●ビル・ウィザース81歳で死去~朴訥とした吟遊詩人 (パート1)
【Bill Withers Dies At 81】
訃報。
アメリカのシンガー・ソングライターでソウル界の吟遊詩人とも呼ばれるビル・ウィザースが2020年3月30日、ロスアンジェルスで心臓の合併症で死去した。81歳だった。コロナ・ウィルスとの関連は現在のところ発表されていない。
Bill Withers, Who Sang ‘Lean on Me’ and ‘Ain’t No Sunshine,’ Dies at 81
By Neil Genzlinger
April 3, 2020
https://www.nytimes.com/2020/04/03/arts/music/bill-withers-dead.html
Bill Withers was the populist we needed
By
Robert Gebelhoff
Assistant editor and Opinions contributor
April 4, 2020 at 6:21 a.m. GMT+9
https://www.washingtonpost.com/opinions/2020/04/03/bill-withers-was-populist-we-needed/
Bill Withers, 'Lean On Me' and 'Lovely Day' singer, has died at 81
Lisa France byline
By Lisa Respers France, CNN
Updated 2105 GMT (0505 HKT) April 3, 2020
https://edition.cnn.com/2020/04/03/entertainment/bill-withers-obit/index.html
クエストラヴのDJショーではやくもトリビュート
https://www.pscp.tv/w/1lDxLgjXXYZJm
1971年ブッカーTがプロデュースした「エイント・ノー・サンシャイン」が大ヒットし一躍シーンに躍り出た。その後も多数のヒットを生み出した。
1970年代から80年代以降も、抒情的な作品を多数リリース。ブラックのシンガー・ソングライターとしてワン&オンリーな存在を示した。「ユーズ・ミー」「ハーレム」「ラヴリー・デイ」など。グラミー賞も獲得している。
ニューヨークタイムズ訃報→https://nyti.ms/3aEsuZe
評伝。
1938年7月4日ウェストヴァージニア州スラブフォーク生まれ。6人兄弟の末っ子。父親はスラブフォークのコール・マイナー(炭鉱掘削人)。ハイスクールを出た後東海岸のネイヴィーに。ここで約9年。内気な性格と吃音(きつおん・どもり)があったため、なかなか他の人と打ち解けなかった。
ネイヴィーを出た後、ロスに来て、ボーイング社の工場に就職。ここで技術職として飛行機のトイレの取り付けを行っていた。それまではミュージシャンやシンガーになりたいとは思っていなかったが、ルー・ロウルズのライヴを見て、シンガーは持てるようだと感じ、シンガーを目指すようになった。サラリーから貯金をし、数曲のデモテープを作り、これが当時サセックス・レコードを運営していた業界の大物、クラレンス・エイヴォントに認められ、同レーベルと契約。
弱小レーベルで制作予算もなく、3時間のスタジオ時間を3回(計9時間)で、ファースト・アルバムとなる楽曲を録音。この中からまず、「ハーレム」がシングルカットされるが、ヒットせず、続いて「エイント・ノー・サンシャイン」が1971年にシングルとして出て、見事な大ヒットになった。ブッカーTのプロデュースでアルバム『ジャスト・アズ・アイ・アム』制作。
実質的な1971年のデビュー時で33歳という遅咲き。
フォーク調の曲で当時としては異色だった。
これはスラブフォークで白人の友人と黒人の友人のどちらもおり、彼らがそれぞれ聞いていた音楽の影響を受けているという。白人はギターでフォーク調の曲、黒人は同じギターでもブルーズといった具合だ。
その後、3枚のアルバムを出し、サセックスが行き詰まり、1975年メジャーのコロンビア・レコード(CBS)に移籍。ここでスタジオ作5枚と1枚1972年10月6日ニューヨークのカーネギー・ホールでのライヴ・アルバムが1973年4月に出た。
この間に、1971年、「グランドマズ・ハンズ」、1972年「リーン・オン・ミー」、「ユーズ・ミー」、1973年「キッシング・マイ・ラヴ」、1974年「ザ・セイム・ラヴ・ザット・メイド・ミー・ラフ」、1977年「ラヴリー・デイ」などがヒットした。
1980年、グローヴァ―・ワシントン・ジュニアの誘いで彼のアルバムにゲストで出演。歌った「ジャスト・ザ・トゥ・オブ・アス」が大ヒット。同年、長い間の友人、ジョー・サンプルから声がかかりクルセイダーズ名義の「ソウル・シャドウズ」を録音。(アルバムは『ラプソディー・アンド・ブルーズ』) これもヒットし、ジャズ界でも大いに受け入れられ再度注目を集めた。
これはグラミー賞も獲得。グラミー授賞式でラルフ・マクドナルドらとの「3人だけの」「2人だけ(ジャスト・ザ・トゥ・オブ・アス)」。
Bill Withers Just the Two of Us (Grammy 1982) Live
https://www.youtube.com/watch?v=m0MzYc1IZow&feature=youtu.be
しかしコロンビア時代、担当のA&Rディレクター、ミッキー・アイクナーと大喧嘩をし、すっかり音楽業界に嫌気がさし、1985年のアルバム『ウォッチング・ユー、ウォッチング・ミー』を最後に実質的に音楽業界を引退、隠遁生活に入った。(このあたりの話は実にリアルで興味深いので後日)
その後、サンプリングという手法がでてきて、ビル・ウィザースの作品に再度注目が集まるようになった。また「リーン・オン・ミー」は、1987年、クラブヌーヴォーがディスコ調にしてリメイク、オリジナル同様全米1位を記録する大ヒット。グラミーを獲得。これまでに、3つのグラミーを獲得している。
2015年には「ロック殿堂」入り。
彼が2015年ロック殿堂入りしたニュース。10分余のスピーチ動画も→
また、2015年10月1日、ニューヨーク・カーネギー・ホールで1972年に行われたライヴをそのまま「ビル・ウィザース・トリビュート」としてライヴを敢行。ビル本人も顔を出した。
ライヴ評、セットリストなど。最後にビル本人もステージにあがった→
このライヴについて→
ビル語る
◎ビル・ウィザース語る
2014年07月03日(木)
グローヴァ―・ワシントン・ジュニアの「ジャスト・ザ・トゥ・オブ・アス」、クルセイダーズの「ソウル・シャドウズ」などの名唱も。
ジョー・サンプルが語るビル・ウィザースの「ソウル・シャドウズ」、録音秘話→
曲→https://www.youtube.com/watch?time_continue=3&v=0VKa_1mCVqw&feature=emb_logo
2009年のドキュメンタリー『スティル・ビル』(76分)を昨日久しぶりに見直した。ほんとに朴訥としたナイスガイだ。ラウル・ミドンとも共演。
DVD(リージョン1)
ユーチューブで見られます
https://www.youtube.com/watch?time_continue=463&v=S0thRH4qucU&feature=emb_logo
盟友ジェームス・ギャドソンはデビュー前からの友人。2枚目のアルバムからのつきあい。ライヴもだいたい彼がたたく。この映像にもジェームスの姿が映る。
ビル・ウィザースの楽曲は多くの映画、テレビなどにも使われているが、1989年には『リーン・オン・ミー(邦題、ワイルド・チェンジ)』と題された映画のテーマ曲となった。モーガン・フリーマンが都市の荒廃した学校を校長となって立て直す物語。
https://www.youtube.com/watch?v=8VmRNr9QbxQ&feature=youtu.be
ほかに1992年の『ボディーガード』では、「ラヴリー・デイ」がカヴァーされた。
またドキュメンタリー映画にもいくつか顔をだしている。2008年公開の『ソウル・パワー』(1974年のザイール・キンシャサでのモハメド・アリの戦いのドキュメンタリー)、2010年公開の『スティル・ビル』、1972年の『セイヴ・ザ・チルドレン』なども。
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Bill Withers: 5 Things You Need To Know About The Soul Icon
The three-time Grammy Award winner passed away at the age of 81.
https://www.bet.com/music/2020/04/03/bill-withers-5-things-to-know.html
「エイント・ノー・サンシャイン」は、映画『酒とバラの日々』を見てヒントを得て一気に書き上げた。
Q&A: Bill Withers on the immortality of "Lean On Me" and more
Zach Sorscher@fwmedia.com
Apr 21, 2010
By Ken Sharp
https://www.goldminemag.com/articles/qa-bill-withers-on-the-immortality-of-lean-on-me-and-more
2020年3月30日、ロスアンジェルスで死去。
(この項続く)
OBITUARY>Withers, Bill (July 4, 1938 – March 30, 2020, 81 year old)
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