になって約30万部も売れる大ベストセラーになったという。音楽業界のバイブル的存在になった。

 

カシーフは僕に「日本でこの本をだせないか」と言ってきた。だがなかなかこうしたノウハウ本は、しかも、翻訳書だと難しいものがあったので、翻訳本の発行には至らなかった。

 

そして、これががどうやら、カシーフにとっての「カシーフ大学」構想の基盤になったらしい。

 

「カシーフ・ユニヴァーシティー(大学)」は当初ペパーダイン大学の中のクラスの一つだった。孤児にさまざまなチャンスや教育の機会、また音楽業界のことを教えるというものだった。2006年から2011年頃まで同大学内でやっていた。

 

そして、2010年からロスのクレンショー地区でこの「カシーフ大学」を立ち上げ、さまざまなクラスで音楽、音楽業界のことを教えているという。ひとつのパターンは、生徒は8歳から18歳ならだれでもエントリー可能で一期が2週間というもの。別の物は1年かけていろいろ教えていくもので、ミュージシャン、シンガー、音楽業界に入りたい人向けの講座のようだ。2012年のインタヴューでは、スカイプを使った授業もするといっていた。

 

また2006年には、「チーム・アイ・ケア」という基金を作り、ローズボールで大規模なイヴェントを開催。ここに孤児を集め、孤児のフォスター・ペアレンツを募集。200組以上のフォスター・ペアレンツとフォスターたちをマッチングさせることができたという。

 

カシーフはご存じの通り、生みの両親を知らない。いわゆる孤児で、孤児院やフォスター・ペアレンツの元で育った。そういうこともあってか、普通の人よりも「友達思い」「ファミリーへの思い」があるような気がした。だが、とても僕のイメージ、それは固定観念かもしれないが、孤児のイメージとカシーフはまったくかけ離れていた。誰とでも仲良くなれ、誰とでも友達になれ、来る者拒まず、といった感じだ。

 

自分が孤児だったから、孤児のために、教育を与えるというシンプルなことだったのだろう。

 

カシーフにとっては、小学4年生のときに手に入れた3ドルのフルートがすべての人生を変えた。これで音楽にはまり、音楽をすることによって、他の人とコミュニケーションが取れるようになっていったという。

 

彼は1990年代に自主レーベル、ブルックリン・ボーイ・レコーズを創設、自身のCDはここから出していた。また、先の本はブルックリン・ボーイ・ブックス(略してBBB)からリリースしている。

 

~~~

 

ドキュメンタリー。

 

また2000年代に入って、カシーフは映像の仕事をするようになり、CMや企業用のビデオなどを作っていたという。1980年代にもCM(アメリカではジングルとも呼ばれる)を作っていたらしいが、広告業界ともつながりがあったようだ。

 

CMでおもしろい話は、カシーフが「ドレイク・ケイクス」(ケーキ屋さん)のCM曲を作り、ハワード・ジョンソンにこれを歌ってくれないかと頼んだところ、「ドレイク・ケイクス~~」という歌は嫌だと言ったそう。カシーフは「じゃあ、この曲はイヴリン・キングに歌ってもらおう」と言う。結局、これはその歌詞の部分を「ソー・ファイン」と直して、録音することになり、ハワードも納得して録音した。そして、彼にとっての唯一のヒットになったという。ハワードは、「あれが、イヴリンに行かなくてよかったよ。(笑)」と言う。

 

カシーフは映像作品を作っていくこと、そして、学校で音楽業界のことを教えていく中でどうやらブラック・ミュージックの歴史、成り立ちといったものに深く興味を持ち、『R&Bの歴史』を描いたドキュメンタリーを作るという夢を持つようになった。

 

彼はさまざまな音楽業界人に彼がインタヴューをして、「R&Bの歴史(History Of R&B)」を描くドキュメンタリー映像を作り始めたのだ。

 

当初は自費で作っていたようだが、2014年、いわゆるクラウド・ファウンディングで資金を集めるようになった。

 

これがファウンディング・サイト。

https://www.indiegogo.com/projects/the-history-of-r-b-music#/

 

予告編

https://vimeo.com/99422647

 

 

現在5万ドル目標に対し7000ドル余が集まっているが、カシーフの逝去で、とん挫しそうな感じもある。

 

数年前、カシーフがメールで連絡してきて、「R&Bのドキュメンタリーを作る、いろいろな業界人にインタヴューしている、マサハルにもインタヴューしたい」と言ってきた。もちろん僕も「喜んで、いつでも」と答えていた。クラウド・ファウンディングを始めるもっと前だったと思う。

 

サイトによると10本作るとのことで、すでに200人以上にインタヴューがなされたようだが、これは完成したのだろうか。あるいは誰かが引き継いでくれるのだろうか。気がかりだ。

 

(続く)

(次回が最終回の予定)

 

OBITUARY>Kashif (December 26, 1956 (1957) – September 25, 2016, 59(58) year old)


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