●ジョー・ジャクソン89歳で死去~ジャクソン家の家長
【Joe Jackson, Father Of Michael Jackson and family, Dies at 89】
訃報。
マイケル・ジャクソン、ジャネット・ジャクソン、ジャクソンズなどを育てたジャクソン家の家長、ジョー・ジャクソンが2018年6月27日(水)ロスアンジェルスの病院で死去した。89歳だった。膵臓がんを患い末期だった。6月27日は息子のマイケル・ジャクソンの命日6月25日の2日後にあたる。
https://www.rollingstone.com/music/news/joe-jackson-jackson-family-patriarch-dead-at-89
ジャクソン家の子供たちを世界のエンタテイナーに育て上げたが、マイケルは幼少時の体罰に反発を覚え、後年、関係が疎遠になり、マイケルの遺書の相続人のリストからはずされていた。
ただ、インディアナ州ゲイリーの子供たちを世界的なスターに育て上げたその手腕は評価された。
妻であり、マイケルの母にあたるキャサリンは元気だ。
~~~
評伝。
ジョー・ジャクソンは1928年7月26日アーカンソー州フォンテン・ヒル生まれ。(1929年説もある) その後、北部のインディアナ州ゲイリーに移住。そこで1949年キャサリンと結婚。1950年誕生の第一子、長女のリビーを筆頭に多くの子宝に恵まれた。
ジョー自身が音楽好きでブルーズ・ギターを楽しんでいたことから、早い時期から子供たちをエンタテイナーに育てようとスパルタ教育を行った。子供たちが10代になるとすぐに特訓を重ね、60年後期にはデトロイトなど近郊で行われるタレント・コンテストなどに子供たちを出演させ話題を集めるようになる。
ジャクソン5として名前を売り出し、地元近くのインディでシングル盤を録音、発売したのち、1969年、メジャーのモータウン・レコードと契約。デビューからいきなり4曲連続全米ナンバー・ワンという華々しいスタートを切った。
ジャクソン5と並行してジャーメイン・ジャクソン、マイケル・ジャクソンはソロ活動も開始。どちらもソロとしても人気を集めた。
1975年、モータウンでの待遇に不満を感じていた父ジョー・ジャクソンはジャクソン5を、エピック・レコードに移籍させることに成功。これにともないグループ名はジャクソンズに。
1979年、マイケルは改めてソロ活動を開始。エピックからのソロ第一弾『オフ・ザ・ウォール』が未曽有の大ヒットとなり、さらに、第二弾『スリラー』がその時点で世界で一番売れたアルバムとなった。
ただこの頃からすでにマイケルと父親との関係は厳しくなっていた。
マイケルの『バッド』および『バット・ツアー』以降は父親はマネージメントから離れた。
2002年に書かれたマイケル・ジャクソンの遺書には受取人にジョー・ジャクソンの名前はなかった。
60年代から70年代にかけて、無名だったボーイズ・グループを世界的なスターに育てあげたことは紛れもない事実で、その点は評価される。
~~~
息子 マイケル・ジャクソンへ ~天国への遺言状~
posted with amazlet at 18.06.29
ジョセフ.ウォルター・ジャクソン
講談社
~~~
ジョー・ジャクソンと会って
ジョー・ジャクソンに初めて会ったのは、1983年8月のこと。1982年にデビューしたばかりのジャネット・ジャクソンの日本人初インタヴューだった。場所は、当時のジョー・ジャクソン・プロダクションがあったオフィース。このビルには当時まだモータウン・レコードのオフィースもあった。
そのとき驚いたのが、インタヴューのその場所に、ジャネットがちょっと座り、ま隣のデスクにジョー・ジャクソンがにらみを利かせて座っていたこと。かなりの威圧感というか存在感があったのを覚えている。
ジャネットはまだ当時、インタヴューも慣れていないようで、質問にも小さな声で、ほんのひとことふたことしゃべるだけで、インタヴューアー泣かせだった。質問に対してこたえようとするたびに、彼女はちらちらとジョーの顔色をうかがうのだ。まるでそれはジャネットが「正しい面接を受けているかどうか」の試験のようでもあった。
時は流れ、2014年9月、ジョー・ジャクソンがプライヴェートで来日していたときに、会う機会があった。そのときは、かなり物静かな感じで、好々爺という感じだった。
個人的には、ジャクソンズという素晴らしい子供たちを世に紹介してくれただけで、感謝したい。ご冥福をお祈りいたします。
OBITUARY>Jackson, Joe>July 26, 1928 – June 27, 2018, 89 year old