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Channel: 吉岡正晴のソウル・サーチン
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★マクサン・インタヴュー~マンドレは、ダフト・パンクのルーツ

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★マクサン・インタヴュー~マンドレは、ダフト・パンクのルーツ

【Maxyan Interview (Prologue)】

序章。

ヴェテラン・ソウル・シンガー、マクサンにインタヴューした。マクサンとは日本にいた頃から知っていたが、じっくり話をしたことはなかったので、この機会にゆっくりインタヴューした。何しろキャリアが長いので、話はいくらでもある。この内容は、まとめて本ブログと「ソウル・サーチン・レイディオ」で近いうちにご紹介しよう。今日は、その一部、さわりだけを。

彼女の出身はオクラホマ州。ギャップ・バンドのメンバーとは幼い頃から知り合い。アイク&ティナ・ターナーのアイケッツのメンバーになってからキャリアを積み、ボビー・ブルー・ブランドのバンドでのツアー、自身のグループ、マクサン、さらに、マンドレへと発展。

彼女の昔話は、どれもおもしろかった。特にアイク&ティナのアイケッツのメンバーになるとき、アイク・ターナーが彼女の家に来て、両親にあいさつをするシーンなど、まるで映画を見ているかのよう。

1977年モータウンからデビューしアルバム3枚を出したグループ、マンドレは、最近のダフト・パンクのイメージの元ネタだということがわかった。彼女によると、マンドレ(グループ名はマクサンのMとアンドレ・ルイスのアンドレを足して作った)は、自身すばらしいデザイナーで、あのヘルメットのイメージを持っていて、デザイン画を描いて、専門の作り手に作ってもらった。最初からあのような未来的なイメージを持っていたという。なお、マンドレはモータウン後、もう一枚アルバムをだした。

そして、このマンドレの中心人物、アンドレ・ルイスは、なんと1990年代に一時期ヨーロッパ、パリやドイツに住んでいたという。しかも、ヨーロッパでこのマンドレのアルバムがクラブを中心にちょっとした隠れたヒットになっていたらしい。「だから、ダフト・パンクのメンバーとアンドレが直接会ったかどうかはわからないけれど、ダフト・パンクは間違いなくこのアンドレのレコード、ジャケット、イメージを見て、コピーしたのよ」という。なるほど、とても合点がいった。だって、マンドレとダフト・パンクは同じだものね。

このアンドレ・ルイスは、なんと一昨年、2012年1月31日にルイジアナ州シュレヴポートで亡くなっていた。この訃報は、僕は見逃していたが、マクサンが一昨年亡くなったと教えてくれ、調べたら、記事が出ていた。

http://www.spin.com/blogs/rip-michael-andre-lewis-aka-techno-funk-pioneer-mandre/

MANDRE SOLAR FLIGHT
http://youtu.be/4eHctVfTuPs


ダフト・パンクのアイデアの元となったマンドレの「フューチャー・フライト」

マクサンの2作目『マインドフル』(1973年) このアルバム収録の「チェック・アウト・ユア・マインド」(カーティス・メイフィールド作品)がちょっとした話題になった

CHECK OUT YOUR MIND / MAXAYN
http://youtu.be/wTNBmgDMe4Y



マクサンのアルバム3枚目
http://www.discogs.com/Maxayn-Bail-Out-For-Fun/master/205658

マクサンのインタヴューは、後日また詳細をご紹介します。

(この項つづく)

ARTIST>Maxayn




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