●クリフ・ホワイト死去~ジェームス・ブラウン『スタータイム』など編纂
【Cliff White Dies At 72】
訃報。
イギリスの音楽評論家、ジャーナリストで、ブラック・ミュージックに強いライター、クリフ・ホワイトが2018年1月26日までにイギリスの病院で死去した。72歳だった。しばらく前から入院しており、体調を崩していたという。入院していた病院から別の病院に転院することになっていたらしい。死因など詳細は不明。
1945年11月9日イギリス生まれ。
1962年から1964年まで金融関係の仕事で生活を支え、その後自分が好きだった音楽の仕事として1964年10月からHMVでセールス担当に就任。十代の頃から音楽に魅せられ、一時期ミュージシャンを目指し、バンド活動もしていた。
1973年母親が死去し、その残された若干の遺産(2000ポンド=当時の日本円とのレートは1ポンド660円~700円、約140万円弱)をもらいそれを元手にフリーランスのライターとしてやっていくことに。2000ポンドは73-74年には大金だった。
イギリスでクライヴ・リチャードソンが発刊したファンジン(マニア向けの同人誌)「シャウト」に寄稿を始めるが、1973年暮れ、イギリスで創刊したブラック・ミュージックの専門誌、その名も「ブラック・ミュージック」誌で記事を書くようになり、以後、本格的に音楽ジャーナリストとしてNME、ブラック・エコーなどに寄稿するようになった。
1974年、アメリカに一か月ほど出向き、この頃からジェームス・ブラウンを追いかけるようになった。1974年夏、オーガスタにジェームス・ブラウンに会いに行くがブラウンはツアー中で、いとこのフレディー・ホルムスと知り合う。その後、同年秋、ニューヨークのアポロ・シアターでのブラウンの「ペイバック・ツアー」を鑑賞。この時そのフレディーのつてでバックステージでブラウンと面会。
1970年代からジェームス・ブラウンと交友を深め、インタヴューなども行ってきた。この時期、100人くらいのアーティストたちにインタヴューをしたという。1976年にはジャクソンズのマイケル・ジャクソンにもインタヴューした。
1979年7月に、イギリスのチャーリー・レコードに加わり、同社が持つカタログのコンピレーションなどを編纂始めた。同レーベルには、ヴィー・ジェイー・レコード、サン・レコード、サンスー・レーベルなどの作品があった。チャーリーにはおおよそ10年ほど在籍。1989年2月には、ディーモン・レコードへ移籍。そこでまたコンピレーション制作などを行った。
1990年春頃から、ジェームス・ブラウンの伝記を書き始めるが、途中で挫折。その仕事を元ブラック・ミュージック誌の編集者、ジェフ・ブラウンに引き継いでもらった。以降はレコード会社の元で、ソウル・ミュージック関連のコンピレーションなどを多数作るようになる。
特に1994年にアメリカ・ポリグラムで作ったジェームス・ブラウンの4枚組ボックスセット『スタータイム』をポリグラムのハリー・ワインガーと作り、そのライナーノーツを執筆。これがグラミー賞のライナーノーツ部門を獲得した。
2003年から2008年11月までプロパー・ミュージック・ディストリビューションに籍をおいていた。
最近ではウィルソン・ピケットのコンピレーションを作っていたという。
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ジェームス・ブラウン『スター・タイム』
ライナーノーツ:クリフ・ホワイト
OBITUARY>White, Cliff (November 9, 1945 – circa January 26, 2018, 72 year old)