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Channel: 吉岡正晴のソウル・サーチン
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◇◆★『噂のメロディ・メイカー』からサム・クックへ:「与太話」が一冊の著作へ (パート1)

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◇◆★『噂のメロディ・メイカー』からサム・クックへ:「与太話」が一冊の著作へ (パート1)

【Sam Cooke & Otis Redding Was Killed: Rumor Has It】

与太話。

西寺郷太著『噂のメロディ・メイカー』を読んだサム・クック・フォロワーのブログネーム「元親」さんが彼自身のブログでサム・クックについての「与太話」を書いてみたい、と記している。

こちら。長文ですが、おもしろい。
Sam Cooke Taste Hunter
『噂のメロディ・メイカー』によるサム・クック小説の再考
2014-09-03
http://ameblo.jp/cleart2004/entry-11918824989.html

僕はこの「元親」さんにお会いしたことはないのだが、たぶん彼はこのソウル・サーチン・ブログを読んでおられるのだろう、ときどき僕の記事にも触れられている。僕も彼のブログを見ている。

で、「与太話」ということで、僕もそういうのを昔考えたということを思い出したので、ちょっと書いてみたい。それが一冊の本になるかどうかはわからないのだが。でも、郷太君のこの本の登場で、こうした抜群におもしろい「与太話」ネタを一冊にまとめるという「手法」「方法」があるんだな、という思いを強くもった。単なるフィクションではなく、フィクションとノンフィクションをうまく混ぜ合わせたこれはすごい手法の開発だと思う。ちなみに僕の『ソウル・サーチン』は完全なノン・フィクションだ。

調査。

僕が30年前に考え付いたネタは、サム・クックとオーティス・レディングが実は同じ組織に殺されたという突拍子もない、根拠のない陰謀説だ。(笑) でもおもしろいので笑って読んでいただいてかまわない。

ご存じのようにサム・クックは1964年12月11日33歳で死去、オーティスはその3年後1967年12月10日26歳で飛行機事故で死去した。サムの死亡日は11日なのだが、実際は10日の深夜で12時を過ぎたので11日になった。いわばほぼ同じ日の出来事なのだ。

1970年代に入って、僕がソウル・ミュージックにのめりこみ、まもなく、サムとオーティスというビッグなソウル・レジェンドの命日がほぼ同じことに驚いた僕は、何かこの二人に関連はあるのかと考えるようになった。ただその頃は、どちらの死亡記事も第一情報としてはなく、新聞記事さえも日本では読めなかった。いまのようにインターネットが普及しているわけでもないので、調べようがない。

それで1980年代になってからちょくちょくアメリカに行くようになり、80年代の半ばにニューヨークの図書館に行って、昔の新聞の縮刷版(マイクロフィルム)を調べることを思いつく。それで、サムとオーティスの死亡記事を調べるのだが、その縮刷版を保管庫から出してもらうのに、一回に何紙分などとえらく制限があり、めんどくさいのだ。しかも、図書館のスタッフの動きは超スローモーで、なかなかはかどらない。

正確には縮刷版ではなく、マイクロフィルムを出してもらい、それを拡大機のようなものに映し出して読むのだが、これも読みにくい。確かその1ページのコピー代もずいぶんと高かった記憶がある。それこそ1枚1ドル(200円とか250円)くらいしたのではないか。

たしかこのときは、ニューヨーク・タイムスとロス・アンジェルス・タイムスあたりを調べたのだが、驚いたことに事件当時(1964年、1967年)の新聞にはこれらの記事がほんの10行程度の、日本でいう「ベタ記事」でしかなかった。たぶん、もっとゴシップを載せるような「ニューヨーク・ポスト」とか、日本の「夕刊フジ」のようなタブロイド紙を当たればよかったのかもしれないが、そのときはそこまで思いつかなかった。

図書館というか公共の施設は夕方5時にはぴったりと終わるから、半日かけても、ベタ記事2本程度しか集められない。結局は徒労に終わった。まあ、コツみたいなものがあるんだろうが、当時はそのノウハウもなかった。

そのとき痛烈に感じたのが、たとえばサム・クックの死もオーティス・レディングの死も、当時の全米メディアの中では一面トップになるようなネタではなかったということだ。いわゆる『ブラック・シンガーが一人死んだ』という程度の認識だったのだろう。今でこそ、誰もがサム・クックやオーティス・レディングをソウル・レジェンドなどと持ち上げるが、当時のアメリカではそれほどのことではなかったのだ。

陰謀。

で、まずそのベーシックな調査でつまづいた僕はその後上記の仮説を誰に話すでもなく、いつのまにか忘れてしまった。

そのときのプロットはこうだ。

サムは白人社会の中でも一目置かれていたが、ちょっと目立ちすぎた。それまで黒人は黙って搾取され続けてきたが、サムはそれに立ち上がり、自分でビジネスを興し、出版社を作り、レコード会社を作り、ブラックがブラックのためにブラックによるシステムを作ろうと奔走していた。

しかもサムはものすごく頭がよく実行力もあり、さらにそのルックスからとてつもない人気もあった。となると、そういうレコード/エンタテインメントの組織(ひょっとしたらマフィア)から煙たがられることになる。あいつを放っておくとろくなことはない。でかくなりすぎると面倒だぞ。彼らがサムを消したいと思っても不思議はない。ケネディーが大きくなりすぎたのと同じように、サムも大きくなり始めていた。ケネディー大統領暗殺の軍産複合体と同じような組織が綿密に彼をはめることを狙ったらひとたまりもないだろう。

1963年11月23日、ジョン・F・ケネディーダラスで暗殺。

そして、ほぼその1年後、サムは1964年12月10日の深夜、パーティーで知り合った女とロスの安モーテルに行き、そこでモーテルの女管理人に誤って殺されてしまう。

それから3年。サム死後、多くのサム・クック・フォロワーがでてきた。そんな中でもずば抜けた存在となったのがオーティス・レディングである。オーティスはサムをあこがれの存在と公言してはばからなかった。それだけでなく、サムがやり始めたように、自ら音楽出版社、レコード会社、マネージメント会社などを作り、サムと同じようにブラック・ビジネスを大々的に展開しようとしていた。しかもオーティスを擁する南部メンフィスのスタックス・レコードはオーティスのヒットともに大きくなっていた。

そして、彼も人気絶頂の1967年12月10日、自家用飛行機の事故で死去する。

オーティスはサムの後継者と目されていた。オーティスもサムも目指すところは同じだった。

暗殺。

もし同じ組織が二人を暗殺したと仮定すると、彼ら二人が死んでもっとも得するのは誰か、ということになる。

そこで僕は必死になっていろいろ考えた。で思いついた結論が…。

(明日以降に続く)

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