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Channel: 吉岡正晴のソウル・サーチン
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●デニス・グリーン(シャ・ナ・ナ)死去~マーチン・デニーについて語る

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●デニス・グリーン(シャ・ナ・ナ)死去~マーチン・デニーについて語る

【Dennis Greene Of Sha Na Na Dies At 66】

訃報。

R&B,ドゥワップを研究し、それを独自のスタイルで演じたロック・グループ、シャ・ナ・ナのオリジナル創設メンバーの一人、フレデリック・デニス・グリーン(愛称デニー) Frederick “Dennis” Greene が2015年9月5日オハイオ州で死去した。66歳。体調を崩していた。 

http://goo.gl/SwuJyd

評伝。

シャ・ナ・ナは1968年、ニューヨーク・コロンビア大学の学生を中心に結成されたR&B、ドゥワップ、ロックンロール・グループ。1960年代後期に、1950年代中期のオールディーズ、初期のロックン・ロール・スタイルを音楽的、ファッション的にも打ち出して人気を獲得した。

当初はロバート・レオナードを中心とした12人組でデニス・グリーンは唯一の黒人。いくつかの曲でリードを取り、バンドの振付も担当した。ヘア・スタイルはグリース(油)をつけて固め、皮ジャンなどに身を固めた。

1969年に行われ伝説となったロック・フェスティヴァル「ウッドストック」にも参加。同記録映画にも短いがシャ・ナ・ナの姿がある。

1977年から1981年までテレビ・シリーズ『シャ・ナ・ナ』が放送され全米で人気となった。

日本でもロックンロール系のアーティストなどに大きな影響を与えた。

デニス・グリーンは、シャ・ナ・ナを辞めたあとイエール大学に入り法律を勉強し、法律家になった。その後映画会社、コロンビア・ピクチャーズで法律部門に就職、またレノックス/グリーン・フィルムズを設立、社長となった。1995年、法律を教える側になり、当初はイエール大学で、その後オレゴン大学などで教鞭を取り、2001年から最近までオハイオ州のデイトン大学で法律の教授として活動していた。数冊の著作も残している。「The Law and Business of the Entertainment Industry Edited by Dennis Greene」はその一冊。

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●マーチン、デニーを語る

思い入れ。

先日、「ソウル・パワー」でマーチン(鈴木雅之)と会ったとき、この話になった。マーチンとシャネルズはご存じの通り、このシャ・ナ・ナに大きな影響を受けている。この訃報を僕が知ったとき、いの一番に知らせたのはマーチンだった。

以前マーチンがシャ・ナ・ナの初来日(1975年)のときに、そのライヴに行き、当時はまだ珍しかった家庭用8ミリ・カメラを持って、コンサートを撮影したという話を聞いていたからだ。

もちろん、8ミリ撮影なんてものが許されるものではないのだが、当時はチケットに今のように「録音・録画・撮影は禁止」などと書かれてなかった。そもそも録音機も撮影機もかなり大きいから隠れてやることなどできるわけがない。まあ、録音くらいなら、ちょっと思いつくが、撮影してしまうところが驚く。そして、それを堂々と撮影してしまうところがマーチンのすごいところ。

8ミリで撮影していると、マーチンたちはけっこう前の席で見ていたので、「メンバーがこっちを指さしてくるんだよね、たぶん、『何やってんだ?』みたいなことだと思うけど、こっちもリーゼントでつっぱってたから、撮影止めなかったんだよ(笑)」という。

その8ミリはその後DVDに落として今でも持っているという。8ミリでライヴを撮影するほどお気に入りのグループだったのが、彼らにとってのシャ・ナ・ナというわけだ。日本でシャ・ナ・ナのファンクラブがあるとすれば、マーチンは名誉会長かもしれない。(笑)

シャ・ナ・ナは1975年、76年、77年と3回来日したようで、76年の来日時には『ライヴ・イン・ジャパン』を録音していた。

そして、1978年、東京12チャンネルの『ソウル・トレイン』をやっていた枠で『サウンズ・クリエーション』という音楽番組があって、シャ・ナ・ナやオーティス・クレイ、ベンEキングなどの海外のアーティストが出ていた。そこで、アマチュア時代のシャネルズもO.V.ライトと同じ回に出演したそうだ。

シャネルズも、シャ・ナ・ナがやっていたドゥワップ曲をカヴァーしていた。特にマーチンは、このデニーになりきってシャ・ナ・ナ・の「ティアーズ・オン・マイ・ピロー」をカヴァーしていた。

そして、シャネルズは楽屋の出待ちをして、彼らの前でアカペラでこの「ティアーズ・オン・マイ・ピロー」を歌い、メンバーから喝さいを浴びたそうだ。

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■クールスと混同

その後のちょっとおもしろい話をしてくれた。

一時期ニューヨークを本拠としていた日本人ブルーズ・シンガーの大木トオルさんが、やはりロックンロール・バンドのクールスをプロデュースすることになる。大木さんはその頃ニューヨークにいて、シャ・ナ・ナのメンバーとも交流があった。

大木さんがプロデュースするのはクールスの2枚目『ロックンロール・エンジェルス』(1976年)。そのとき、シャ・ナ・ナのメンバーは、楽屋口でドゥーワップを歌ったシャネルズのことをこのクールスと間違えて認識していたらしいことがわかったという。大木さんがシャ・ナ・ナに今度日本のロックンロール・グループをプロデュースすると言うと、「おおっ、その連中、俺たちの楽屋口に来て歌って行った連中だろう」と言ったらしい。ただ、いろいろな話をつきあわせると、やはり、それはシャネルズだった。

大木さんは新宿のルイードにもシャネルズを見に来てくれていたが、マーチンとはずっと親交をもっているという。

ちなみに、シャ・ナ・ナは1978年の映画『グリース』(ジョン・トラボルタ、オリヴィア・ニュートン・ジョン主演)のサウンドトラック盤に6曲提供。その中にこの「ティアーズ・オン・マイ・ピロー」も収録され、映画でもデニーがリードを取っている。

デニーが66歳で死去したことを伝えると、マーチンは「(66歳は」うちの親父と同じ年齢で亡くなった」ことで複雑な思いだと言っていた。

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ハッピー・バースデイ!

そして、今日(9月22日)はマーチンの誕生日。お誕生日、おめでとうございます。「ソウル・パワー・なにわ」も今日・明日2日間、がんばってください。

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OBITUARY>Greene, Dennis (January 11, 1949 – September 5, 2015, 66 year old)

ARTIST>Sha Na Na
ARTIST>Masayuki, Suzuki (Martin)

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