●トミー・リピューマ(ラプーマ)80歳で死去
【Tommy LiPuma Dies At 80】
訃報。
40年以上にわたり数多くのヒット作に携わってきたプロデューサー、トミー・リピューマ(ラプーマ)が2017年3月13日ニューヨークの病院で死去した。80歳だった。死因など詳細はまだ発表されていない。しばらく前から体調を崩していたとも言われる。ただ、ダイアン・クロールの最新作『ターン・アップ・ザ・クワイエット』を全面プロデュース、2017年5月5日全米発売される。これがおそらく遺作になるものとみられる。
トミー・リピューマ(ラプーマ)は過去半世紀アメリカの音楽業界でさまざまなタイプの、ひじょうに良質でクオリティーの高い音楽を作り上げてきた主要プロデューサーだ。音楽的センスもありながら、ビジネスセンスもあり、クリエイティヴなレコード会社のエグゼクティヴでもあった。
評伝。
半世紀におよぶリピューマ(ラプーマ)の歴史はアメリカ音楽業界のフーズ・フーの羅列になりそうだ。
1936年(昭和11年)7月5日、オハイオ州クリーヴランドに生まれた。両親はイタリアからの移民だという。幼少の頃は病弱で数年、寝たり起きたりだったという。そのときにラジオが「友達」となり、ラジオから流れてくるレイス・ミュージック(リズム&ブルーズ)に魅かれ、ソウル・ミュージックを愛するようになった。家では当時の人気のジョー・スタッフォードからグレン・ミラーまであらゆる音楽が流れていた。
13歳か14歳頃までにテナー・サックスを吹くようになり、友人とバンド活動を始めた。それで音楽の方が楽しいのでもともと嫌いだった学校をやめてしまう。すると父親が、「学校をやめるなら、何か商売をしろ」と言った。
父親がバーバーショップ(理髪店)を営んでおり、その関係で理髪の勉強をする学校に通い、いったんは父親から資金を借り店を出す。バーバーショップ・スクールの同窓生には、なんとボビー・ウォーマックがいたという。そして、このバーバーショップの近くにはラジオ局がいくつかあり、その人たちが立ち寄るようになった。
その頃、リピューマ(ラプーマ)はレコード・ディストリビューターの人物と知り合い、彼の元でそこの仕事を手伝う。ディストリビューターとは、レコードメイカーからシングル盤やアルバムなどのレコードが送られてきて、それを小売店に卸すような仕事をする業者だ。大きなディストリビューターだと、レコードの宣伝活動もやっていた。1年もしないうちに、ロスの人間が彼の噂を聞きつけ、その誘いでロスに移住。1961年か62年のことだという。ロスのリバティー・レコードでプロモーション担当の職を得た。その仕事が広がり、音楽出版社の仕事もてがけるようなり、デモ・テープ作りにもかかわるようになった。
そんな中で、1964年、同郷のクリーヴランド出身のオージェイズの「リップスティック・トレイセス」をプロデュース、これがヒットし、業界内で注目されるようになった。
これを機にリピューマ(ラプーマ)はハーブ・アルパートとジェリー・モスが始めていたインディ・レーベル、A&Mに引き抜かれ、ここでヒットを作り出すようになる。サンドパイパーズの「グアンタナメラ」や、クリス・モンテスの「ザ・モア・アイ・シー・ユー」などだ。
こうした実績を背景に、1968年、リピューマ(ラプーマ)はボブ・クラスナウとブルー・サム・レコードを設立。フィル・アップチャーチ、ベン・シドラン、クルセイダーズ、ヒュー・マサケラ、ポインター・シスターズ、ガボー・スザボー、ニック・デカロなどをてがける。
プロデューサーとしても注目されてきたリピューマ(ラプーマ)は、ブルー・サムのオウナーでありながら、フリーランスのプロデューサーとして、バーブラ・ストライサンド(『ザ・ウェイ・ウィ・ワー(追憶)』)をプロデュースしたり、1974年からはワーナー・ブラザーズ・レコードのスタッフ・プロデューサーとして動くことになる。そして、1976年、ワーナーと契約したばかりのジョージ・ベンソンのレーベル移籍第一弾となる『ブリージン』をプロデュース。それまでで最大のヒットとなり、グラミー賞も獲得するにいたった。
以後、ワーナーではマイケル・フランクス、アル・ジャロウ、スタッフ、デオダーと、ビル・エヴァンス、アントニオ・カルロス・ジョビン、ダン・ヒックスなど多数をプロデュース。
その後またA&Mでその傘下のホライゾン・レコードを担当、ここでブレンダ・ラッセル、日本のイエロー・マジック・オーケストラ、シーウインド、ドクター・ジョンなどをてがけた。
さらに、1979年にはワーナーのジャズ部門の副社長に就任。ビジネスマンとしての仕事と、プロデューサーの仕事を掛け持った。
1990年、ワーナーからエレクトラ・レコードの上級副社長に。1994年から2011年までGRP/ヴァーヴ・レコードをベースに活躍。その後はフリーランスのプロデューサーとして活躍を続けていた。最近は、最新作も含めてダイアン・クロールの作品をてがけていた。ポール・マッカートニーもてがけた。
(この項続く)
■Tommy LiPuma の表記について。
翻訳家の五十嵐正さんの指摘で、日本ではトミー・リピューマの表記が一般的になじんでいますが、実際の発音はラプーマが近いようです、とのことで、実際にラプーマと聞こえますので、本稿ではしばらく両表記併記します。
OBITUARY>LiPuma, Tommy (July 5, 1936-March 13, 2017, 80 year old)