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Channel: 吉岡正晴のソウル・サーチン
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〇 7月4日アメリカ建国記念日は、ビル・ウィザース、フレッド・ウェスリー誕生日、バリー・ホワイト

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7月4日アメリカ建国記念日は、ビル・ウィザース、フレッド・ウェスリー誕生日、バリー・ホワイト命日。バリー・ホワイトについて少し紹介しよう。

 

(本作・本文は約5000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、10分から5分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと17分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)

 

 

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7月4日はアメリカ建国記念日、今年亡くなったビル・ウィザースの誕生日(1938年)、ジェームス・ブラウンのバンドのトロンボーン奏者、フレッド・ウェスリーの誕生日(1943年)、バリー・ホワイトの命日(2003年)でもある。ビル・ウィザースはすでになんどもご紹介している物語でかなり詳しく紹介しているので、ここでは少しバリー・ホワイトについてご紹介しよう。亡くなったときの記事だ。

 

ソウル界屈指の低音シンガー、低音の魅力バリー・ホワイトが亡くなったのは2003年7月4日、ロスアンジェルスでわずか58歳だった。還暦届かずだ。初来日、それが唯一の来日公演、そして自宅訪問などをまとめたもの。

 

2003/07/06 (Sun)

Barry White Dies at 58

バリー・ホワイト死去

http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200307/diary20030706.html

 

低音の魅力で人気を集めたソウル・シンガー、バリー・ホワイトが金曜(2003年7月4日)午前9時半頃(日本時間・5日午前1時半頃)、ロスアンジェルスのシーダース・サイナイ病院で死去した。58歳だった。

 

バリー・ホワイトは、昨年(2002年)9月、以前から患っていた高血圧からくる腎臓疾患で入院、人工透析を受けていた。また5月にカテーテル注入手術のときに脳梗塞を起こし、右半身に麻痺と言語障害も発生していた。

 

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その脳梗塞記事

 

2003/05/20 (Tue)

Barry White, King of Get-it-on Music, Suffers Stroke

http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030520.html

 

バリー・ホワイト、脳梗塞(のうこうそく)

 

ビルボード電子版が5月19日報じたところによると、ソウル・シンガー、バリー・ホワイトが最近脳梗塞を起こした。ホワイトの娘、シャヒーラによると、バリーは昨秋から腎臓疾患をわずらっており、去る5月1日、脳梗塞を起こし、言語障害になっているという。

 

そのため、現在右半身が麻痺しているが、精神的には問題はなく、腎臓移植ができるための健康状態の回復を待っている。

 

バリー・ホワイトの所属レーベル、デフ・ジャム・グループによると、バリーは昨秋以来、高血圧による腎臓機能の低下により人工透析を受けていた。5月1日、腕にカテーテルを注入する手術を受けたが、脳梗塞を起こしたという。

 

ただし、これは小さなもので、復活し、歌うことに問題はない、としている。

 

一方、ロスアンジェルス市はサウスパーク地区のリクリエーションセンターに「バリー・ホワイト」の名前を冠することを決めた。これは、彼が同地区で育ったことにちなんでのもの。

 

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低音。

 

バリー・ホワイトと言えば、その低音の声が最大の魅力。コンサートでは70年代中期に一度来日している。1944年9月生まれということで、現在58歳。最近ではテレビ・ドラマ「アリー・マイ・ラヴ」の中で彼の作品が使われたり、実際彼が番組に登場したりして、人気復活しているところ。

 

彼の音楽をさして、英語でget-it-on musicと表記する。直訳すれば「やるときの音楽」。なるほど。今回初めてこの表現を知った。確かに、彼のセクシーでセンシュアルな音楽は、まさにベッドタイム・ミュージック。ほかにもget-it-on musicといえば、マーヴィン・ゲイ、テディー・ペンダーグラス、アイズレー・ブラザースなどなど、いろいろある。

 

僕が彼の中で非常に好きなのが、ビリー・ジョエルの「ジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アー」。バリーが歌っているヴァージョンはイントロに彼独特のナレーションをいれて、情感豊かに歌う。アルバム・ヴァージョンが長くて、とてもいい。シングル・ヴァージョンはちょっと短くなっていて、物足りない。

 

barry white, just the way you are

https://www.youtube.com/watch?v=X9iFEkNqHac

 

 

(なぜか、動画があった。1979年のカヴァー・ヒット)

 

そのほかでは、最近だとクインシー・ジョーンズの「シークレット・ガーデン」でのバリーの声も印象的だった。早期回復を祈りたい。

 

(脳梗塞記事ここまで)

 

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2ヶ月ほどまえにバリーを病院に見舞ったテレビ番組『ソウル・トレイン』の創始者ドン・コーネリアスによると、「彼にはたくさんのチューブがつけられ、まったく身動きがとれていなかった。彼のあの強靭な精神力ゆえに、今日まで生き延びてきたのだろう。彼に代わる存在の者はいない。彼の音楽は永遠に生き続ける」とコメント。

 

さらに、「彼にとって愛は非常に重要な要素だった。彼は、女性のために愛を降り注いだ。聞き手のあなたの彼女・彼氏のためや、そのベッドルームのためだけに曲を歌っていたわけではない。彼は、自分自身のベッドルームのために歌っていたのだ」と語った。

 

(ドン・コーネリアス)

 

評伝。

 

バリー・ホワイトは、1944年9月12日テキサス州ガルヴェストン生まれ。幼少の頃にロスアンジェルスへ移り住み、母親に育てられた。子供の頃から教会に行き、ゴスペルに親しみ、12歳の頃にはすでにプロのR&Bシンガー、ジェシー・ベルヴィンのヒット「グッドナイト・マイ・ラヴ」(1956年12月のヒット)でピアノを弾いていたという。(註:この件に関しては、のちに否定している) 十代半ばでヴォーカル・グループ、アップフロンツを結成、1960年にラムトーンというインディレーベルからデビュー。

 

Upfronts - Too Far To Turn Around (Lummtone 104) 1960

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=APABHISCFkg

(確かに耳をそばだてて聞くと、バックコーラスにバリー・ホワイトらしき低音が小さく聞こえる)

 

さらに、1965年、ソロシンガー、リー・バリーという名でもシングルを録音している。(これは、はっきりバリー・ホワイトとわかる)

 

LEE BARRY - MAN AIN'T NOTHIN' ( DOWNEY 134 )

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=ln5u5Casc7M

 

LEE BARRY - I DON'T NEED IT ( DOWNEY 134 ) Barry White

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=3FPubDZ0SuU

 

 

その後1966年から1967年にかけては、ムスタング/ブロンコというインディレーベルで、A&Rの仕事にも携わった。そこで1969年に、オーディションに受けに来た女性シンガーのグループをプロデュースすることを決意、このグループは1973年、ラヴ・アンリミテッドとして「ウォーキング・イン・ザ・レイン・ウィズ・ザ・ワン・アイ・ラヴ(恋の雨音)」大ヒットを放ち、グループも、またそのプロデューサーであるバリーにも注目が集まった。

 

Walkin' In The Rain With The One I Love – Love Unlimited

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=_ujNafBLVD4

(2分57秒あたりからの電話の声の主がプロデューサーのバリー・ホワイト)

 

 

1973年、バリー・ホワイトとして「アイム・ゴナ・ラヴ・ユー・ジャスト・ア・リトル・モア・ベイビー」がソウルで1位、ポップで3位、ミリオンセラーになり、いきなり大ブレイク。その後も数多くのヒットとともに、プロデューサーとして、シンガーとして大人気を獲得した。

 

BARRY WHITE I'M GONNA LOVE YOU JUST A LITTLE BIT MORE BABY

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=x6AL1XnHJZs

 

特にヒット曲は、歯切れのいいリズム、華麗なオーケストラとともに、ディスコでも人気を集めた。また、彼のその低音の魅力が女性ファンだけでなく、幅広く指示を集めた。

 

1987年、A&Mに移籍。1990年にはクインシー・ジョーンズのアルバムで、「シークレット・ガーデン」を歌い、大ヒットさせた。

 

Quincy Jones, Barry White, James Ingram, Al B. Sure, El Debarge - The Secret Garden

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=duZGkjnJWGk

(ソウルトレイン・ミュージック・アワードから、なんとルーサーが紹介する)

 

1999年の「ステイイング・パワー」でグラミー賞を2部門受賞。

 

Barry White - Staying Power (1999) - 01. Staying Power

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=NOgFw0nN7o4

 

日本では1988年から東京のFM局Jウェイヴで深夜の番組のDJを勤めたこともある。

 

また彼がプロデュースしたラヴ・アンリミテッド・オーケストラの「ラヴズ・シーム(愛のテーマ)」は、JALのCMに使われ大ヒットした。

 

 

The Love Unlimited Orchestra - Love's Theme (1973 Single Version) HQ

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=eyntn2UixUg

 

 

プライヴェートでは、1960年代に十代の頃からの友達であったメアリーという女性と結婚、4人の子供をもうけるが、1969年離婚。その後、ラヴ・アンリミテッドのメンバーのひとり、グローディーン・ジェームスと1974年に再婚。4人の子供をもうけるものの、1988年離婚。

 

近年では、テレビ・シリーズ『アリー・マイ・ラヴ』で、バリーの曲がたびたび使用され、人気が再燃、バリー本人もそのドラマにゲストで出演したりしていた。

 

 

+++++         +++++

 

 

First Class Sweets: That's His Velvet Voice

 

大甘。

 

僕が一番最初に買った輸入盤のシングルの1枚がバリー・ホワイトの1973年のヒット「アイム・ゴナ・ラヴ・ユー・ジャスト・ア・リトル・モア・ベイビー」だった。これは彼の実質的な初ヒットなので、約30年にわたって、彼の作品をほぼリアルタイムで聞いてきたことになる。

 

そんな彼がコンサートで来日したのは1974年9月のことである。僕は中野のサンプラザで見た。非常によく覚えているのが、何かのバラードで、あのバリー本人がステージから客席に降りてきたことだ。そして、客席の通路を長いマイクコードをひっぱり歌いながら、歩いたのである。歌手がステージを降りて客席を歩くなどというものを見たのは、僕にとってはそのバリー・ホワイトのコンサートが初めてだった。

 

 

Barry White - I've Got So Much to Give (1973) -

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=RVF_H21yg9E

 

Barry White - You're My First My Last My Everything

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=2zfxZRBm3EY

 

こんなライヴ音源・動画が

Barry White "Can't Get Enough Of Your Love, Babe" (1995)

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=uGiyRKfDHQ0&list=PLyhuJrk86yTkLEcUv7ochWMTYMZkZOEQL&pp=qAMBugMGCgJhchAB

 

Barry White - Let The Music Play (Original Long Version)

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=7b5vyUM-L1M

 

そんな彼と再会するのが、13年後のこと。新作についてインタヴューするために、彼の自宅を訪問する機会を得た。1987年の夏のことだった。ロスアンジェルス郊外のシャーマンオークスにある邸宅だった。そこにはスタジオもあった。ちょうど、A&Mからの移籍第一弾アルバム『ショー・ユー・ライト』が出る直前のことだった。

 

Barry White- Sho You Right

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=Q132-2APE8U

 

その邸宅は、山の中腹にあり、母屋のほうから下がっていくと、プールがあるという豪華なものだった。バリーが様々な写真の飾られている家の中や、その下のほうのエリアを自らツアーしてくれたことを思い出す。しかし、1994年1月のロスアンジェルス大地震で、この豪邸が破壊され、その後、彼はラスヴェガスに住むようになっていた。

 

彼の声は、レコードの通り、低く、太い。そして、比較的ゆっくり話す。体が大きいだけに、実に存在感がある。ビッグダディーというにふさわしい貫禄があった。そのときの話の中心は、まもなくリリースされる新作アルバムについてだったが、その意気込み、自信ぶりは、半端なものではなかった。彼もまた、のってくると話がまったく止まらないタイプの人物であった。

 

声変わり。

 

バリーがこの有名な低音の声になったのは、14歳のときだった、という。ある朝起きたら、自分の声がこんなだみ声になっているので、恐怖におののいた、という。体は震え、母親に話かけたが、母親も最初は何が起こったか、わからなかった。だが、すぐに彼女は自分の息子が声変わりしたことを察知する。そして、母は笑顔になり、その目から涙がこぼれ落ちた。「私の息子が、大人の男になったのね」とバリーに語りかけた。

 

1960年、彼が16歳のとき、ラジオから流れてきたある曲に心を奪われた。それはエルヴィス・プレスリーの「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」だった。そして、これを機に彼は歌手か音楽の道へ進もうと決心する。

 

Elvis Presley – It’s Now Or Never (1960)

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=QkMVscR5YOo

 

 

しかし、十代の頃は、本当に貧乏だった。新しい靴も買えずに、穴があいた靴を何日も履いていたという。

 

あるとき、ハリウッドにあるキャピトルレコードの丸いビルの前に立ち、彼は決意した、という。そのビルは、ロスの音楽業界のある種、象徴的な建物だった。自分は絶対に音楽業界で成功し、このビルの中に入るんだ、と。

 

(キャピトル・レコーズ)

 

そして、彼のこの声は世界で唯一の魅力的な声となった。ラヴソングに欠かせない声、ベッドルームになくてはならない声、彼女を口説くときの必要条件。そして、ムードを演出したいと思うプロデューサーは、躊躇することなく、バリーに電話した。クインシー・ジョーンズがそうだった。

 

彼の作品の最大の特徴は、すべてラヴソングという点。男性から女性へのラヴソングである。しばしば「ベッドタイム・ミュージック」「ゲット・イット・オン・ミュージック(やるときの音楽)」などと呼ばれ、男女のシーンに欠かせないもの。

 

彼の声を評して、「もし、チョコレート・ファッジ・ケーキが歌うことができるなら、それがバリー・ホワイトの声だろう」と言われたこともある。それだけ、スイートでメローな声ということだ。そう、バリーのヴェルヴェット・ヴォイスは、ソウル界の超一級スイーツなのだ。そして、おいしいスイーツに女性は目がない。

 

ご冥福をお祈りしたい。

 

+++

 

ENT>OBITUARY>WHITE, BARRY

 

ピーボ・ブライソン、ロンドン・パレイディアムでバリー・ホワイト・トリビュート

2018年11月17日(土)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12419177864.html

 

〇 ピーボ・ブライソン、ロンドン・パレイディアムでバリー・ホワイト・トリビュート

 

【Peabo Bryson Sings Barry White Tribute At London Palladium】

 

BBC。

 

つい先ごろ来日したピーボ・ブライソンが、来る2018年11月21日(水)19時からロンドンのパレイディアムで、イギリスの国営放送BBCの企画による『フライデイ・ナイト・イズ・ミュージック・ナイト』の中で、オーケストラをバックにバリー・ホワイト・トリビュートを歌う。

 

これは、イギリスのBBC・ラジオ2が企画している『フライデイ・ナイト・イズ・ミュージック・ナイト』という「金曜は音楽の夜」、という番組・イヴェントの一環。これはかなり長寿のオーケストラ・ライヴの企画だそう。今回は24人のオーケストラをバックにシンガーが、歌う。今月の同番組の中で、ちょうど新作『スタンド・フォー・ラヴ』が出たピーボ・ブライソンに白羽の矢が立ち、バリー・ホワイトの作品を歌うことになった。

 

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バリー・ホワイトを20世紀レコードに迎えた同社社長ラス・リーガンの訃報

 

ラス・リーガン89歳で死去~ニール・ダイアモンド、エルトン・ジョン、バリー・ホワイトらを発掘

2018年05月31日(木)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12379859716.html

 

 

 

 

ラス・リーガン(2)~常にストリートで活躍してきた伝説のミュージックマン

2018年06月01日(金)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12380225633.html

 

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Never Gonna Give You Up – Barry White

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=QpbhSlce_ek

 

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