◎アル・ジャロウ&ジョージ・デューク~47年を経てのコラボレーション
【Al Jarreau & George Duke: After 47 Years】
途中下車。
1940年3月12日生まれのアル・ジャロウ、1946年1月12日生まれのジョージ・デューク。6歳違い。アル71歳(来週の誕生日がすぎれば72歳)、ジョージ66歳。どちらも、アメリカ・ジャズ界では確固たる地位を築いているヴェテランだ。片やまさに「虹色の声(ヴォイス・オブ・レインボー)」と呼ぶにふさわしい声帯の魔術師アル・ジャロウ。片やファンクからメロディアスなとろけるアコースティック・ピアノまで多様性のあるピアノ/キーボードを聴かせるキーボードの匠ジョージ・デューク。この二人に超ハイ・エナジーなドラムスとゴリゴリのグルーヴ・ベースの計4人だけで強烈なライヴを繰り広げる。
ジャカルタで毎年この時期に行われているジャズ・フェス『ジャヴァ・ジャズ・フェスティヴァル』(3月2日金曜~4日日曜の3日間、野外・屋内に20近いステージが同時進行する。2005年から始まり今年は8回目)には多くのジャズ・ミュージシャンからポップ・ミュージシャンなども出演する。今年の目玉はスティーヴィー・ワンダーだったが、そこに出演したアーティストたちがアメリカに帰る際にほんの数日だけ日本に立ち寄ってライヴを行っていく。ジョージ・デューク・グループもそうだが、フランク・マッコム、デイヴィッド・ガーフィールド・グループなどもそう。ジョージ/アルは東京と大阪で1日ずつライヴをして、アメリカに戻る。帰国途中下車、という感じだ。
47年。
さて、アル・ジャロウとジョージ・デュークは、一昨年あたりからジョージ・デュークのトリオでアルが歌うという企画が持ち上がったらしいが、アルが自分の若手のトリオでツアーにでてしまったために、これが実現しなかった。
アル・ジャロウは1940年(昭和15年)ウイスコンシン州に生まれ、大学卒業後、サンフランシスコでリハビリのカウンセラーとして仕事をしていた。ちょうどその頃同地にいたジョージ・デュークと知り合い、ジョージのトリオでジャズを歌い始める。1962年頃のことだ。まだこの頃は、ジョージもアルも音楽では食べていけなかった。夜な夜なジャズ・クラブで何セットも演奏して、昼間は別の仕事をしながら食いつないでいた時代だ。
たまたま、この頃ジョージがアルの歌でデモ・テープを録音した。もちろん当時はデモ・テープを作って、レコード会社に売り込みに行き、レコード契約を取ろうとした。しかし、どこにもって行っても、相手にされず、彼らもそのテープのことさえ忘れてしまった。
アルはその後本拠をロスに移し、やはりジャズ・クラブで歌っていた。徐々にその声、独特のスキャットの歌い方、体全体を使っての歌い方が評判を呼び始め1975年、アルのそんなパフォーマンスをワーナー・ブラザーズのディレクターが「発見」し、契約。アルはメジャーなレコーディング・アーティストとしてデビューする。デビュー作『ウィ・ガット・バイ』は、ジャズ・シーンを中心に話題となり、アルは徐々にヒットも出し、有名になっていく。
一方ジョージも1960年代後期からジャズ・フュージョン畑(当時はまだそういう名称はなかったが)のキーボード奏者として徐々に頭角を現し始める。1970年代にはロックのフランク・ザッパのバンドに加入。ユニークなキーボード奏者として業界内で知られていく。
1970年代後期からはエピック・レコードで自身のアルバムを出し、ジャズからファンク寄りのアプローチをみせて人気を集めるようになっていた。さらに、1981年、ジョージはア・テイスト・オブ・ハニーの「スキヤキ」をプロデュース。これが全米で200万枚以上売れる大ベストセラーとなり、以後プロデューサーとして超売れっ子となっていく。
そんなジョージとアルが一昨年あたりに再会し、昔のようなトリオで歌うスタイルをやろうということになった。ちょうどその頃、ジョージが自宅に古いテープがあるのを発見。それが1965年、当時まだ二人とも無名だった頃のデモ・テープだった。ジョージはこれを発見し、大興奮。アルに電話し、自宅に遊びに来るよう伝え、アルがやってくると、このテープを聴かせた。そのテープとは45年ぶりくらいの再会だった。アルはこのテープが流れると、ぼろぼろと涙を流し始めたという。アルの脳裏に思い浮かんだのは45年前の無名で、これからジャズ・シンガーとしてやっていこうと夢と希望に燃えていたあの頃のことだったのかもしれない。
結局、このテープをCD化、そして、ツアーをすることになった。
アルは別の若手トリオで一度ツアーにでたが、今年になってジョージとツアーに出て、3月にはインドネシア・ジャカルタのジャズ・フェスに登場した。その帰り道、東京・大阪で1日ずつの貴重なライヴが行われたというわけだ。
1965年。
この音源のCDは、当日即売し、サイン会もしていたが、まだあまり輸入盤が出回っていないようだ。そうしたら、すでにアイチューンズiTunesに乗っていた。
Al Jarreau and the George Duke Trio "Live" at the Half Note 1965 (VOL 1)
http://itunes.apple.com/jp/album/al-jarreau-george-duke-trio/id429594414
ステージはアルとジョージが2-3曲ずつ交互にやって後半は両者が一緒にパフォーマンスするという形。今回のセットリストでは、「カム・レイン・オア・カム・シャイン」「スイート・パンプキン」といった作品が1965年のデモ作品から歌われた。
やはり、アル・ジャロウの虹色の声がおもしろい。足元は若干おぼつかなく、杖をついて歩いたり、スツールに座ったまま歌ったりと、この前のボビー・ウーマックのようでもあったが、声、声色、その声のだしっぷりは特に問題はなかった。そして大きな会場で見るより、こうした小さな会場で見るほうがいい。
またジョージもアルがいないときは、思い切りファンク色をだし、アルがいると、アコースティック・ピアノで控えめな伴奏に徹する。ジョージが、シンガーのバックで、目立たないように地味に弾くプレイというのがまたいい感じだ。
マイルス。
おもしろかったのが、ジョージがマイルスの声色を真似ながら、マイルスに曲を提供したときの話。
「ある日、電話がかかってきた。(しわがれ声で) 『ヘイ、ジョージ・デュークか、マイルス・デイヴィスだ。君に曲を作ってもらいたいんだが』」
「マイルス、今、僕はジェフリー・オズボーンなどのプロデュースで忙しいんだ。1-2週間後に電話をくれないか」
「すると翌日も『ヘイ、ジョージ』(マイルスのモノマネ)ってまたかかってきた。その翌日も。そこでしかたないので、1曲デモ・テープを作って送った」
「しばらくして返事が来るかと待っていたが、全然こないので、逆に心配になって、何週間か経ってこちらからマイルスに電話した。ねえ、マイルス、この前送った曲は気に入ってくれたのかな?」
「するとマイルスは、(マイルスの声で)『ああ、気に入ったよ』という。そこで、僕はじゃあ、いつスタジオに入る?と尋ねた」
「(マイルスの声色)あ、あれかもうレコーディングしたよ」
「ちょっとまってくれ、僕なしでレコーディングしたっていうのか」
「(マイルス声で) お前、歌でもいれるのか? ちょっとあれに俺のトランペットをオーヴァーダブしただけだ。簡単なことさ」
「待ってくれ、あれはまだ『デモ・テープ』の段階だよ」
だが、マイルスはもう録音してしまっていた。
そんな経緯でできたのが、マイルスの『トゥトゥTutu』のアルバムに入っている「バックヤード・リチュアル」だと紹介し、それをジョージが演奏した。ジョージの話し方がおもしろいので、けっこう笑い声もでていた。
1965年、サンフランシスコで夢を追っていた無名ミュージシャン二人が、それから47年後、どちらも有名になり、ジャカルタで、そして、東京でその頃を思い出してジャムセッションを楽しんだ夜だった。最後の曲が終わって二人がステージ中央でハグしていたが、なかなかよかった。この二人のコンビネーションはとてもいい。
サイン会。
ファーストとセカンドの両方を見たという人の話によると、セカンドのほうがアルののりがずいぶんとよかったそうだ。ビルボードにしては珍しく90分を超え、96分ほどの演奏時間となった。ライヴ後、ジョージ、アルともにすぐにサイン会に出てきた。サイン会はかなりの長蛇の列。終わったのは12時を過ぎていたのでは。
ライヴ後わかったが、この日の会場にはいつになく日本のミュージシャンたちが多数集結していた。アルとジョージというコンビネーションだと、ミュージシャンもぜひ見ておきたいと思うのだろう。次回は1日だけでなく、何日かできると思う。
![吉岡正晴のソウル・サーチン-アル&ジョージ]()
ライヴ後、サイン会。長蛇の列が続いてた
■ジョージ・デューク・ベスト
■ エッセンシャル ジョージ・デューク
■ マイルス・デイヴィス 『トゥトゥ(Tutu)』
■ マイルス・デイヴィス アマンドラ
■ アル・ジャロウ ベスト
■ メンバー
アル・ジャロウ / Al Jarreau(Vocals)
ジョージ・デューク / George Duke(Keyboards)
ゴーデン・キャンベル / Gordon Campbell(Drums)
マイク・マンソン / Mike Manson(Bass)
■セットリスト アル・ジャロウ&ジョージ・デューク
Setlist : Al Jarreau & George Duke @ Billboard Live Tokyo, March 6, 2012, Tuesday
show started 21:36
01. Moanin (Al)
02. Cold Duck (Al)
03. Oh-Oh (George)
04. Agua De Beber – Mas Que Nada (Al)
05. Teach Me Tonight (Al)
06. We’re In This Love Together (Al)
07. Touch My Brain (George)
08. Backyard Ritual (Miles Davis) (George)
09. Cobra?? (George)
10. Sweet Baby (George)
11. In A Mellow Tone (+Al) (George)
12. Sweet Pumpkin (Al)
13. Come Rain Or Come Shine (Al)
14. Take 5 (Al)
15. Roof Garden (Al) – Reach For It (George)
Show ended 23:12
(2012年3月6日火曜、ビルボードライブ東京、アル・ジャロウ&ジョージ・デューク・ライヴ)
ENT>LIVE>Jarreau, Al & Duke George
2012-
【Al Jarreau & George Duke: After 47 Years】
途中下車。
1940年3月12日生まれのアル・ジャロウ、1946年1月12日生まれのジョージ・デューク。6歳違い。アル71歳(来週の誕生日がすぎれば72歳)、ジョージ66歳。どちらも、アメリカ・ジャズ界では確固たる地位を築いているヴェテランだ。片やまさに「虹色の声(ヴォイス・オブ・レインボー)」と呼ぶにふさわしい声帯の魔術師アル・ジャロウ。片やファンクからメロディアスなとろけるアコースティック・ピアノまで多様性のあるピアノ/キーボードを聴かせるキーボードの匠ジョージ・デューク。この二人に超ハイ・エナジーなドラムスとゴリゴリのグルーヴ・ベースの計4人だけで強烈なライヴを繰り広げる。
ジャカルタで毎年この時期に行われているジャズ・フェス『ジャヴァ・ジャズ・フェスティヴァル』(3月2日金曜~4日日曜の3日間、野外・屋内に20近いステージが同時進行する。2005年から始まり今年は8回目)には多くのジャズ・ミュージシャンからポップ・ミュージシャンなども出演する。今年の目玉はスティーヴィー・ワンダーだったが、そこに出演したアーティストたちがアメリカに帰る際にほんの数日だけ日本に立ち寄ってライヴを行っていく。ジョージ・デューク・グループもそうだが、フランク・マッコム、デイヴィッド・ガーフィールド・グループなどもそう。ジョージ/アルは東京と大阪で1日ずつライヴをして、アメリカに戻る。帰国途中下車、という感じだ。
47年。
さて、アル・ジャロウとジョージ・デュークは、一昨年あたりからジョージ・デュークのトリオでアルが歌うという企画が持ち上がったらしいが、アルが自分の若手のトリオでツアーにでてしまったために、これが実現しなかった。
アル・ジャロウは1940年(昭和15年)ウイスコンシン州に生まれ、大学卒業後、サンフランシスコでリハビリのカウンセラーとして仕事をしていた。ちょうどその頃同地にいたジョージ・デュークと知り合い、ジョージのトリオでジャズを歌い始める。1962年頃のことだ。まだこの頃は、ジョージもアルも音楽では食べていけなかった。夜な夜なジャズ・クラブで何セットも演奏して、昼間は別の仕事をしながら食いつないでいた時代だ。
たまたま、この頃ジョージがアルの歌でデモ・テープを録音した。もちろん当時はデモ・テープを作って、レコード会社に売り込みに行き、レコード契約を取ろうとした。しかし、どこにもって行っても、相手にされず、彼らもそのテープのことさえ忘れてしまった。
アルはその後本拠をロスに移し、やはりジャズ・クラブで歌っていた。徐々にその声、独特のスキャットの歌い方、体全体を使っての歌い方が評判を呼び始め1975年、アルのそんなパフォーマンスをワーナー・ブラザーズのディレクターが「発見」し、契約。アルはメジャーなレコーディング・アーティストとしてデビューする。デビュー作『ウィ・ガット・バイ』は、ジャズ・シーンを中心に話題となり、アルは徐々にヒットも出し、有名になっていく。
一方ジョージも1960年代後期からジャズ・フュージョン畑(当時はまだそういう名称はなかったが)のキーボード奏者として徐々に頭角を現し始める。1970年代にはロックのフランク・ザッパのバンドに加入。ユニークなキーボード奏者として業界内で知られていく。
1970年代後期からはエピック・レコードで自身のアルバムを出し、ジャズからファンク寄りのアプローチをみせて人気を集めるようになっていた。さらに、1981年、ジョージはア・テイスト・オブ・ハニーの「スキヤキ」をプロデュース。これが全米で200万枚以上売れる大ベストセラーとなり、以後プロデューサーとして超売れっ子となっていく。
そんなジョージとアルが一昨年あたりに再会し、昔のようなトリオで歌うスタイルをやろうということになった。ちょうどその頃、ジョージが自宅に古いテープがあるのを発見。それが1965年、当時まだ二人とも無名だった頃のデモ・テープだった。ジョージはこれを発見し、大興奮。アルに電話し、自宅に遊びに来るよう伝え、アルがやってくると、このテープを聴かせた。そのテープとは45年ぶりくらいの再会だった。アルはこのテープが流れると、ぼろぼろと涙を流し始めたという。アルの脳裏に思い浮かんだのは45年前の無名で、これからジャズ・シンガーとしてやっていこうと夢と希望に燃えていたあの頃のことだったのかもしれない。
結局、このテープをCD化、そして、ツアーをすることになった。
アルは別の若手トリオで一度ツアーにでたが、今年になってジョージとツアーに出て、3月にはインドネシア・ジャカルタのジャズ・フェスに登場した。その帰り道、東京・大阪で1日ずつの貴重なライヴが行われたというわけだ。
1965年。
この音源のCDは、当日即売し、サイン会もしていたが、まだあまり輸入盤が出回っていないようだ。そうしたら、すでにアイチューンズiTunesに乗っていた。
Al Jarreau and the George Duke Trio "Live" at the Half Note 1965 (VOL 1)
http://itunes.apple.com/jp/album/al-jarreau-george-duke-trio/id429594414
ステージはアルとジョージが2-3曲ずつ交互にやって後半は両者が一緒にパフォーマンスするという形。今回のセットリストでは、「カム・レイン・オア・カム・シャイン」「スイート・パンプキン」といった作品が1965年のデモ作品から歌われた。
やはり、アル・ジャロウの虹色の声がおもしろい。足元は若干おぼつかなく、杖をついて歩いたり、スツールに座ったまま歌ったりと、この前のボビー・ウーマックのようでもあったが、声、声色、その声のだしっぷりは特に問題はなかった。そして大きな会場で見るより、こうした小さな会場で見るほうがいい。
またジョージもアルがいないときは、思い切りファンク色をだし、アルがいると、アコースティック・ピアノで控えめな伴奏に徹する。ジョージが、シンガーのバックで、目立たないように地味に弾くプレイというのがまたいい感じだ。
マイルス。
おもしろかったのが、ジョージがマイルスの声色を真似ながら、マイルスに曲を提供したときの話。
「ある日、電話がかかってきた。(しわがれ声で) 『ヘイ、ジョージ・デュークか、マイルス・デイヴィスだ。君に曲を作ってもらいたいんだが』」
「マイルス、今、僕はジェフリー・オズボーンなどのプロデュースで忙しいんだ。1-2週間後に電話をくれないか」
「すると翌日も『ヘイ、ジョージ』(マイルスのモノマネ)ってまたかかってきた。その翌日も。そこでしかたないので、1曲デモ・テープを作って送った」
「しばらくして返事が来るかと待っていたが、全然こないので、逆に心配になって、何週間か経ってこちらからマイルスに電話した。ねえ、マイルス、この前送った曲は気に入ってくれたのかな?」
「するとマイルスは、(マイルスの声で)『ああ、気に入ったよ』という。そこで、僕はじゃあ、いつスタジオに入る?と尋ねた」
「(マイルスの声色)あ、あれかもうレコーディングしたよ」
「ちょっとまってくれ、僕なしでレコーディングしたっていうのか」
「(マイルス声で) お前、歌でもいれるのか? ちょっとあれに俺のトランペットをオーヴァーダブしただけだ。簡単なことさ」
「待ってくれ、あれはまだ『デモ・テープ』の段階だよ」
だが、マイルスはもう録音してしまっていた。
そんな経緯でできたのが、マイルスの『トゥトゥTutu』のアルバムに入っている「バックヤード・リチュアル」だと紹介し、それをジョージが演奏した。ジョージの話し方がおもしろいので、けっこう笑い声もでていた。
1965年、サンフランシスコで夢を追っていた無名ミュージシャン二人が、それから47年後、どちらも有名になり、ジャカルタで、そして、東京でその頃を思い出してジャムセッションを楽しんだ夜だった。最後の曲が終わって二人がステージ中央でハグしていたが、なかなかよかった。この二人のコンビネーションはとてもいい。
サイン会。
ファーストとセカンドの両方を見たという人の話によると、セカンドのほうがアルののりがずいぶんとよかったそうだ。ビルボードにしては珍しく90分を超え、96分ほどの演奏時間となった。ライヴ後、ジョージ、アルともにすぐにサイン会に出てきた。サイン会はかなりの長蛇の列。終わったのは12時を過ぎていたのでは。
ライヴ後わかったが、この日の会場にはいつになく日本のミュージシャンたちが多数集結していた。アルとジョージというコンビネーションだと、ミュージシャンもぜひ見ておきたいと思うのだろう。次回は1日だけでなく、何日かできると思う。

ライヴ後、サイン会。長蛇の列が続いてた
■ジョージ・デューク・ベスト
Very Best Of: An Excellent Adventure
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Al Jarreau
Rhino / Wea (2009-10-12)
売り上げランキング: 11547
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■ エッセンシャル ジョージ・デューク
エッセンシャル・ジョージ・デューク
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ジョージ・デューク
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル (2005-02-02)
売り上げランキング: 203988
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■ マイルス・デイヴィス 『トゥトゥ(Tutu)』
Tutu: Deluxe Edition
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Miles Davis
Warner Bros UK (2011-06-06)
売り上げランキング: 25441
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■ マイルス・デイヴィス アマンドラ
Miles Davis
Warner Bros / Wea (1989-05-16)
売り上げランキング: 179494
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■ アル・ジャロウ ベスト
Very Best Of: An Excellent Adventure
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Al Jarreau
Rhino / Wea (2009-10-12)
売り上げランキング: 5143
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■ メンバー
アル・ジャロウ / Al Jarreau(Vocals)
ジョージ・デューク / George Duke(Keyboards)
ゴーデン・キャンベル / Gordon Campbell(Drums)
マイク・マンソン / Mike Manson(Bass)
■セットリスト アル・ジャロウ&ジョージ・デューク
Setlist : Al Jarreau & George Duke @ Billboard Live Tokyo, March 6, 2012, Tuesday
show started 21:36
01. Moanin (Al)
02. Cold Duck (Al)
03. Oh-Oh (George)
04. Agua De Beber – Mas Que Nada (Al)
05. Teach Me Tonight (Al)
06. We’re In This Love Together (Al)
07. Touch My Brain (George)
08. Backyard Ritual (Miles Davis) (George)
09. Cobra?? (George)
10. Sweet Baby (George)
11. In A Mellow Tone (+Al) (George)
12. Sweet Pumpkin (Al)
13. Come Rain Or Come Shine (Al)
14. Take 5 (Al)
15. Roof Garden (Al) – Reach For It (George)
Show ended 23:12
(2012年3月6日火曜、ビルボードライブ東京、アル・ジャロウ&ジョージ・デューク・ライヴ)
ENT>LIVE>Jarreau, Al & Duke George
2012-