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Channel: 吉岡正晴のソウル・サーチン
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●トミー・リピューマ(ラプーマ)80歳で死去(パート2)~ジョージ・ベンソン『ブリージン』誕生秘

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●トミー・リピューマ(ラプーマ)80歳で死去(パート2)~ジョージ・ベンソン『ブリージン』誕生秘話

 

【Story Of “Breezin” Recording】

 

誕生秘話。

 

名プロデューサー、トミー・リピューマ(ラプーマ)の名前を一躍世界的なものにしたのが、1975年のジョージ・ベンソンのアルバム『ブリージン』だった。このアルバムは彼らにグラミー賞をもたらし、それまでジャズという狭い枠のアーティストだったジョージ・ベンソンを一挙にポップ・スターにした。

 

その『ブリージン』誕生秘話。

 

ジョージ・ベンソンは素晴らしいギタリストでもあるが、1960年代から元々歌いたがり屋だった。だが長年のマネージャーが「君はギターが素晴らしいんだから、歌はやらないほうがいい。歌うな」と言い続けてきた。それでも、歌うことに執着していたベンソンは、1セットのうち1曲だけ歌って、それでもし客が帰らなければ、また1セットで1曲歌ってみようとした。

 

果たしてそれをライヴハウスで試すと、客は帰らなかった。それがギターほど絶賛されたかどうかはわからないが、客は歌がひどくて帰るということもなかったようなので、地道に歌い続けた。すると、たまたまそれを見ていた人物がいた。トミー・リピューマ(ラプーマ)だ。

 

1975年、ジョージ・ベンソンはCTIから移籍しメジャーのワーナー・ブラザーズと新たなレコーディング契約を交わしていた。そこで、そのデビュー作を誰にプロデュースしてもらうかいろいろとアイデアを出していた。

 

何人もの候補が現れては消えていたところ、候補の一人リピューマ(ラプーマ)が「なあ、君が歌ってるところを5年前にサンフランシスコで観たぞ。なんでレコード会社が君のその声を使わないのか理解できないな」と言ったのだ。

 

ジョージは即決で、リピューマ(ラプーマ)を次のプロデューサーにした。そして、リピューマ(ラプーマ)が移籍第一弾をプロデュースすることになった。

 

リピューマ(ラプーマ)によれば、このアルバムのほとんどの曲がワン・テイクで録音されたという。

 

「ディス・マスカレード」は、トミーがもともとレオン・ラッセルから送られてきたものを聴いていた。トミーによれば、レオンのものを聴いたときはそれほどぴんとこなかったが、これをデイヴィッド・サンボーンがカヴァーしているヴァージョンを聴いたところ、そのアレンジにぴんときた。サンボーンもちょうどこの頃ワーナー・ブラザーズと契約し、ファースト・アルバム用のデモ・テープとしてこれを録音していたのだ。サンボーンもサックスのインストゥルメンタルだったが、歌詞が気になったので、その場でレコード店に行き、レオン・ラッセルのアルバム『カーニー』を買ってきて、歌詞をチェックした。当初はこれもインストゥルメンタルで録音しようかと考えていたが、この歌詞にジョージ・ベンソンがほれ込んだ。そこで、ヴォーカル曲として録音することになった。ちなみに、サンボーンはのちにこの「ディス・マスカレード」を1995年のアルバム『パールズ』で録音、収録するがそのときのプロデューサーは、誰あろう、トミー・リピューマ(ラプーマ)である。

 

こうしてジョージ・ベンソンのヴォーカルをいれた「ディス・マスカレード」はクラウス・オガーマンのオーケストラ・アレンジを伴いアルバム唯一のヴォーカル曲として収録されるが、これはもともと8分以上の長さがあった。レコード会社の宣伝マンはさすがに8分の曲だとラジオでかからないので、4分以内のショート・ヴァージョンを作るアイデアを出し、プロデューサーたちの承認を得ることになる。会議でさまざまな意見がでたが、結局、ワーナーは3分17秒のシングル・ヴァージョンを作り、ラジオ局に宣伝していく。1976年6月のことだ。すると、みごとにこれが大ヒットとなっていく。ソウル・チャートで最高位3位、ポップ・チャートでも10位を記録。ベンソンにとって最大のシングル・ヒットとなる。

 

 

アルバム・タイトル曲「ブリージン」は、同郷でしかもバーバーショップ・スクールつながりのボビー・ウォーマックの作品だ。元のテークではボビーがギターを弾いていたが、そのチューニングが少し狂っていたために、フィル・アップチャーチが入れなおしている。

 

レコーディングは1976年1月6日から8日までの3日間、1日3時間で録音された。

 

こうして生まれるのがアルバム『ブリージン』だ。ここでベンソンが学んだことは、「必要な人物はたった一人、君を信じてくれる者だ」ということだった。この場合、他のプロデューサーはみな、ベンソンに歌うな、と言い、リピューマ(ラプーマ)だけが歌えと言った。そして、それが未曽有のヒットにつながった。

 

ジョージ・ベンソン『ブリージン』

https://goo.gl/BcmsNR

 

デイヴィッド・サンボーン『パールズ』

https://goo.gl/Nw2Kjg

 

 

OBITUARY>LiPuma, Tommy (July 5, 1936-March 13, 2017, 80 year old)

ENT>ARTIST>Benson, George

ENT>ARTIST>Sanborn, David

 

 


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