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〇こんなときに聴く曲(パート3)~「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」

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〇こんなときに聴く曲(パート3)~「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」

 

【House Is Not A Home】

 

ホーム。

 

昨日「ホーム」を2種類投稿したあとすぐに思いついたのが、これ、「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」という曲。

 

「建物としての家は、人がいる家族がいる家、家庭ではない」という意味。ハウスは外側の建物、ホームはそのうちの人々、家族だ。そこに家が会っても、昔からの家族メンバーがいなければ、まったく意味がない」という物悲しい歌。「ステイ・ホーム」のコンセプトとはちょっと違うのだが、まあ、「ホーム」つながりということでご容赦を。(笑) 

 

バート・バカラック、ハル・デイヴィッドの名曲だ。最初にヒットさせたのは、1964年、バカラックたちの秘蔵っ子、ディオンヌ・ワーウィック。同年の同名映画のテーマとして書かれた。

 

 

ただ、リリース当初のシングル盤では、これはB面に収められた。B面ながら、ポップ・チャートでトップ100で71位を記録した。まあ、トップ40入りしていないので、大ヒットとはいえないかもしれないが、その後も多数カヴァー・ヴァージョンが出て、スタンダードになっていく。

 

ディオンヌのあとは、エラ・フィッツジェラルド、アニタ・カー、シェール、シャーリー・バッシー、メヴィス・ステイプルズ、バーブラ・ストライサンド、ロナルド・アイズレーなどが録音している。中でも僕が個人的に好きなのは、ルーサー・ヴァンドロスのヴァージョン。彼のファースト・アルバムに収録されていた。

 

Dionne Warwick - A House Is Not Home Live 1964

https://www.youtube.com/watch?v=olvaDzUi8c8

 

 

 

Best of CD, インポート

ディオンヌ・ワーウィック

https://amzn.to/3beElOc

 

Ella Fitzgerald: A House Is Not A Home (1969)

https://www.youtube.com/watch?v=K0fSMnGsBww

 

 

 

サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ オリジナルレコーディングのリマスター, 限定版

エラ・フィッツジェラルド

https://amzn.to/2VGhXXt

 

Luther Vandross - A House is not a Home (Live)

https://www.youtube.com/watch?v=Gu2JBMNBbKo

 

 

 

NAACPアワードでのライヴ。客席にディオンヌの姿も。1988年の第21回とみられる。ルーサーの歌唱にディオンヌが涙する名シーン。

 

The Essential Luther Vandross インポート

ルーサー・ヴァンドロス (2枚組)

https://amzn.to/2K437o7

 

 

ちなみにこのルーサーのヴァージョンはのちにカニエ・ウェストの「スロー・ジャムズ」にサンプリングされた。そして、ルーサーは『ネヴァー・トゥ・マッチ』以降ヒットを出し、ディオンヌ・ワーウィックを1983年、プロデュースし、アルバム『ハウ・メニー・タイムス・キャン・ウィ・セイ・グッドバイ』を出す。

 

~~~

 

A House Is Not A Home

Words by Hal David

Music by Burt Bacharach

Song by Luther Vandross, Dionne Warwick

 

[Verse 1]

A chair is still a chair

Even when there's no one sittin' there

But a chair is not a house

And a house is not a home

When there's no one there to hold you tight

And no one there you can kiss goodnight

Woah girl

 

[Verse 2]

A room is a still a room

Even when there's nothin' there but gloom

But a room is not a house

And a house is not a home

When the two of us are far apart

And one of us has a broken heart

 

[Refrain]

Now and then I call your name

And suddenly your face appears

But it's just a crazy game

When it ends, it ends in tears

 

[Verse 3]

Pretty little darling, have a heart

Don't let one mistake keep us apart

I'm not meant to live alone

Turn this house into a home

When I climb the stairs and turn the key

Oh, please be there

Sayin' that you're still in love with me, yeah

 

[Verse 4]

I'm not meant to live alone

Turn this house into a home

When I climb the stairs and turn the key

Oh, please be there, still in love

I said, still in love

Still in love with me, yeah

 

Are you gonna be in love with me?

I want you and need you to be, yeah

Still in love with me

Say you're gonna be in love with me

It's drivin' me crazy to think

That my baby couldn't be still in love with me

 

Are you gonna be? Say you're gonna be

Are you gonna be? Say you're gonna be

Are you gonna be? Say you're gonna be

Well well, well well

 

Still in love, so in love, still in love with me

Are you gonna be?

Say that you're gonna be

Still in love with me, yeah

 

With me, oh

Still in love with me, yeah

 

ENT>SONG>A House Is Not A Home

 

 

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●セイビル・ジェフリーズ(スイート・セイブル)57歳コロナで死去

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●セイビル・ジェフリーズ(スイート・セイブル)57歳コロナで死去

 

 

【Ceybil Jeffries Dies At 57 Due To Corvit-19】

 

訃報。

 

1990年代に、ディスコ、とりわけハウス系のダンス・ミュージック作品で知られるようになったシンガー、セイビル・ジェフリーズ Ceybil Jefferies [Jeffries]=別名スイート・セイブル Sweet Sable  が2020年4月9日ニューヨークで死去した。57歳。1962年11月28日生まれ。長く病(難病の神経性サルコイドーシス)を患っていたが、死去3日前にコロナウイルス陽性がわかった。娘のサブリナがSNSで発表した。現在の夫、アンソニー・ブレインとの間に、アンジェリック(娘)、アントニオ(息子)、そして、娘サブリナがいる。

 

 

https://bit.ly/3a9Wf31 

 

1962年11月28日ニューヨーク生まれ。本名、シビル・ジェブリーズ・ブレイン Sybil Jefferies-Blain。1990年アトランティックから「ラヴ・ソー・スペシャル」でデビュー。ディスコ・チャートで4位を記録。その後、1991年アルバム『レット・ザ・ミュージック・テイク・コントロール』発売。ここからさらに「オープン・ユア・ハート」も14位を記録した。日本でもアトランティックを配給するイースト・ウェスト・ジャパンから出た。

 

Ceybil Jefferies - Love So Special (Original Mix 1990)

https://www.youtube.com/watch?v=mhf-SNJSiMk

 

 

 

その後、1993年スコッティ・ブラザースと契約。スコッティ―が日本でもポニーキャニオンと契約していたことから同社からこんどは、セイブル・ジェフリーズ名義で「フレンズ(フォー・オールド・タイムス・セイク)」などが発売された。

 

Sweet Sable ft. Nikke Nicole スイート・セイブルとしての作品「オールド・タイムス・セイク」→

Sweet Sable ft. Nikke Nicole - Old Times' Sake | Official Video

https://bit.ly/2VwztNw

 

 

1994年R&Bチャートで15位。2パック主演の映画『アボーヴ・ザ・リム』から。

 

 

その後、インディ・レーベルなどでレコードをだしつつ、さまざまなダンス・ユニット、DJユニットなどに客演した。日本のDJユニットGTS、あるいはエムフロー(m-flo)などの作品にも客演している。また。ディープ・ゾーン、アーバン・ソウルなどにも客演、ヒットをだしている。

 

この客演は1994年。

Joe Flame & Master Rob (2) Presents Ceybil Jefferies - Thank U4 Blessing

https://www.youtube.com/watch?v=AlncKYt6Aa0

 

当時のダンス・ミュージック・シーンでは、ロリータ・ハロウェイ、ジョスリン・ブラウンらの後を狙うアディーバ、シビルなどと並んで活躍が期待されていた。

 

GTS ftg Ceybil Jefferies – Take Me Up To Heaven (Artimage) (1996)

 

ちなみに、1990年代初期頃、当時「ドント・メイク・ミー・オーヴァー」をディスコ・ヒットさせたシンガー、Sybilシビルとの混同を避けるために、芸名を頻繁に変えた。

 

当初はCeybil → Ceybil Jefferies → Sable Jefferies → Ceybil Jeffries、Sybil Jefferies、Sweet Sable などと表記が変わった。

 

ビルボードのディスコ/ダンスチャートでは、次の4曲がエントリーしている。

 

Love So Special [Ceybill] – 1990 (Atlantic)

Open Your Heart – 1991 (Atlantic)

It’s Gonna Be Alright [Deep Zone ftg Ceybil Jeffries] – 1995 (Sub-Urban)

Love Is So Nice –[Urban Soul ftg. Ceybil Jeffries & Troyetta Knox] (King Street)

 

ところが、彼女は2007年頃、難病の神経性サルコイドーシスに罹患し、その後完全に失明。2012年8月3日には彼女の治療費をねん出するためのチャリティー・コンサートがニューヨークで行われた。

 

2012年8月にセイビルが失明したことで行われたチャリティー・コンサートについて妹が少し説明する動画→

https://bit.ly/2K8Mfwx

 

この難病を抱えていたためにコロナにやられてしまったのかもしれない。

 

OBITUARY>Jeffries, Ceybill [Sweet Sable]

(November 28, 1962 – April 9, 2020, 57 year old)

 

 

-0200

〇ビル・ゲイツ、5年前に核戦争よりウィルスによる災害を予言

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〇ビル・ゲイツ、5年前に核戦争よりウィルスによる災害を予言

 

【Bill Gates Predicted Pandemic Of Virus 5 Years Ago on Ted Talk】

 

予言。

 

ビル・ゲイツが2015年3月に行われたセミナー・イヴェント、テッド・トーク(TED Talk)で、もし向こう数十年に1000万人以上が死ぬ災害があるとすれば、それは核戦争ではなく、ウィルスに関連するものの可能性が高いと予言。まさに、現在のコロナ禍を予言することになっていた。

 

 

テッドトークのビル・ゲイツのスピーチ(日本語字幕付き約8分半)→

https://bit.ly/2yiMYIU

 

 

 

(字幕はsetting →caption から世界各国語に選べます)

 

そして、これを受けて、2020年4月、トレヴァー・ノーアがゲイツに遠隔テレビ・インタヴュー→

https://bit.ly/2XMm1bj (約22分)

(これも字幕が選べるので日本語で見られます)

 

 

 

ここで、まさかこのコロナ・ウィルスが2019年にでてくるとは思わなかったが、あのときの目的は政府に投資を奨励することだったと述べている。しかし、いくつかは動きがあったが、残念ながらそれはかなわなかった。

 

さらにアメリカの人気テレビ・ショー、「ジ・エレン・ショー」でも司会者のエレン・デジェネレイがビル・ゲイツにテレビ・インタヴューした。2020年4月13日、すでにネットに内容がアップされた。(約18分)「今、何をすべきか」語る。

 

Bill Gates on Finding a Vaccine for COVID-19, the Economy, and Returning to ‘Normal Life’

https://bit.ly/2XFtyIB

settings→auto trranslation→Japanese で日本語字幕がでます

 

 

 

2020年4月16日,

ABC放送

Bill and Melinda Gates join global fight against COVID-19

https://www.youtube.com/watch?v=jiB7t1XJwxc

 

 

 

それにしても、5年前にこうしたことを知識として持っていて、発信し、実際いくつかのことにアクションを起こしていることに、尊敬の念しかもたない。

 

NEWS>CORVID-19>Gates, Bill

NEWS>Gates, Bill

 

 

 

-0030

〇クオモ・ニューヨーク知事の3月27日ジャヴィッツ・センターでのスピーチ

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〇クオモ・ニューヨーク知事の3月27日ジャヴィッツ・センターでのスピーチ

 

【Cuomo Speech On March 27, 2020】

 

スピーチ。

 

2020年4月17日のテレ朝の『大下容子ワイド! スクランブル』をつけていたら、デイブ・スペクターさんが、クオモ・ニューヨーク知事の話題を取り上げていた。弟のCNNキャスターとのやりとりも映像をみせながら、おもしろおかしく紹介していたが、その中で3月27日にジャヴィッツ・センターで行われた記者会見の模様の一部を見せた。それがなかなか立派なスピーチだったので、名スピーチ好きのソウル・サーチン・ブログではさっそくこれを紹介しようと思う。

 

 

全編の記者会見の模様は、次のところにあった。約48分ほど。この中でデイブさんが紹介したのは、27分40秒頃から、33分27秒頃までの一部。

 

https://www.youtube.com/watch?v=vUm00wIkqJk

 

そのピックアップした動画(日本語字幕付き)(約6分弱)

https://www.youtube.com/watch?v=hwyi_qPePfc

(この字幕はよくわかります)

 

その約6分の部分の英文の書き起こし。以下に。

https://abcnews.go.com/US/read-gov-cuomos-moving-speech-defeating-coronavirus/story?id=69839370

 

日本語の訳を探したのだが、ちょっと見つからなかったので、訳した。

 

~~~~~

 

この記者会見は、一時的なある意味野戦病院を作ったときのもので、そこで仕事をする医療従事者とナショナル・ガード(州兵・国家警備隊)を中心とした人たちへのスピーチです。ここでいう「あなたたち」は、ここで働くことになるナショナル・ガード、医療従事者たちを意味します。

 

 

(27:41)

 

■  厳しい闘いになる

 

私は二つのことを指摘し、お約束をしたいと思います。私たちが闘っているこのウイルスはこれまでにない「獣(けだもの)」で、「見えない獣」で、「知らないうちに悪化する陰湿な獣」です。対策は短期間ではできません。ちょっと近くに数日でかけるといったものではないのです。これに対し一生懸命戦い、何週間も、何週間も、何週間もかかって、やっとの思いで家に戻れるのです。それは、長い闘いに、厳しい闘いに、ひどい闘いになり、そして悲しい日々になります。

 

これはあなた方に課せられた救援使命です。人々の命を救う使命です。いま、あなたたちがやっていることです。救援の仕事は、人々の命を救うことですが、私たちが一生懸命戦っても、すべての人達の命は救えるわけではありません。さらにこの敵が残虐なのは、強い我々を攻撃するのではなく、我々の中で弱い人間を攻撃するということです。もっとも弱い人たちを攻撃するので、あらゆる点で最悪です。しかし、そういう人たちこそ私たちが守らなければなりません。

 

それは私たちの両親であり、祖父母であったり、おじさんやおばさんです。病にかかってしまった親戚を私たちは守らなければなりません。彼らを助けてください、彼らには私たちが必要なのです。そういう(弱い)人たちに、この敵は攻撃をしかけてくるのです。

 

ナショナル・ガード(州兵・国家警備隊)を招集するときいつも、私は今と同じことを彼らに言います。お約束します。私自身がやらないことは、あなたたちにやってくれとは言いません。ここでもまったく同じです。我々はやります、この戦いを一緒にやります。

 

■  今、歴史の転換点

 

二つ目は、あなたたち、わたしたちは、まさに歴史的転換点の真っただ中にいるということです。この瞬間について、将来何世代にもわたって書かれ、語り継がれることになるでしょう。この瞬間は、わが国を変革させることになるでしょう。この瞬間は人々の考え方を変え、人々の絆の在り方を変え、人々を変えることになるでしょう。そうして、この戦いで強くなる人々もいれば、弱くなる人々もいます。しかし、価値観が変わるであろう瞬間なのです。

 

今から10年後、みなさんは子供たち、孫たちに今日のことを話すことになるでしょう。亡くなられた人を思い出し涙することもあるでしょう。その顔や名前を思い出し、私たちがどれほど懸命に闘い、それでも愛する人を失ったことを思い出すでしょう。悲しみのあまり、涙を流すことになるのです。

 

しかし、あなたたちは、一方で、とても誇りに思うことになります。あなたたちが成し遂げたこと、いまここに立ち上がり、この場に来ていること、多くの人が安全圏にいるときにあなたたちが勇気をもって戦場にやってきたことを。あなたたちは、プロとしての熟練技能がありそれが人々の命を救うことになるのです。あなたたちがこれから成し遂げることは、まさにそのことです。

 

結局最後には、誰もあなたたちに何も要求し、望むことはなくなるでしょう。それでも、あなたたちができることをできるときにやる、それがあなたたちの仕事なのです。熟練した技術、勇気、才能を見せることになるでしょう。あなたの心とともに、患者に思いを寄せ、誇りをもってその任務にあたるでしょう。それがあなたたちに誇りを授けます。みなさんはそれを誇りに思うべきです。そして、私は、そんなあなたたちのことを誇りに思います。

 

ナショナル・ガードが招集されるときはいつでも、彼らはニューヨーカー(ニューヨークに住む人たち)に誇りを抱かせます。今一度、みなさんと一緒にいることを誇りに思い、この戦いをともに戦うことを誇りに思います。すべてのニューヨーカーを代表してあなたたちに感謝を述べたい。あなたたちが払う犠牲、ここに持ち込む熟練した技術、才能に感謝します。あなたたちは、ニューヨーカーたちに多くの自信を与えているのです。

 

私の友人であるみなさん、さあ今日から戦場にでてコロナ・ウィルスをぶっ飛ばしましょう。そう、ぶっ飛ばすのです。私たちは人々の命を救い、ニューヨークはみなさんに感謝します。神のご加護がみなさんすべてにありますように。

 

(33:27)

(拍手)

 

(訳=ソウル・サーチャー:約1612字)

 

~~~~~

 

訳してて泣きそうになった…。クオモ知事は、素晴らしいモチヴェーションを、これから戦場にでる兵士たち(医療従事者ら)に与えたと思う。

 

しかし、そこにいる人達をしっかり見ながら、プロンプターも何も見ずに、よくこれだけの話ができる。自分が話すべきことをしっかり、自分の頭の中で理解しているからだ。説得力が違う。クオモ氏は別の記者会見で、自分がすべての責任を取る、と言明。すばらしいリーダーシップを見せている。

 

~~~

 

下記に英文を。上記の動画ではSettingsからSubtitles、Auto Translate で Japanese でいちおう、ラフな日本語訳の字幕がでます。自動翻訳なのでちょっと厳しいところもありますw

 

~~~~

 

I want to make two points to you and I want to make two promises to you. This is a different beast that we're dealing with. This is an invisible beast. It is an insidious beast. This is not going to be a short deployment. This is not going to be that you go out there for a few days. We work hard and we go home. This is going to be weeks and weeks and weeks. This is going to be a long day and it's going to be a hard day, and it's going to be an ugly day, and it's going to be a sad day.

 

This is a rescue mission that you're on - the mission is to save lives. That's what you're doing. The rescue mission is to save lives and as hard as we work, we're not going to be able to save everyone. And what's even more cruel is this enemy doesn't attack the strongest of us. It attacks the weakest of us. It attacks our most vulnerable which makes it even worse in many ways. Because these are the people that every instinct tells us we're supposed to protect.

 

These are our parents and our grandparents. These are our aunts, our uncles. These are a relative who was sick and every instinct says protect them. Help them, because they need us. And those are the exact people that this enemy attacks.

 

Every time I've called out the National Guard I have said the same thing to you: I promise you I will not ask you to do anything that I will not do myself. And the same is true here. We're going to do this and we're going to do this together.

 

My second point is, you are living a moment in history. This is going to be one of those moment they're going to write and they're going to talk about for generations. This is a moment that is going to change this nation. This is a moment that forges character, forges people, changes people -- make them stronger, make them weaker -- but this is a moment that will change character.

 

Ten years from now, you'll be talking about today to your children or your grandchildren and you will shed a tear because you will remember the lives lost. You'll remember the faces and you'll remember the names and you'll remember how hard we worked and that we still lost loved ones. And you'll shed a tear and you should because it will be sad.

 

But, you will also be proud. You'll be proud of what you did. You'll be proud that you showed up. You showed up when other people played it safe. You had the courage to show up. You had the skill and the professionalism to make a difference and save lives. That's what you will have done.

 

At the end of the day, nobody can ask anything more from you. That is your duty, to do what you can when you can. You will have shown skill and courage and talent. You'll be there with your mind, you'll be there with your heart and you'll serve with honor. That will give you pride and you should be proud. I know that I am proud of you.

 

And every time the National Guard has been called out, they have made every New Yorker proud. I am proud to be with you yet again. I'm proud to fight this fight with you. And I bring you thanks from all New Yorkers who are just so appreciative of the sacrifice that you are making, the skill that you're bringing, the talent that you're bringing. You give many New Yorkers confidence.

 

So I say, my friends, that we go out there today and we kick coronavirus' a--, that's what I say. And we're going to save lives and New York is going to thank you. God bless each and every one of you.

 

(約664ワード)

 

~~~~

 

NEWS>CORONA>CUOMO
NEWS>CUOMO>SPEECH

SPEECH>Cuomo

 

 

 

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〇 コロナ禍~大分断と価値観大変換のとき

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〇コロナ禍~大分断と価値観大変換のとき

 

【The Time For Changing Of Value】

 

コロナ禍。

 

2020年4月13日の14時過ぎ、「コロナ禍によって、「311」の時以上の「価値観の大変動」「大変革」、そして「大分断」を感じている…。」とツイートした。

 

大きな災難、事件などで記憶に新しいところでは、ニューヨークの911のテロ(2001年9月11日)、2008年9月15日のリーマンショック、2011年3月11日の東日本大震災などがある。いずれも、世界の希望が失われ、しばらくどよーんとした空気に覆われた。しかし、今回のコロナ禍は、その比ではないような気がする。

 

世界規模、地球規模で災害がふりかかってきている感じだ。

 

~~~

 

大分断。

 

そして、人類はいま、命を大事にするか(生きるか)、経済を重視するかの二者択一を迫られている。各国ともこの二者択一には本当にぎりぎりのところで迷っているようだ。そしてこの選択が、予想以上に人々の分断を引き起こしている。

 

僕は「命あっての物種」と思うので、一日も早くこのコロナ禍が収束してくれることを望むが、もちろん、それによって経済が大打撃を受けることも理解できる。実際僕自身、大変な大打撃で明日の生活もままならなくなる。経済を重視するか、命を重視するか、実に難しい難題を人類は突き付けられた。

 

そしてもうひとつの大分断は、そのコロナに対する意識の低さと高さだ。意識が高く、コロナの恐怖を知れば知るほど、家に籠り、外に出ないでいたいと思う。一方、それほどまでの意識がなければそうは思わない。また意識していても、仕事上、満員電車に毎日乗らなければならない人たちもいる。

 

結局、「金」「経済」の問題になると、「持てる者」と「持たざる者」という大分断が起こる。

 

もうひとつ、情報収集の大分断が大きな問題だ。

 

ふだんテレビしか見ない人達、テレビも見ない人達、新聞を見ない人達、ネットしか見ない人達、これによる情報格差の大きさがこれまでになく大きなものになっていて、まさに情報を持つ者と持たざる者が大分断されている。

 

価値観の大変換。

 

311大震災の後、やはり価値観の大変換があった。それは戦争前・戦争後での価値観の大変換と同じほどのインパクトがあった。

 

たとえば、放射能・原子力はもう必要ないという考え方が支配的になった。しかし、これに既存の利益集団は抵抗する。ここにも大分断が行った。これも命か、経済かの問題だ。

 

そして今回はより切実に命か経済の二者択一を迫られている。

 

ではうまくワクチンなどが開発され、一年後か二年後にいちどこのコロナ禍が収束したあと、価値観はどう大変化するのだろうか。それがまだ僕には正直よくわからない。のど元過ぎれば熱さ忘れるで、また同じことを繰り返してしまうのか。それとも、違う価値観が人類共通の、共通認識になるのか。

 

衣食住、医、様々なインフラ産業、行政サーヴィス。日々の生活を支えるそうした基本活動以外、何が必要とされるのだろう。

 

日本全国の、地球規模の経済活動が止まって、いったいどうすればいいのだろうか。途方にくれる。希望さえ持てない。

 

ひとつ言えるのは、一昨日紹介したビル・ゲイツや、昨日紹介したクオモ知事のメッセージにもあるように、これは大きな人類の戦い、戦争だ。第3次世界大戦といっていい。今までの戦争との違いは、放射能との戦い同様、敵の姿が直接「目に見えない」点で、そこが本当に恐ろしい。「目に見えない」から、人にとって受け取り方が劇的に変わる。「見えないから大丈夫だろう」「おれは大丈夫だろう」と思ってしまう。しかし、実はあらゆるところが毎日血が飛び散っている戦場なのだ。人類の歴史から学び、あらゆる英知を結集し、この戦いに勝利しなければならない。

 

~~~

 

キャラクター(性格、価値観)。

 

昨日紹介したクオモ記事で彼が「キャラクター」という単語を使っていたところを、僕は「価値観」と意訳した。「性格」と訳していたところもあるが、ちょっとわかりにくいと思ったからだ。しかし、このコロナ禍があなたの「性格」そのものを変えることも確かにあるなとは思う。

 

人類の英知を集合させればきっとコロナとの戦いには勝利するだろう。そして、また次のなにかもわからないウィルスとの戦いにも負けることはないと信じる。

 

しかし、その戦いに勝利したあと、平穏な日常は戻るのだろうか。我々の生きる哲学が問われる。僕も答えがわからない。ソウル・サーチンが続く。

 

NEWS>COLONA

ESSAY>Values Of Matters

COMMENTARY>Colona

 

 

-0200

 

 

〇 コロナ・ウィルスから人類への手紙

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〇 コロナ・ウィルスから人類への手紙

 

【Coronavirus Letter To Humanity By Vivienne R. Reich】

 

手紙。

 

SNSでおもしろい文章を見つけた。コロナ・ウィルスから人類への手紙というものだ。これは、2020年4月6日に、ヴィヴィアン(ヴィヴィエンヌ)・リーチという女性がフェイスブックに投稿した詩のようなもの。わりとあちこちに拡散している。

 

 

私がコロナ・ウィルスで、あなたは地球人である人間、人類。なぜ、私がこの地球に登場したのか、説明し、警告を促している。

 

この中身と同じようなことを考えていたので、共感をもって読んだ。たぶん、日本語訳が自動翻訳のような感じだったので、訳してみた。オリジナルはシェア自由とのことなので、ブログに掲載する。

 

これって、やはりマイケル・ジャクソンの「アース・ソング」と根底は同じメッセージだと思う。マイケルが2009年に4年以内に何とかしないと大変なことになる、と予言していたのが、このコロナではないかと最近は思うようになっている。予言では2013年に起こることになったが、それから7年でとんでもないことが起こった。ただ、その前にこれに準ずるサーズSARSなどが起こっていたので、そこで対策を練っておけば、ここまでひどいことにはならなかったのかもしれない。しかし、それは結果論。

 

地球に人間がたくさん悪いことをしてきた。地球が反撃してきた。「アース・ソング」は地球の泣き叫びを歌っている。それと同じ内容がこの「コロナから人類への手紙」に書かれている。

 

この詩の最後の一行は、ほんとに恐ろしい。そうならないように祈る。

 

Micheal Jackson – Earth Song (Official)(約6分44秒) (2009)

https://www.youtube.com/watch?v=XAi3VTSdTxU

 

 

 

~~~

 

この詩に映像をつけた人がいた。英語の字幕(英語詩)をつけている。

 

Vivienne Rodriguez Reich (約3分58秒)

https://bit.ly/2zeZc5T

 

 

Vijayaratnam Ganeshkumarという人がアップした。

 

~~~~~

 

コロナ・ウィルスから人類のみなさんへの手紙

Written by Vivienne Rodriguez Reich

 

 

地球はささやいた

だが人類は耳を貸さなかった

 

地球は語りかけた

だが人類は聞く耳をもたなかった

 

地球は叫んだ

だが人類は地球の口をふさいだ

 

そして私が生まれた

 

私は人類を罰するために生まれたわけではない

私は人類を目覚めさせるために生まれてきた

 

地球は助けを求めて泣き叫んでいた

 

大洪水を起こした、でも人類は聞かなかった

大火事も起こした、でも人類は聞かなかった

猛烈なハリケーンも起こした、でも人類は聞かなかった

恐ろしい竜巻も起こした、でも人類は聞かなかった

 

汚染した水の中で海の生物が死んで行く

危険レヴェルほどの氷山の溶解

厳しい干ばつ

それでも人類は聞かなかった

それでも、あなたは地球の声を聞こうとはしなかった

 

地球がどれほど被害を受けても、人類はその声を聞こうとしなかった

 

終わりなき戦争

限りなき貪欲さ

 

あなたはただただ自分の生活を続けていた

どれだけの憎しみがそこにあろうと

毎日何人が殺されようと

 

地球が語りかけようとしている心配事より、あなたは最新のiPhoneを持つことの方が大切だった

 

だから私が今ここにきたのだ

 

そして、私は世界のその流れを止めようとしている

ついに「あなた」に耳を傾けさせた

私は地球人のあなたに避難を余儀なくさせ

私は地球に住むあなたに物質的な考えをやめさせた

今、地球に住むあなたは地球のように困っている

 

あなたは「自分だけ」が生き残ることを考えている

それはどんな気持ちですか?

 

地球に火を放ち、私はあなたに熱病を与えた

 

汚染された地球の空気で、

私はあなたに呼吸への宿題を課した

 

地球が毎日弱って行くように、私はあなたを弱らせた

 

私はあなたから日常生活の快適さを奪い取った

あなたの外出だ

あなたがもはや忘れていた地球とその痛み

そして私は世界を止めた

 

そして今…

中国の空気はきれいになった

工場は汚染を大気に吐き出さなくなり

空は澄み切ったブルーになった

 

水を汚していたゴンドラボートを使わなくなりヴェニスの水は透明になった

 

地球のオゾン層も地球の活動が休んでいるために復活しつつある

大都市での大騒音の問題も小さくなった

多くの船が行き来しなくなった海も静けさを取り戻した

多くのレストランが閉店したために魚と食料があふれている

 

そして、

あなたは人生で何がもっとも大事なのかに思いを馳せる時間を持つ

繰り返す

私はあなたに罰を与えるためにやってきたのではない。

あなたの目を覚まさせるためにやってきたのだ

これがすべて終わったら、私は立ち去る

 

この瞬間のことを忘れずに覚えて思い出してほしい

地球の声に耳を傾けて

あなたのソウル(魂)に心を寄せてほしい

 

地球を汚染するのはやめてください

人類同士で戦うことをやめてください

物質的なもので見栄を張るのはやめてください

そして隣人を愛してください

地球に、そして、そこに住むあらゆる生物にもっとやさしく愛を注いでください

そして地球を生み出した者を信じてください

 

なぜなら、もし私が再度ここに戻ってくるときには私はもっともっと強くなって戻ってきますから

 

コロナ・ウィルスより

 

(ヴィヴィエンヌ・ロドリゲス・リーチ著)

 

 〈訳・ザ・ソウル・サーチャー〉

 

~~~~

 

英文原詩

 

Coronavirus Letter To Humanity

Written by: Vivienne Rodriguez Reich

April 6, 2020

 

The earth whispered but you did not hear.

The earth spoke but you did not listen

The earth screamed but you turned her off.

And so I was born...

 

I was not born to punish you..

I was born to awaken you..

The earth cried out for help...

Massive flooding. But you didn't listen.

Burning fires. But you didn't listen.

Strong hurricanes. But you didn't listen.

Terrifying Tornadoes. But you didn't listen.

 

You still don't listen to the earth when.

Ocean animals are dying due to pollutants in the waters.

Glaciers melting at an alarming rate.

Severe drought.

 

You didn't listen to how much negativity the earth is receiving.

Non-stop wars.

Non-stop greed.

 

You just kept going on with your life..

No matter how much hate there was..

No matter how many killings daily..

It was more important to get that latest iPhone then worry about what the earth was trying to tell you..

But now I am here.

And I've made the world stop on its tracks.

I've made YOU finally listen.

I've made you take refuge.

I've made you stop thinking about materialistic things.

Now you are like the earth...

You are only worried about YOUR survival.

How does that feel?

 

I give you fever as the fires burn on earth.

I give you respiratory issues.. has pollution fill the earth air.

I give you weakness as the earth weakens every day.

I took away your comforts..

Your outings.

The things you would use to forget about the planet and its pain.

And I made the world stop...

 

And now...

China has better air quality.. Skys are clear blue because factories are not spewing pollution unto the earth's air.

The water in Venice is clean because the gondola boats that pollute the water are not being used.

The earths Ozone layer is healing due to the pause of movement our planet has taken.

There is less noise pollution in big cities.

Oceans are quieter because there is less ships sailing through. 

There is an abundance of fish and food like never before since more restaurants are closed. 

 

And......

YOU are having to take time to reflect on what is important in your life.

Again I am not here to punish you.. I am here to Awaken you...

When all this is over and I am gone...

 

Please remember these moments..

Listen to the earth.

Listen to your soul.

Stop Polluting the earth.

Stop Fighting among each other.

Stop caring about materialistic things.

And start loving your neighbors.

Start caring about the earth and all its creatures.

Start believing in a Creator.

Because next time I may come back even stronger....

 

Signed,

Coronavirus

 

Written by: Vivienne R Reich

 

Feel free to share:

~Feel free to copy and paste to share

 

ENT>POEMS>Reich, Vivienne R.

NEWS>Coronavirus

 

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●バーニー・エイルズ85歳で死去~元モータウン社長

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●バーニー・エイルズ85歳で死去~元モータウン社長

 

【Barney Ales Former Motown President Dies At 85】

 

訃報。

 

1961年、モータウンの創成期からプロモーション/セールスマンとして活躍しモータウンの多くのヒットに寄与し、その後社長にもなったバーニー・エイルズが2020年4月17日、カリフォルニア州マリブで死去した。自然死だという。85歳だった。

 

https://bit.ly/2XPJyI5

 

1934年5月13日デトロイト生まれ。Baldassare “Barney” Ales。なんと誕生日がスティーヴィー・ワンダーと同じ。https://bit.ly/3eLpTPQ

 

21歳のとき(1955年)デトロイトのキャピトル・レコーズの支店で働き始め音楽業界に入り、1960年にベリー・ゴーディーと知り合い、ゴーディーに誘われ、モータウン入り。

 

1961年頃からスティーヴィー、マーヴィン、スプリームス、テンプテーションズ、ミラクルズなど多数のヒットに寄与。1972年、モータウンが本社機能をロスアンジェルスに移したときもしばらくデトロイトに留まり、モータウンの運営をみた。

 

このころ、モータウン傘下、プロディガル・レコーズを設立、運営していた。

 

モータウンでは順調に出世。1975年に社長に。その後ロケット・レコーズなどを経て、1990年代後期に音楽業界を引退した。

https://bit.ly/3buhDli

 

イギリス在住の音楽ジャーナリスト、アダム・ホワイトとバーニー・エイルズが共著で『コンプリート・モータウン』という豪華本を2016年出版。

 

これは日本語版も出た→

https://amzn.to/2yvmSlM 

 

多くの未発表写真を掲載した大型本(いわゆるコーヒーテーブル・ブック)。アダムが多くの資料にあたり、モータウンの特に60年代をドキュメントした。

 

 

 

■関連記事

 

モータウン豪華写真集・全英・全米発売。日本版も11月発売へ

2016年08月11日(木)

https://amba.to/3bqkzPw

 

協力。

 

実はこの本については数年前から旧知のホワイトから連絡をもらって日本におけるモータウン・レコード、モータウン・アーティストについての情報を提供した。

 

すっかり忘れていたのだが、(2016年)7月になって彼から連絡が来て、イギリスで本がリリースされたとのこと。しかも、日本版も出るという。とりあえず一冊イギリス版を取り寄せてみたところ、大変立派なもので、大いに気に入ったので追加で注文し、お世話になっている友人のソウル・ブラザーたちにプレゼントした。ホワイトが本の最後の謝辞に僕の名前もいれたというので、小さい字を見ると、確かにYoshioka Masaharuという文字があった。

 

これほど立派な本に名前がプリントされたことはとても嬉しい。

 

~~~

 

OBITUARY>Ales, Barney (May 13, 1934 – April 17, 2020, 85 year old)

 

 

〇こんなときに聴く曲(パート4)~スキヤキ

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〇こんなときに聴く曲(パート4)~スキヤキ

 

【Stay Home Songs (Part 4)】

 

スキヤキ。

 

こんなときに聴く曲、パート4。なんとこの時期、坂本九の「上を向いて歩こう(英語題・スキヤキ)」があちこちでかかったり、歌われたりしているというニュースをみかけた。

 

確かに、とてもポジティヴな歌詞なので、いいかもしれない。

 

Sukiyaki (Ue o Muite Arukou) - Kyu Sakamoto (English Translation and Lyrics)

https://www.youtube.com/watch?v=C35DrtPlUbc

 

 

 

■関連記事

 

坂本九の「上を向いて歩こう」展、始まる

2013年04月21日(日)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11515167377.html

 

ピーボ・ブライソンと談笑~サム・クック~キュー・サカモト~ピーボのコネクション

2014年12月27日(土)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11969238867.html

 

ソウル・サーチン・レイディオ第36回セットリスト

2013年12月04日(水)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11716997657.html

 

~~~

 

ほかに、こんな曲があった。フランキー・ナックルズがそのものずばり「レッツ・ステイ・ホーム」。

 

Let's Stay Home (A Director's Cut Classic Club Mix) - Frankie Knuckles, Director's Cut & Inaya Day

https://www.youtube.com/watch?v=T0QYXUkdZqA

 

 

 

そして、R&Bシンガー、ジョーの「レッツ・ステイ・ホーム・トゥナイト」。

Joe - Let's Stay Home Tonight (Album Version)

https://www.youtube.com/watch?v=KshhYPGQFqA

 

 

 

アデリーンは「レッツ・ステイ・インサイド」。

Adaline - "Let's Stay Inside (Stripped)" as featured on Wynonna Earp

https://www.youtube.com/watch?v=_V87qvi3JsA

 

 

 

 

ENT>SONG>STAY HOME SONGS>

 

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〇 プリンス・トリビュートCBSで放送~BC最後の最高のライヴか

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〇 プリンス・トリビュートCBSで放送~BC最後の最高のライヴか

 

【Prince Tribute Live With All Stars: The Best Live BC[Before Corona]】

 

(内容でます。これから放送などをごらんになる方で事前に情報を見たくない方はご注意ください)

 

命日。

 

プリンスのトリビュート・イヴェントが今年のグラミー賞(2020年1月26日)の2日後(28日)にロスアンジェルスのコンヴェンション・センターで多くのスターたちが集まり行われ、その模様が編集されて4月21日、プリンスの4回目の命日にCBSから全米放送された。(日本時間22日午前10時から12時まで)

 

 

グラミー2日後ということで、グラミーに参加したアーティストたちも多くロスアンジェルスに残り、このトリビュート・コンサートに参加した。

 

今回のバンドのディレクターはシーラEで、トリビュート・バンドを仕切った。ジミー・ジャム&テリー・ルイスも共同ディレクター。

 

センターの花道は、シンボルマークに。

 

音楽ディレクター、シーラE

 

故ミニー・リパートンの娘で今ではコメディエンヌとして活躍中のマヤ・ルドルフの司会・紹介で、まずはH.E.R(ハー)とゲイリー・クラーク・ジュニアによる「レッツ・ゴー・クレイジー」からコンサート開始。

 

次々とアーティストが登場。登場アーティストと演奏曲は下記セットリストを参照してください。

 

後半登場するプリンセス&レヴォリューションのプリンセスは、司会のマヤ・ルドルフとグレッチェン・リーバムとそのときに自由に加えられる美しい女性のユニット。今回はウェンディ―とシーラEが加わった形。マヤとグレッチェンは大学時代からの友人で、ファンク・グループに入っていて、プリンスのカヴァー曲をよくやっていたという。

 

プリンセス=左マヤ・ルドルフ、右グレッチェン・リーバム

 

■フリートークなしの濃厚凝縮ライヴ

 

凝縮。

 

ライヴの合間には、過去のプリンスの映像や簡単な紹介などが挟まれた。スーパーボウルでのショー、グラミーに出たときの映像、CNNやオプラのインタヴューなども。

 

いわゆるフリートークはまったくなく、MCとプレゼンターがきっちりとした短い紹介だけでほとんど音楽ばかりという感じ。グラミーもうそうだが、それをより凝縮した感じだ。唯一の傷はCMが多数入り、けっこう長いこと。ただ、日本で放送されるときはこれがなくなるので、かなり一気に楽しめることになるだろう。

 

まさにめくるめくという感じの圧巻のライヴだった。さすがにグラミー・プログラムをプロデュースしてきたスタッフたちがたっぷり予算をかけて作った感じのショーだ。普通のトリビュート・コンサートではここまでできないだろう。

 

それにしても、けっこうCMが多いが、2時間があっという間のひじょうに密度の濃いライヴだった。ちなみにほぼ2曲に1回3分半から4分半のCMがはいり、計9回あったので、30分以上はCMになっていた。

 

ライヴ・パフォーマンスはどれも素晴らしかったが、個人的にはH.E.R.とダンサー、ミスティー・コープランドの「ザ・ビューティフル・ワンズ」とジャム&ルイス入りのモリス・デイ&ザ・タイム、メイヴィス・ステイプルズの「パープル・レイン」あたりは特にぐっときた。コモンがラップする「サイン・オー・タイムス」も、まさに今の時代にあいすぎるほどあっていた。タイムはただしジェシー・ジョンソンはいない。

 

コモン

 

まあ、よく言えば切りがないのだが、アリシアはプレゼンターとしての登場だけで、そこで「ハウ・カム・ユー・ドント・コール・ミー」を一節歌うが、本人がいるのだから実際に歌ってもよかったのではないか。チャカ・カーンの「アイ・フィール・フォー・ユー」、シーナ・イーストンの「シュガー・ウォールズ」はブッキングできなかったか。(笑)

 

■BC最後の最高のライヴか 

 

BC。

 

それにしても収録が1月末ということもあり、それはステージ上も観客席も濃密で濃厚接触のるつぼだ。今ではコロナ禍でとてもこのようなイヴェントもできない。1月と4月でこんなに世界が変わるとはとても想像できない。「コロナ前」最後のイヴェント映像ということになる。

 

Before Corona(BC), After Corona (AC)で何かエンタテインメントもすべて変わってしまうような気がする。これは、BC最後の最高のショーのひとつとして歴史に残るのだろうか。

 

日本では2020年5月31日、WOWOWで放送される予定。

 

ちなみに、元の1月28日に行われた元々の予定のセットリストは次の通り。キッドさんのウェッブから。放送されたときはフー・ファイターズの「ポップ・ライフ」とレヴォリューションの「マウンテンズ」がカットされた。同じアーティストがメドレーでやったものは、放送のものは1曲としてカウントしているので、ちょっとトータルの曲数はずれる。元のセットリストにはアッシャーのものがなかったので、たまたまここにはいっていなかったのかもしれない。

https://npg-net.com/2020-03-26/?fbclid=IwAR1eqv2OiMjjHPXn25p1BUc1_WBGe2ahlCyEKJuDfarIyhVXFTNiS4vYsCw#toc_id_2

 

■セット・リスト 2020年1月28日

 

1.    Let’s Go Crazy – H.E.R. and Gary Clark Jr.

2.    Nothing Compares 2 U – John Legend

3.    1999 – Juanes

4.    Sign O’ the Times – Common

5.    Pop Life – Foo Fighters

6.    Darling Nikki – Foo Fighters

7.    The Beautiful Ones – H.E.R.

8.    I Would Die 4 U – Miguel

9.    The Cross – Gary Clark Jr.

10.  Raspberry Beret – Beck

11.  The Bird – Morris Day and The Time

12.  Cool – Morris Day and The Time

13.  Jungle Love – Morris Day and The Time

14.  Adore – Earth, Wind & Fire

15.  Controversy – St. Vincent

16.  Manic Monday – Chris Martin (ex. Coldplay) & Susanna Hoffs (ex. The Bangles)

17.  Mountains – The Revolution

18.  Delirious – Princess & The Revolution

19.  America – Sheila E. & The Revolution

20.  The Glamorous Life – Sheila E. & The Revolution

21.  Purple Rain – The Revolution (feat. Mavis Staples)

22.  Baby I’m a Star – all-star (Group Encore)

 

(スペシャル・サンクス:キッドさん)

 

■オンエアされた分のセットリスト 「レッツ・ゴー・クレイジー:ザ・グラミー・サリュート・トゥ・プリンス」 2020年1月28日、ロスアンジェルス・ステイプルズ・センター、4月21日CBSで2時間にわたり放送。放送の順。

 

Let's Go Crazy: The Grammy Salute to Prince Set List:

Live recorded on January 28, 2020 – Broadcasted on April 21, 2020

 

MC Maya Rudolph

 

01.   H.E.R. and Gary Clark, Jr., "Let's Go Crazy"

02.   Miguel, "I Would Die 4 U"

03.   John Legend, "Nothing Compares 2 U"

04.   St. Vincent, "Controversy"

05.  Juanes, "1999"

06.  H.E.R., "The Beautiful Ones"

07. Usher, FKA Twiggs, "Little Red Corvette," "When Doves Cry", "Kiss"

08.  Chris Martin and Susanna Hoffs, "Manic Monday"

09.  Morris Day & The Time, "Jungle Love", “Cool", "The Bird"

10.  Foo Fighters, "Darling Nikki"

11.  Earth Wind and Fire, "Adore"

12.  Common, "Sign O' the Times"

13.  Beck, "Raspberry Beret" + a riff of “Let’s Go Crazy”

14.  Gary Clark, Jr., feat. Sheila E., "The Cross"

15.  Sheila E., "America," "Free", "The Glamorous Life"

16.  Princess (Maya Rudolph & Gretchen Lieberum & Wendy Melvoin) & The Revolution, "Delirious"

17.  Mavis Staples and the Revolution, "Purple Rain"

18.  Everybody, "Baby I'm a Star"

 

■メンバーズ

 

MC (Presenter)

 

Maya Rudolph

Alicia Keys

Fred Armisen

Naomi Campbell

Misty Copeland

Jimmy Jam & Terry Lewis

 

Musicians/Performers

 

Beck

Chris Martin

Common

Earth, Wind & Fire

Foo Fighters

Gary Clark Jr.

H.E.R.

John Legend

Juanes

Mavis Staples

Miguel

Misty Copeland

Morris Day & The Time

Princess & The Revolution

Sheila E.

St. Vincent

Susanna Hoffs

 

(2020年1月28日、ロスアンジェルス・ステイブルズ・センター、レッツ・ゴー・クレイジー、プリンス・サリュート)

 

ENT>LIVE>PRINCE TRIBUTE

ENT>LIVE>Let’s Go Crazy: The Grammy Salute To Prince

ENT>ARTIST>Prince

 

 

 

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〇大西つねきオンライン・フェス5月の連休に開催

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〇大西つねきオンライン・フェス5月の連休に開催

 

【Tsuneki Ohnishi Will Do On Line Festival May With Musicians, One-Man Play Artist】

 

開催。

 

れいわ新選組の大西つねきさんが、来る2020年5月2日(土)から5月5日(火)まで、都内のライヴハウスで行うイヴェントをインターネットを使ったオンライン・フェスとして開催する。毎日、違うエンタテイナーが登場する。インターネット経由で、各日1000円の入場料で当日リアルタイムで見ることができ、その後も3日間アーカイヴでも見られる。さらに「投げ銭」で出演者への心づけ(寄付)も可能。

 

 

ミュージシャンも会場もこのところ、すっかりコロナ禍で大きなダメージを受けているが、そのあたりを少しでも手助けしようという企画だ。

 

収入のうち4割を会場、4割が出演者、2割が主催者経費。

 

視聴するためにはインターネット視聴サーヴィス、ザイコZAIKOのアカウントを作る必要がある。無料。PC、スマホ、どちらでも対応。

 

登場アーティスト、ネットでの視聴の仕方など詳細はこちら

https://www.tsune0024.jp/tsunefes2020

 

チケット購入サイト(4日分、各日ごと変えます)

https://tsune0024.zaiko.io/e/tsunefes2020

(事前にZAIKOのアカウント登録が必要です)

 

ケイリブ・ジェームスのジャム・ケイク・バンドは、ファンク・バンド。「ソウル・サーチン」イヴェントのホスト・バンド、ケイリブ・ジェームス&ザ・ソウル・サーチャーズのリーダーが持つ別グループ。参加シンガー、ユリさんは久保田利伸、AIなどのバックコーラスとしても有名。

 

高山広さんは、彼の出し物の中でももっとも見ごたえのある『シン・ねずぶり』を披露。2時間半近くになる一人芝居だ。

 

「ねずぶり」劇評

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10438354359.html

 

 

出演者ご紹介

 

DAY1 2020年5月2 日(土)19:00-21:00

 

The Jamcake Band

 

ニューヨーク出身のKaleb James率いるThe Jamcake Bandのファンキーでソウルフルなライブ。Kalebは本国ではレニー・クラビッツ、日本でもCharaやAI、SMAPなどのサポート、最近ではFour Playのベーシスト、ネイサン・イーストのアジアツアーのサポートなども行う超実力派ミュージシャン。彼が日本で活躍するミュージシャンを招集し、今だからこそ伝えたいメッセージを音楽に乗せてお届けするまさに魂(ソウル)のライブ!是非ご堪能ください。

 

 

DAY2 5/3 (日)19:00-21:00

 

辻村ちひろ&つねき対談

 

昨年の参議院選で共にれいわ新選組から出馬して戦った二人、辻村ちひろさんと大西つねきの対談がついに実現。大西の主張する持続可能な社会という方向性により具体性を持たせてくれるのが環境エキスパートの辻村さんです。当日は大西の大きな方向性を具体化する様々なアイデアについてお話を伺います。ワクワクする未来をみんなで作って行きましょう!

 

 

DAY3 5/4 19:00-21:30

 

高山広 一人芝居「シン・ねずぶり」

 

人間のみならず、あらゆる動物やモノを一人で演じ、時にはコミカルに、時には熱く、涙と笑いの先にある人生の機微を演じるアクター、ディレクター、ライター、高山広。今回はあまりの大作ゆえ、滅多に演じられることのない伝説の舞台「ねずぶり」をリニューアルした「シン・ねずぶり」を上演。ネズミとゴキブリという最下層の戦いを通じて描く愛と本質。お楽しみに!

 

DAY4 5/5 18:00-21:30

 

大西つねきトークライブ

 

普段はリアルでしかやらない大西つねきトークライブを今回に限りオンライン公開。動画で公開しているものとはやはり全然違いますので、今まで生で聞いたことない方には是非ご視聴いただきたいと思います。3時間半と長丁場ですが、今だからこそ皆さまに聞いていただきたい本質を伝えたいと思います。※この日だけ18時開演です。

 

~~~~

 

ENT>EVENT>Ohnishi, Tsuneki

ENT>EVENT>On Line Tsune-Fes2020

 

 

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〇最新ペイズリー・パーク内部動画~デクスター・トーマスがダンにインタヴュー

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〇最新ペイズリー・パーク内部動画~デクスター・トーマスがダンにインタヴュー

 

【Vice News Released Paisley Park Images】

 

内部動画。

 

ふだんは入口で携帯も預けさせられる写真撮影も厳格に禁止されているプリンスのペイズリー・パーク・スタジオに我らがデクスター・トーマスがプリンス自伝編者のダン・パイペンブリングに案内されてインタヴューする動画が、プリンスの命日4月21日公開された。

 

image

デクスター・トーマス

 

We Took a Tour of Prince's Home Before Coronavirus Shut it Down

21 Apr 2020

https://bit.ly/3eKQqN2(約7分) 

 

 

 

これは、ちょうど昨年プリンスの自伝『ザ・ビューティフル・ワンズ』が全米で発売されたときにダン・パイペンブリングにインタヴューをオファーしたところ、実現したという。ただし編集した後のアプルーヴなどにかなり手間がかかたそうだ。

 

内部の動画かなり珍しい。この動画では、ダンとデクスターがプリンスが使っていたピンポン台でピンポンをしているところも映っている。

 

デクスターはここ4年程このヴァイス・ニュースで、文化、音楽、政治などさまざまなトピックでニュース映像にまとめて発表している。

 

最近の音楽ネタでは、なんと、日本でも1970年代一部のR&Bファンに熱狂的に支持されていたロイCの今を取材していた! 

https://bit.ly/2x4yb4h(約7分35秒)

 

 

 

 

 

サウスキャロライナで細々とレコードのディストリビューターをやっているロイCを取材した。その昔、「インピーチ・ザ・プレジデント(大統領を弾劾しろ)」などのシングルを出した。日本ではアルバム『セックス&ソウル』がマニアを中心にヒットした人でもある。

 

メジャーのマーキュリーでは、白人の顧客層もいるので、「大統領を弾劾しろ」といったメッセージ・ソングは出せなかったという。今でも、「大統領は、去れ」とメロディーを口ずさみながら歌うところなど、現役感いっぱいだ。

 

その後、彼の作品がサンプリングされちょっとした話題にもなった。

 

このインタヴューをしているデクスターは一時期日本にもいてさまざまな文化に興味をもっている人物。かつて、日本におけるソウル、ブラック・ミュージックの受け方を調べるために、僕と江守藹さんのところまで取材にきた人物だ。

 

デクスターについて→

2012年07月21日(土)

デクスター、「ギャングスター」を求めて(パート1)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11307355977.html

 

デジタル・デクスターさんと再会「ニグロズ・イン・東京」コラム

2014年11月30日(日)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11958425721.html

 

ENT>PRINCE>PAISLEY PARK
ENT>JOURNALIST>Thomas, Dexter

 

 

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〇 対・コロナ禍・ライヴハウスなどのクラウド・ファンディング

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〇 対・コロナ禍・ライヴハウスなどのクラウド・ファンディング

 

【Cloud Founding For Live Venue And Etc.】

 

クラファン。

 

このコロナ禍で経営などが苦しくなっているライヴハウスやイヴェントが、イヴェント中止、営業自粛などを補填するためにクラウド・ファンディングを始めている。僕の目に入ったものや、よく知っているライヴ・ハウス、バーなどのものをまとめてみた。興味ある方は、サポートされてはいかがだろうか。僕の個人的知り合いでここに掲載希望の方は、ebs@st.rim.or.jp など詳細情報お送りください。追記するか、またいくつかまとまったら、まとめてブログにご紹介します。

 

順不同です。

 

未来へつなごう!!多様な映画文化を育んできた全国のミニシアターをみんなで応援

ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金

https://motion-gallery.net/projects/minitheateraid

 

MUSIC UNITES AGAINST COVID-19

https://savelivehouse.com/

 

ライヴ・ハウス クロコダイル

CROCODILE

@crocodiletetsu

 · 4月17日

今店は全休!4/20からクラウドファンディングを始めます。

公開後のプロジェクトページのURLは

https://motion-gallery.net/projects/Crocodile になります。

この鰐を救って!

 

アップリンク・クラウド寄付込み見放題

https://uplink-co.square.site/

 

ブルーノートはオンライン・ショップ

https://store.bluenote.co.jp/ec/index

 

代官山 晴れたら空に豆まいて

の「存続」と「事業継続」のための緊急支援プロジェクト

https://motion-gallery.net/projects/haremame?fbclid=IwAR2OAKyYlhAIcdq6vtMR-etrb6LRdUKv3qNN6ko-ZjK3i-ZvwhCOAeYuAms

 

日比谷音楽祭2020|開催中止で仕事を失ったスタッフへサポートを

日比谷音楽祭事務局

日比谷音楽祭事務局

https://readyfor.jp/projects/HMF2020

 

ファンキー・ワーム・カフェTシャツ~コロナを乗り切れFWC-応援してねー企画

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10212864422444489&set=a.1716988063669&type=3&theater

 

CORONA>Cloud Founding

 

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●ハミルトン・ボハノン78歳で死去

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●ハミルトン・ボハノン78歳で死去

 

【Hamilton Bohannon Dies At 78】

 

訃報。

 

1970年代に「レッツ・スタート・ザ・ダンス」などシンプルなディスコ/ファンク曲で人気となったドラマー、プロデューサー、ハミルトン・ボハノンが2020年4月24日、生まれ故郷のジョージア州ニューマンで死去した。78歳。コロナとの関連など死因はまだ明らかにされていない。

 

 

Music legend Bohannon passes

By CLAY NEELY|Apr. 25, 2020 - 11:14 AM

https://times-herald.com/news/2020/04/music-legend-bohannon-passes

 

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評伝。

 

1942年3月7日、ジョージア州ニューマン生まれ。十代の頃テレビでディキシーランド・ジャズのザ・ボブキャッツを見て、そのドラマーにあこがれるようになった。高校卒業後、奨学金を得てクラーク大学に通い、その頃から地元のバンドに参加。地元のライヴハウス、ザ・ロイヤル・ピーコックのハンス・バンドのメンバーとなった。ただ昼間は学校で先制の仕事をやっていた。

 

このライヴハウスには多くの有名R&Bアーティストがやってきて、そうしたアーティストたちのバックをサポートした。バックをつけたアーティストにはジャッキー・ウィルソン、サム・クック、B.B.キング、大ナ・ワシントン、ジェリー・バトラー、パティー・ラベル、グラディス・ナイトなどがいた。そんなうちにゴージャス・ジョージのバック・バンドの一員となり、ツアーにでたところ、そのときに若き無名のスティーヴィー・ワンダーと出会い、意気投合。スティーヴィーのバンドのドラマーになる。1964年頃だ。その頃はまだジョージア州に住んでいたが、スティーヴィーとの仕事が多くなったことからデトロイトに引っ越し、本拠をデトロイトに。当初はスティーヴィーの母の家に間借りしていたという。

 

左ボハノン、スティーヴィー

 

そこでモータウンの仕事を多数やるようになり、モータウンのスタジオで多くの録音に参加した。1967年から1972年までモータウンのアーティストのライヴ、録音に参加。

 

1972年モータウンが本拠をデトロイトからロスアンジェルスに移したときも、デトロイトに留まり、デトロイトのクラブ「20グランド」のハウスバンドとして活躍した。この頃やはり無名時代のレイ・パーカーもいた。

 

レイ・パーカーの自宅にあった4トラックのテープレコーダーでデモ・テープを作り、売り込んだところ、ブランズウィック・レコードが配給しているシカゴのデイカー・レコード(カール・ディヴィス)が契約。1973年、「ストップ・アンド・ゴー」でデビュー。そこそこのヒットとなり、以後コンスタントにアルバム、シングルを発表。ヒットが続いた。

 

1974年の「サウス・アフリカ・マン」は、友人のマーヴィン・ゲイとの話からインスパイアーされて作ったものだという。

 

当時ディスコが大きな現象となり始め、ボハノンはいわゆる「四つ打ち」のシンプルなリズムのディスコ曲を多数出すようになり、それがヒット。「フット・ストンピン・ミュージック」、「ディスコ・ストンプ」などがヒット。1977年メジャーのマーキュリー・レコーズに移籍。1978年、最大のヒット「レッツ・スタート・ザ・ダンス」を生み出す。

 

1979年の「ミー・アンド・ザ・ギャング」は「レッツ・スタート・ザ・ダンス」の続編とも言える作品だったが後にポール・ジョンソンの「ゲット・ゲット・ダウン」などにサンプリングされ、よく知られるようになった。

 

その後、CBS参加フェイズ・トゥ・レコーズ、コンプリートを経て、1989年MCAからアルバムを出して一線から退いた。

 

実質的には1976年に生まれ故郷に自宅を購入し、本拠をジョージア州に移していたが、1983年頃からはライヴ活動をもしなくなり、印税でゆったりと暮らすようになったようだ。

 

2017年8月ジョージア州ニューマンシティーのピーチトゥリー・ストリートの一部(約4分の1マイル=400メートル)が「ハミルトン・ボホノン・ドライヴ」と命名された。

 

また、2019年4月25日モアハウス大学でチャリティー・ライヴをレイ・パーカーらと敢行。さらに、2020年2月にシングル「Bohannon Combination Gumbo Mix」を出していた。

 

OBITUARY>Bohannon, Hamilton (March 7, 1942 – April 24, 2020, 78 year old)

 

 

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〇大西つねきさんのユーチューブ番組「つねきの部屋」に高山広さんと出た

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〇大西つねきさんのユーチューブ番組「つねきの部屋」に高山広さんと出た

 

【Tsune-Fes: Tsuneki’s Room】

 

ズーム。

 

このところ、ほぼ毎日夜8時に自身のユーチューブ・チャンネルで生配信をしているれいわ新選組の大西つねきさんの「つねきの部屋」に2020年5月2日から始まる「つねきフェス」に登場する高山広さんと一緒にズームで出演した。

 

アーカイヴがすべて見られる。2020年4月26日(日)分はこちら。

https://bit.ly/2xZ8fHH (フル動画約71分、吉岡は23分30秒頃から)

 

 

前日に大西さんから連絡をもらいテレビ電話、会議のアプリ、「ズーム」の使い方などを試してみて、いろいろ試行錯誤して日曜の15時過ぎからの生放送にのぞんだ。

 

この日は、5月2日から5日まで代官山のライヴハウス「晴れたら空に豆まいて」(略称・晴れ豆)のオウナー、松崎さんが最初に登場、しばらくして高山さんが登場し、吉岡が呼ばれて三者トークとなった。

 

最初ズームをふだん使っている据え置き型のパソコンでやろうとしたが、そこについているカメラはたぶん10年以上前にスカイプを始めたときに買ったもので、試してみると著しく画像が悪かった。

 

そこで予備で使っているノート型でやってみると、そこそこの画像と音が行くらしいのでこちらでやることに。

 

ズーム・デビューとなった。大西さん、ありがとうございます。

 

そして、高山さんとは2月10日に大阪での『マイケル・ジャクソン 終わらないDの物語』の現場であって以来。

 

また、高山さんやケイリブたちのライヴを、オンラインでやっていくのはこれから中心になりそうだ。

 

高山さんの今回の出し物『シン・ねずぶり』についての劇評はこちら。こんな感じのものです。今回のものはヴァージョン・アップしているそうです。

 

■2010年の「ねずぶり」劇評

高山広ライヴ:「ねずぶり」~「ねずぶり」とは、そしてそのメッセージは

2010年01月20日(水)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10438354359.html

 

今回のオンライン・フェスの登場者は次の通り。

 

2020年5月2日(土)19時~

ケイリブ・ジェームス&ジャムケイク・バンド

2020年5月3日(日)19時~

辻村ちひろ&大西つねき対談

2020年5月4日(月)19時~

高山広 (一人芝居)『シン・ねずぶり』

2020年5月5日(火)19時~

大西つねき 一人トーク

 

詳細はこちら

大西つねきオンライン・フェス

https://www.tsune0024.jp/tsunefes2020

 

チケット購入(各日1000円)

https://tsune0024.zaiko.io/e/tsunefes2020

 

ザイコ(ZAIKO)のアカウントを作り(無料)、必要事項を記入し、購入へ。そのあたりが上記フェスのところに買い方などが書いてあります。

 

■関連記事

 

大西つねきオンライン・フェス5月の連休に開催

2020年04月24日(金)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12591886133.html

 

2010年の「ねずぶり」劇評

高山広ライヴ:「ねずぶり」~「ねずぶり」とは、そしてそのメッセージは

2010年01月20日(水)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10438354359.html

 

ENT>EVENT>Tsune Festival

 

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〇志村けんさんアルバム評をシンコーの「ミュージック・ライフ・クラブ」サイトで5月から公開

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〇志村けんさんアルバム評をシンコーの「ミュージック・ライフ・クラブ」サイトで5月から公開

 

【Shimura Ken’s LP Review Will Be On The Shinko Music Website】

 

朗報。

 

先日急逝したコメディアン、志村けんさんが1980年代初期に音楽雑誌「ジャム」に寄稿していたソウル、ブラック・ミュージックの新譜アルバム評を2020年5月1日からシンコー・ミュージックの「ミュージック・ライフ・クラブ」のサイトで復刻・公開することが決まった。

 

2020年5月1日からこのサイトで→

https://musiclifeclub.com 

https://www.musiclifeclub.com/

 

プリンス2作目『プリンス/愛のペガサス』 志村さんはこのアルバムをどう評したか

 

志村さんは、自他ともに認めるブラック・ミュージック好き。「ひげダンス」のリズム・パターンは、テディ―・ペンダーグラスの「ドゥ・ミー」を引用していることなどは、よく知られている。

 

そのあたりの具体的な詳しいことはこちらへ。

 

■関連記事

 

志村けんさんとソウル・ミュージック

2020年04月04日(土)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12586020554.html

 

そして、その通ぶりをジャム誌の当時のブラック・ミュージックの新譜アルバム評で垣間見せていた。

 

志村氏が書いたのは、1980年4月号から1981年1月号までの間の28本。

 

ジャム誌の発行元だったシンコー・ミュージックでは、これら28本からまず10本を読者からのリクエストをつのり順次掲載。その後、それらの反応がよければ少しずつ追加掲載し、最終的に28本が掲載されればいいというスタイルだ。

 

初回は10枚のアルバムを選び、それを5月1日以降、1回1枚ずつ公開していく予定。公開の頻度は週一なのか例えば3日に一度など未定。反応がよければ、これを10本以上でも続けていくという。

 

とりあえず、プリンス、ジャクソンズ、スティーヴィー・ワンダーは「シード枠」として先行で公開する。

 

その他のどれを読みたいかはリクエストを募り上位のものから発表していく。

 

メールの宛先は

mailmagazine@musiclifeclub.com

あるいは、ホームページの「こちらからメールで送信」などからリクエスト。

 

締切は2020年5月31日(日)23時59分まで。

 

28本の一覧表。★印はシード扱いで公開が決まっているもの。

 

※括弧内は原題。

 

jam・1980年4月号

  1    ブラザーズ・ジョンソン『ライト・アップ・ザ・ナイト(Light Up the Night)』

★ 2    プリンス『愛のペガサス(Prince)』

    3    ミリー・ジャクソン『ミリー・ジャクソン・ライヴ(Live & Uncensored)』

    4    エアプレイ『ロマンティック(Airplay)』

1980年5月号

    5    ピーター・ブラウン『恋のスターゲイザー(Stargazer)』

    6    ロバータ・フラック『ダニーに捧ぐ(Roberta Flack Featuring Donny Hathaway)』

    7    スモーキー・ロビンソン『ゼアズ・スモーク(Where There's Smoke)』

1980年6月号

    8    スピナーズ『ワーキング(Dancin' And Lovin')』

    9    ルー・ロウルズ『愛の語らい(Sit Down And Talk To Me)』

   10   チャカ・カーン『ノーティ(じゃじゃ馬馴らし)(Naughty)』

1980年7月号

   11   ブッカー・T・ジョーンズ『ベスト・オブ・ユー(The Best Of You)』

   12   アル・ジョンソン『セカンド・ウインド(Back For More)』

1980年8月号

   13   グラディス・ナイト&ザ・ピップス『アバウト・ラヴ(About Love)』

   14   レイ・パーカー・JR&レイディオ『誓いのセイム・タイム(Two Places At The Same Time)』

   15   コモドアーズ 『ヒーローズ(Heroes)』

1980年9月号

   16   マンハッタンズ『マンハッタン・ミッドナイト(After Midnight)』

   17   ダイアナ・ロス『ダイアナ(Diana)』

   18   ミリー・ジャクソン『フォー・メン・オンリー(For Men Only)』

1980年10月号

   19   スピナーズ『キューピッド(Love Trippin')』

   20   テディ・ペンダーグラス『TP』

1980年11月号

   21   アシュフォード&シンプソン『ミュージカル・アフェア(Musical Affair)』

   22   シリータ&ビリー・プレストン『ワン・モア・タイム(Syreeta)』

★23   マイケル・ジャクソン&ジャクソンズ『トライアンフ(Triumph)』

1980年12月号

   24   オージェイズ 『たそがれのバラード(The Year 2000)』

   25   スタイリスティックス『愛よ急げ(Hurry Up This Way Again)』

   26   レイ、グッドマン&ブラウン『マイ・プレイヤー(Ray, Goodman & Brown II)』

1981年1月号

   27   ドナ・サマー『ワンダラー(The Wanderer)』

★28   スティーヴィー・ワンダー『ホッター・ザン・ジュライ(Hotter Than July)』

 

ENT>ALBUM REVIEW>Ken, Shimura

 

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〇ジーン・ヴァン・ビューレンがあなたとあなたの恋人のために一曲歌う企画

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〇ジーン・ヴァン・ビューレンがあなたとあなたの恋人のために一曲歌う企画

 

【Gene Van Buren Would Sing For You】

 

パーソナライズド。

 

元モータウン・レコーズ所属のシンガー、ジーン・ヴァン・ビューレンが、個人的な相手に向けて曲を歌うというサーヴィスを始めた。

 

 

誰に向けてその曲を歌うかなど固有名詞を先方に伝えると数日で録音してファイルを送ってくれる。一曲約60ドル(約6600円)だ。希望の名前を6回ほどその曲の中で歌う。決済はペイパルPayPal。

 

ジーンのサイト「ラヴソング・ワンオーワン・ドット・コム」からオーダーする。曲は「アイ・アドア・ユー」というジーンの約2分50秒のオリジナル曲。

 

ホームトップページ

http://lovesong101.com/index.html

ENTER SITEから

 

申し込みサイト(サンプルが3曲)

http://lovesong101.com/request_song.php

 

1曲目はジョージからフェイへのラヴ・ソング。

2曲目はアレックスからマリヴェルへのラヴ・ソング。

3曲目はケヴィンからニコールへ。

 

歌詞はこうだ。

 

I ADORE YOU by Gene Van Buren

 

(オーダーのName) I adore you

You’re everything I’ve wished for

And not one day goes by when I don’t feel it

(オーダーのName) I adore you

Even when love isn’t easy

I know some how we’ll make things turn out right

Just remember

(オーダーのName) I really love you

(オーダーのName) you were made for me

Cause you bring such joy into my life

And with you I found my paradise

I am now and forever yours

 

-Instrumental-

 

Just remember

(オーダーのName) I really love you

(オーダーのName) you were made for me

Cause you bring such joy into my life

And with you I found my paradise

I am now and forever yours

 

With all my love

 

Senders Name(送り手の名前)

 

© Funshine Songs (ASCAP) All Rights Reserved

 

このサーヴィスを始めたきっかけなどを地元のテレビ局のニュース番組で紹介。(約1分37秒)

Former Motown Singer Gene Van Buren On How To Order a Personalized Love Song

282 views•24 Dec 2019

https://www.youtube.com/watch?v=kkSZVFbks_Y

 

誕生日プレゼントや、結婚記念日プレゼント、あるいは、プロポーズのときなどにいいかもしれない。

 

~~~

 

ジーンの唯一のモータウンからのアルバム。1982年作品。

 

WHATS YOUR PLEASURE - EXPANDED CD, インポート

GENE VAN BUREN

https://amzn.to/3cR4rqG

 

スポティファイ・リンク

https://open.spotify.com/artist/5VWSVAF9gvRGS2SIzHVQSe?si=0z_sMUykTqK-KVBLkOssSQ #NowPlaying

 

スポティファイ・リンク

<iframe src="https://open.spotify.com/embed/artist/5VWSVAF9gvRGS2SIzHVQSe" width="300" height="380" frameborder="0" allowtransparency="true" allow="encrypted-media"></iframe>

 

ENT>SERVICE>Personalized Love Song

 

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〇お知らせとお願い。ノートnoteで長編出します。ブログなどへのサポートのお願い

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〇お知らせ。ノートnoteで長編出します。ブログなどへのサポートのお願い

 

【Will start “note” And Ask Support To My Royal Readers】

 

お知らせ。

 

2020年5月1日になりました。コロナ禍が大事(おおごと)になって約2か月でしょうか。

 

本ソウル・サーチン・ブログは2002年6月6日スタート、2002年10月6日から現在まで毎日一日も休まず更新しています。他にはでないソウル関係の情報などを一日最低ひとつ提供しています。

 

これまで完全無給手弁当で運営してきましたが、昨今のコロナ禍などの状況も踏まえ、広くサポートを募集することにいたしました。しばらく前からおぼろげに考えていたことを正式に発表いたします。

 

ただブログの更新はこれまで通り、毎日すべて無料でごらんいただけます。もし記事を読んでサポートしてもよいと思われましたら、次の方法でサポートしていただければ幸いです。ストリート・ライヴの「投げ銭」のようなものです。実験的に次の方法を試してみます。

 

また過去ブログ記事で読み出のある両記事に加筆修正して再投稿も企画中です。

 

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2)      ペイペイ(PayPay)使用の方法

 

ペイペイアカウントをお持ちの方は、こちらのアカウントあてにお送りいただければ幸いです。送金先IDは、 whatsgoingon です。ホワッツ・ゴーイング・オンをワンワードにしたものです。こちらもサポートは匿名でもできますし、ペンネーム、もちろんご本名などでも可能です。もし受領の確認、あるいは領収書などが必要でしたら上記メールアドレスへお知らせください。PDFなどでお送りします。

 

4月投稿文から、文末に上記のお願いを記載しております。正確には4月28日から追記し、4月投稿分に追記しました。すでに何人かの方からサポートをいただき、大感謝しております。

 

■  note始めます

 

また、このブログは1エントリー1万字が限度ですので、しばらく前にアカウントを作っていたnoteでの投稿も始めます。すでにブログに8回にわたって書いたビル・ウィザースの記事に大幅に加筆・修正した『ビル・ウィザース物語』を近日中に発表いたします。当初は2万字程度でまとめようとおもっていましたが、すでに4万字近くになっており、かなり読み応えのある作品になっていますので、ぜひご期待ください。また『ビル・ウィザース物語』のあとに、『グロリア・ゲイナー~アイ・ウィル・サヴァイヴ物語』を予定しています。

 

 

とりあえず、アカウントは次の通りです。

https://note.com/ebs

IDはSoul Searcher です。まだほとんど記事はありませんが、こんごひんぱんにアップしていこうと思います。当初はブログと同内容をアップする予定です。

 

こちらのnoteはもともと課金できるようなシステムになっていますが、これも全文は公開しますので、読んで「よい」「いいね」と思われましたら、投げ銭感覚でお願いできればと思います。ただnoteでの寄付はクレジットカード番号の入力が必要で、それがちょっと手間です。ペイパル、ペイペイのほうが簡単かと思われますが、みなさまにお任せします。あるいは他の決済方法で読者の方が決済しやすいものがあれば、ご推薦ください。できるだけ取り入れたいと思います。ただ銀行振込は手数料がかなり割高なので、現実的ではないような気がしています。

 

インターネット上の情報は多くの人が無料で手に入れると思っています。そこで、インターネットへの課金は向いてないと考えていますが、ここにきてそうも言ってられないなという感じです。

 

コロナ禍、みなさんとともに生き残りましょう。サポートへのご理解をいただければ幸いです。

 

ソウル・サーチン・ブログ運営・吉岡正晴

 

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■■「ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ」001 ■■ 〇「『人生で一番高い買い物~あ

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■■「ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ」001 ■■

 

〇「『人生で一番高い買い物~あるミュージシャンのある物語』~カール・アンダーソン (パート1)

 

本記事はnoteでも最後まで読めます

https://note.com/ebs/n/ncba1bc2d6c5b

 

【The Most Valuable Thing He Ever Bought In His Life】

 

買い物。

 

「ソウル・サーチン・ブログ」になってから18年。それ以前の執筆活動も含めると1975年からとして45年。そのアーカイヴから傑作を掘り起こしていくシリーズ、その第一回。過去20年超の中で僕がもっとも好きなストーリーの一本です。カール・アンダーソンのインタヴューは1991年6月14日と1992年8月5日都内のホテルで各60分程度行われました。本稿のオリジナルの一部はダイナースクラブの会報誌「シグネチャー」1995年3月号に発表されそれに加筆修正しました。

 

深淵なテーマは「人生の微調整」、そして、これまた普遍的な「父と子」。カール・アンダーソンの人生における「微調整」とは、そして、カールと父の確執とは。あなたが買った生涯でもっとも高い物は何ですか? 5000字超の物語をゆっくりお楽しみください。

 

(黙読ゆっくりで1分500字、早い人で1分1000字~1200字換算すると、10分から5-6分です。ちなみに声を出してのいわゆる「音読」、あるいはアナウンサーは1分300字くらいの速度で読むそうなので、アナウンサーが読むと17分くらいの至福のひと時です)

 

カール・アンダーソン

 

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カール・アンダーソンの人生で一番高い買い物~

 

『人生で一番高い買い物~あるミュージシャンのある物語』

 

衝突。

 

父親が聴かせてくれたサム・クックとナンシー・ウイルソンのレコードがその息子の行く道を決めた。父は彼に医者になってほしいと願ったが、息子は歌手を目指した。父と衝突し家を出た時16歳だった少年、彼の名はカール・アンダーソン。今年(1995年)で51歳になるヴェテラン・シンガーだ。

 

彼は自らを「人生をゆっくり学んでいるスロー・スターター」と呼ぶ。カールには大学に通う息子がいて、父も健在だ。二十代でヒット・ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』に抜擢されスターになった彼はここ数年、じっくりと自分の人生の様々な部分を振り返り考えるようになった。

 

カールは人懐っこい笑顔を見せながら、ゆっくりと言葉を選んで語る。

 

「私はずっと長い間、仕事ばかりを追及してきた。だが、ほんの数年前から、自分の人生を第一に考えるようになった。仕事第一で行くとどうしても自分自身の人生が二義的なものになってしまう。だが、実際はそうではないんだ。反対なんだよ。自分の人生を追及していけば、仕事におけるキャリアはそれに付いてくるんだ」

 

大きく息をついて、彼は自分の人生を振り返る。五十代にアプローチして、やっと自身が成し遂げてきたことをよくも悪くも冷静に評価できるようになった。

 

「子供時代は厳しく辛かったが、二十代前半は本当によかった。若くして、世界中に行け、おそらくこの仕事をしていなければ決して会えないような人々にも会うことができた。イギリスの女王やイタリアの首相に会ったり。だが大人になった今、それを考えると、そうしたことが一体何の意味があったんだろうと思う。子供が生まれて、私はそれまでやってきたことの意味をじっくりと考えるようになった」

 

そして、ちょっとしたことが、人生を変えるという話をしてくれた。

 

                @@@@@

 

微調整。

 

彼は、二十代で結婚し息子をもうけたが、その後離婚。離婚して数年間、独身生活を続けていた。食事は、ほとんどすべて外食か、家で食べるときでも、テレビを見ながら、簡単なものしか食べていなかった。そんなとき、友達が面白い本をカールにくれた。『人生のインストラクション・ブック』といった類の本で、ここには、ちょっとした生活のヒント、人生を楽しく過ごすための格言のようなものが、たくさん書かれていた。

 

いわく「商売のトリックを学ぶな。商売を学べ」。

いわく「消防士、警察官、兵士には敬意を表しなさい」。

いわく「両親を尊敬し、母親には電話をしなさい」。

いわく「車は、安い車を選び、家は自分が買える範囲でもっとも高いものを買いなさい」。

 

「これはカリフォルニアではあてはまらないんだけどね。あそこではみんなが多くの時間を車の中で過ごすから」と彼は笑う。

 

その中に「良い食器を使いなさい」というフレーズがあった。カールはこれを見て思い当る節があった。というのは、彼が新品でもらった良い食器が段ボールに入ったまま、何か月も眠っていたからだ。そこで、カールはそれまでのインスタント・フードをやめ、毎日、前菜からメインまでコースの食事を自分のために作り始め、その眠っていた良い食器を使い始めたのである。それは自分自身を特別なゲストとしてもてなすディナーだった。

 

するとどうだろう。なぜか、人々の彼に対する接し方が急に変わり始めたのである。そしてまもなく、彼は新しいガール・フレンドと出会うことになる。ある晩、カールはその彼女を自宅に招き、ディナーを振る舞うことになった。しかし、彼にとって、良い食器を使い、前菜から始まるコース・ディナーを作るのはお手の物だ。ワインを用意して、テーブルをセッティングし、彼女のために豪華なディナーを準備すると、彼女は「これを本当に私のために作ってくれたの?」と驚いた。

 

彼は「もちろん」と答える。だが、彼にとっては昨日と同じものを、同じように作っただけなのだ。そして、彼と彼女は親密になっていく。

 

彼は語る。「それまでも、誰かゲストが来ればいろいろ料理をしたが、自分一人のためにきちんと料理をしたことはなかった。これは、人生における『微調整』だと思う。以後、すごく、自分の気分が良くなったよ。そして、同時に自分自身に対しても、ハッピーになった。何だか人生が開け始めたような気がしたんだ。それからは、それまで以上に自分自身を愛せるようになった。私がこのことから学んだことは、ほんのちょっとした『人生の微調整』でも大きな結果をもたらすことがある、ということだ」

 

                @@@@@

 

責任。

 

なぜ、彼は人生の微調整を試みようと思ったのか。何か彼の人生に転機でもあったのか。

 

「ここ数年、人間というものがどれほど無力で、壊れやすいものかを痛感したんだ。ハイスクール時代からの親友が突然死んだ。彼は非常に健康で、素晴らしいスポーツ選手で、とてつもない頭脳の持ち主だった。そんな彼が死んで、自分の人生を振り返るようになった。彼はなりたいものには何でもなれただろう。大統領にだってね。今、彼がこの世を去って、どのようにして、彼の人生の尊さを計れるだろうか。彼のその尊さを語れるのは、恐らく自分も含めて彼を知るほんの何人かの友人たちだけだ。そこで、彼が私に残してくれたものに、私が何かを足して、だれかにそれを伝えたい。私もここ(日本)に来てほんの数日だが、私が日本を去った後も、ここには私と彼のレガシーは残る。彼には子供がいなかった。彼が死ぬ前に、同窓会のことなどで、いろいろ長話をしたんだ。そのときの同窓会は、彼が唯一出席できなかった会で、私が彼に電話して、その同窓会がどれだけ盛り上がり、素晴らしかったかを伝えた。次の年は私が日本に来ていて出席できなかったので、今度は彼が電話をしてきて、同窓会の話をしてくれた。そのとき、彼は今度結婚して子供を作るんだ、と言っていた。だが、どういうわけか結婚はしなかった。彼の存在は、彼を知っている人たちには強烈なインパクトを与えている。その彼の死は、私の人生に様々な点で大きな衝撃を与えた。つまり、次の瞬間に、何が起こるかわからない、ということだ」

 

カールはその後『ファンタジー・ホテル』(1992年)というアルバムを発表する。

 

 「ここに収められた私のステイトメントは、今この瞬間こそ貴重なものだ、ということなんだ。この瞬間は、二度と再び訪れない、という意味だ。今起こっているいいこと、素晴らしいこと、この場にあるこの美しい色、いい匂い。これらは今ここで感じなければ、二度と感じることはない、ということなんだよ」

 

そして、カールはその頃から自分自身に対する責任感というものを真剣に考えるようになった。自分のレコードが売れないのは、レコード会社の責任ではない。自分にいい仕事が回ってこないのは、マネージャーのせいではない。私の人気が爆発しないのは一般大衆の責任ではない。それはすべて私自身の責任なのだ、ということを強く意識するようになった。そして、こうした意識が彼の人生を一歩進展させたと彼自身は思っているのだ。

 

                @@@@@

 

闘争。

 

そして、彼が人生の微調整をしてから半年もしない内にこんな事が起こった。

 

16歳のときに彼が家出をして以来、父親とカールの間には深い溝があった。カールは自分が父が住むワシントンDCでコンサートを開く時に毎回父親を招待していたが、これまで一度も会場にやってきたことはなかった。

 

父親はカールの仕事を理解できないでいた。また、医者になって欲しいという自身の夢を叶えてくれなかったことへの恨みもあったかもしれない。だが、その時、80歳を越える父親が、生まれて初めて、カールのコンサートを見に来たのだ。カールの姉が無理矢理父親を連れてきたとはいえ、何はともあれ会場にやってきたのだ。それは、父親にとって初めてのカールのステージであるだけでなく、生涯初めて見るコンサートだったのだ。車椅子には乗っているが、父はまだまだ健康だ。

 

カールは、父親がステージ上の自分のことを見てどう思うか考えた。80歳を越えた父は、まもなく50歳になろうとしている自分の息子がステージでしていることを見てどう思うのだろうか。父親が50歳の時には、何をしていたのだろうか。ステージで歌いながら、そんなことばかりがカールの脳裏をかけめぐった。

 

おそらく、父親も混乱していたにちがいない。カールがやっていることは、きっと、父からすれば20歳位の若い連中がやるようなこと

だと思っただろう。

 

「私は、父が絶対にそう思ったと確信しているよ」とカールは言う。父親は、カールがこのショウ・ビジネスの世界に入ることに反対で、まったくサポートしてくれなかった。

 

「父は決して私がシンガーになることを喜んでいなかった。多分今でもね。これは私の人生における最大の闘争だった。父親は私に医者になってほしかったのだ。実は私自身も、(今では)息子にはシンガーにはなって欲しくないと思っているんだ。ただし、彼がその道を選ぶのなら、力を貸すけれどね。息子は、私が歩んだ道よりはもう少しましな道を歩むことになるだろう。だが、私は父が自分にそうしてくれなかったことに対して彼を責めたりはしない。私は父親と断絶してしまったからだ。父には私をサポートするということがどうしても理解できなかった。そのことで私は悲しい思いもしたが、今、息子ができて、父の気持ちが少しはわかったような気がする。父親を見て、息子を見ていると、いろいろなことがわかってくる。例えば、息子が12歳になれば、自分が12歳の時と重ねあわせながら振り返ることができるからね」

 

彼は続ける。「十代の時、父が私を応援してくれようが、くれまいがそれは関係なかった。彼がたとえ私に罰を与えても、私は自分がしたいことに邁進したからだ。私は時にこんな責任を感じることがある。つまり、私には今13歳になる息子がいるが、息子は私にとっての『未来』なんだ。私はこの世界が彼にとって快く住めるようなところにしたいと思う。戦争なんか起こらないでほしいし、責任感というものを息子にももって欲しいと思う」

 

カールと長い間戦ってきた父親は、何千人もの観客の前でカールが歌う素晴らしいステージを見て、どう思ったのだろうか。驚いたかもしれないし、恐怖さえ感じたかもしれない。それはすべて彼にとって初めての新しいことだったからだ。

 

「父は何も口に出して言わないが、それでも、恐らく、私のことを誇りに思ってくれたに違いない」とカールは推測する。

 

                 @@@@@

 

解放。

 

彼はその日、車椅子に乗った父親をステージに上げ、観客に紹介し、父に向けて「イフ・アイ・クド」という曲を歌った。

 

「もし私にできることなら、私が経験してないことでも、おまえに教えよう。もし私にできることなら、私が燃やしてしまった橋をもう一度元通りにして、お前を渡らせよう」といった内容の、いわば親から子へのメッセージ・ソングだ。カールは、これを父から自分への歌として歌ったのだ。

 

「『イフ・アイ・クド』を歌う時は、いつも涙がでてしまうな。父親には、(僕からの)そのメッセージが伝わらなかったようだ。でも、これは自分自身のためにやったからいいんだ。それは私にとっての解放の瞬間だった。父親は、私にサム・クックとナンシー・ウイルソンを与えてくれた。彼が与えてくれたそうしたレコードに影響され、私はシンガーになりたいと思った。だから、その部分で父親にも責任はあるんだがね」と彼はポツリと言った。彼にとっては、家を出てから30余年にして初めて、父親に自分の気持ちを何千人もの前で告白することができ、満足だったのである。

 

良い食器を使い始めたことと、父親がライヴを見に来たことは直接関係ないかも知れない。だが、カールにとってそれは偶然とは思えない。

 

彼は言う。「何かに価値を付ければ、それがそのものの価格になる。私は自分がしたいことをするため、ミュージシャンになるために大変高い代償を払った。つまり、これは私が生涯買った物の中で、もっとも高い買い物だった。私はこれを父親から買ったのだ。だがその価値は充分にあった」

 

彼がそう言ったとき、彼の目は赤くなっていた。

 

IF I COULD – Carl Anderson

https://www.youtube.com/watch?v=CZcx3x5FdGo

 

 

 

 

         @@@@@

 

(この項、『イフ・アイ・クド』物語につづく)

 

(カール・アンダーソンは2004年2月23日58歳で亡くなりました)

 

吉岡正晴

(1995年1月・記=オリジナル)

(オリジナル・ヴァージョンはシグネチャー誌1995年3月号に掲載。ウエッブに掲載した本稿は、2002年9月、オリジナル執筆時に文字数の関係でカットしたものを加筆しました)

 

「ソウル・サーチン・ブログ」のオリジナルはこちら→

http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/story/anderson199501.html

 

(注)

 

 「イフ・アイ・クド」は、カールの1990年のアルバム『ピーセス・オブ・ア・ハート/(邦題・夏の夢のかけら)』に収録されています。

 

タイトル 「カール・アンダーソン/夏の夢のかけら 」

原題 Pieces Of A Heart

メーカー MCA

レーベル GRP

品番 MVCR 67 (旧番号:VICP-48(900621・VI))

発売日  1994年8月24日  (再発)

税込価格 2,548円

https://amzn.to/2y8x3gF

 

演奏者 カール・アンダーソン(vo)ジョー・サンプル,ラッセル・フェランテ (p)カーク・ウェイラム,サム・ライニー(sax)ラス・フリーマン(g,sy n)(2)ブレンダ・ラッセル(vo)他

 

曲目

(1)マイ・ラヴ・ウィル

(2)ベイビー・マイ・ハート(デュエット・ウィズ・ブレンダ・ラッセル)

(3)ハウ・ディープ・ダズ・イット・ゴー?

(4)ユーアー・ザ・リーズン

(5)ホット・コーヒー

(6)心のかけら

(7)イフ・アイ・クッド

(8)チルドレン・オブ・ア・レッサー・ゴッド

(9)ライフズ・レッスンズ

(10)ダンス・オブ・ザ・セヴン・ヴェイルズ

(11)処女航海

 

(2002年9月25日アップ)

   

ENT>STORY>The Most Valuable Thing He Ever Bought In His Life

 

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■■「ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ」002 ■■ 〇「イフ・アイ・クド」誕生物語

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■■「ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ」002 ■■

 

〇「イフ・アイ・クド」誕生物語~カール・アンダーソン (パート2)

 

本記事はnoteでも最後まで読めます

 

 

【Carl Anderson’s If I Could: The Great Song Story】

 

誕生秘話。

 

昨日(2020年5月2日付け)ブログ、noteでご紹介したカール・アンダーソンの「イフ・アイ・クド」。親から子供へのメッセージを持った作品でカールはこれを歌うたびに泣いてしまうという。その「イフ・アイ・クド」誕生物語を2013年2月9日付けブログで書いた。1995年に発表したストーリーから8年後だ。この「イフ・アイ・クド」誕生物語をお送りする。もしまだ昨日のブログをお読みでなければ、まず昨日の『人生で一番高い買い物』を読んでいただき、それに続いてこちらをどうぞ。衝撃の事実が明かされます。

 

(本作も約5200字。黙読ゆっくりで1分500字、早い人で1分1000字~1200字換算すると、10分から5-6分です。ちなみに声を出してのいわゆる「音読」、あるいはアナウンサーは1分300字くらいの速度で読むそうなので、アナウンサーが読むと17分くらいの至福のひと時です)

 

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〇カール・アンダーソンの人生で一番高い買い物~

2020年5月1日付けノートnote

https://note.com/ebs/n/ncba1bc2d6c5b

2020年5月2日付けブログ アメブロ

 

カール・アンダーソン

 

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〇「イフ・アイ・クド」~名曲物語 : 作者ケン・ハーシュに聞く (カール・アンダーソン=パート2)

 

【The Great Song Story: “If I Could”: Songwriter Ken Hirsch Talks】

 

メッセージ。

 

レジーナ・ベルの感動ヴァージョンも記憶に新しい「イフ・アイ・クドIf I Could」。僕が「イフ・アイ・クド」を知ったのは、1990年カール・アンダーソンのヴァージョンから。彼のアルバム『ピーセス・オブ・ハート』に収録されている。とてもいい曲だなあと思って気に入っていると、まもなく、カールのものより先にナンシー・ウィルソンのものが出ていたことを知る。これは1988年に出ていた。カール以後は、レジーナ・ベル、バーブラ・ストライサンド、レイ・チャールズ、セリーヌ・ディオンヌなど多くのシンガーたちがこの曲をレコーディングしている。シンガーがみなこの曲のメッセージに心打たれ、ファンになって録音するのだ。(訳詞は一番下にあります)

 

Carl Anderson - If I Could

https://www.youtube.com/watch?v=CZcx3x5FdGo

 

 

 

 

■          カール・アンダーソンのアルバム

 

タイトル 「カール・アンダーソン/夏の夢のかけら 」

原題 Pieces Of A Heart

https://amzn.to/2y8x3gF

 

この「イフ・アイ・クド」をまだ誰も全米ナンバーワン・ヒットにしていない。だから、いまだに「隠れた名曲」と言ってもいいかもしれない。僕は誰かがこの曲を全米ナンバーワンにするだろうと思っているのだが、誰がそれを成し遂げるのかはまったく見当がつかない。ヴェテランなのか、まったくの無名の新人なのか。素晴らしいヴァージョンを作り、タイミングがあえば、この曲は間違いなく全米ナンバーワンになる。タイミングなのだ。

 

ピーボ・ブライソンのショーでのレジーナが歌う「イフ・アイ・クド」は本当に聴き応えのあるショー・ストッパーなパフォーマンスだった。前々からこれを「グレイト・ソング・ストーリー」のコラムで取り上げようと思っていたが、この機会にいろいろ調べてみた。

 

「イフ・アイ・クド」はソングライター・チーム、ケン・ハーシュ(作曲)、ロン・ミラー(作詞)、マーティー・シャロン(作詞)の共作だ。ところが、なかなかこの曲が生まれた背景やエピソードが出てこない。ただそのリサーチの過程で、3人の作者のひとり、ケン・ハーシュを見つけ出しコンタクトを取ることができた。そしてハーシュから直接この曲の誕生秘話を聞いた。

 

~~~

 

ソングライター。

 

ケン・ハーシュは1948年3月20日ニューヨークの生まれ。ジュリアード音楽院で音楽を学び、その後クイーンズ・カレッジに進んだ。そこで、ザ・サウンド・ソリューションというグループに参加。このグループは、1968年にストローブStrobe・レコーズから「I Had The Notion b/w Take A Walk With Me」のシングルを出す。「アイ・ハド…」はケンが書いた作品だ。その後、カップKappレコードと契約。1969年に「Hide Your Face In Shame b/w Ken's Blues」を出しているがヒットはしていない。

 

ケン・ハーシュ

 

Sound Solution - Hide Your Face In Shame

https://www.youtube.com/watch?v=nHwzHRt6its

 

 

 

この頃からケンはたくさんの曲を書くようになる。彼の作品で初期にレコーディングされたのは、コロンビア・レコードのジュニア・レイヴァンGenya Ravenの「アイ・ヘイト・マイセルフ(フォー・ラヴィング・ユー)」だった。クライヴ・デイヴィスにこの曲が選ばれたという。共作者は彼の師匠でもあるドック・ポーマスDoc Pomus。1971年のこと。

 

Genya Ravan [US, Blues Rock 1971] I Hate Myself

https://www.youtube.com/watch?v=YPDi2IvAkQ4

 

 

 

ドックは、多くの優れたソングライターを生み出した有名なブリル・ビルディングで活躍した伝説の人物で、ちなみに、彼のドキュメンタリー『AKAドック・ポーマス~ザ・ジーニアス・オブ・ ドック・ポーマス』という作品が公開された。

 

(約1時間39分)

Doc Pomus The Genius of Doc Pomus

7,120 views•30 Dec 2017

https://www.youtube.com/watch?v=bWpyT3MoLNc

 

 

 

そして、ケンは1970年代に入るとデビュー前のベット・ミドラーの音楽ディレクターを担当。

 

曲を書き続けるうちに、1978年にはテルマ・ヒューストン、その後1980年にテディー・ペンダグラスによって録音される「キャン・ウィ・トライ」を、ロン・ミラーと共作。作曲のケン・ハーシュ&作詞のロン・ミラーのコンビが誕生。ロンは1932年生まれだからケンより16歳年上ということになる。

 

Can We Try - Teddy Pendergrass

 

 

ロン・ミラーは元モータウンのソングライターで「フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ」(スティーヴィー・ワンダー)や「タッチ・ミー・インザ・モーニング」(ダイアナ・ロス)なども書いているヴェテランだ。ロンとケン・ハーシュは、シャーリーンの「アイヴ・ネヴァー・ビーン・トゥ・ミー(愛はかげろうのように)」を1970年代に書く。1977年に一度小ヒットするがその後長く埋もれていて、大ヒットしだしたのは1982年になってから。またケンと別の作詞家パートナー、マーティー・シャロン(女性)はアニタ・ベイカーの「ノーワン・イン・ザ・ワールド」などを書いているヒットメイカー・チームだ。後者は1986年にリリースされた大ヒット曲「スイート・ラヴ」収録の『ラプチャー』に収録されている作品である。

 

Touch Me In The Morning - Diana Ross

 

 

 

ロン・ミラーは2007年7月23日74歳で死去している。

 

July 25, 2007

Ron Miller Dies At 74

【モータウン初の白人ソングライター、ロン・ミラー死去】

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10040975108.html

 

詩人 【ロン・ミラー、偉大な詩人(パート1)】

2007年08月02日(木)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10041882280.html

 

August 03, 2007

Ron Miller: Great Poet (Part 2) - The Meaning Of "I've Never Been To Me"

【ロン・ミラー作品~「愛はかげろうのように」の意味】

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10042044995.html

 

彼らコンビの最大のヒットは、このシャーリーンの「アイヴ・ネヴァー・ビーン・トゥ・ミー」だが、これを機にいろいろなシンガーに彼らの作品が取り上げられるようになる。エア・サプライの「トゥ・レス・ロンリー・ピープル・イン・ザ・ワールド」(1982年)のヒットも誕生。いずれも覚え易いメロディーが特徴的だ。

 

I've Never Been To Me - Charlene

 

 

 

 

そして「イフ・アイ・クド」へつながっていく。

 

~~~~~

 

フリオ。

 

この誕生についてケンは「グラマラスでもなんでもない」と言う。ケンがソングライターのパートナー、マーティー・シャロンとディオンヌ・ワーウィック用の曲を書いていたときのことだった。そのときのちょっとした会話で、当時大人気だったフリオ・イグレシアスが曲を探しているとマーティーが聞きつけ、「イフ・アイ・クド」というタイトルの曲のアイデアを話し始めた。

 

ケンがフリオのスペイン語訛りでこの単語を話していると、突然、メロディーが浮かんできた。すぐにある程度、曲の骨格ができた。彼らはいつも曲作りをしている最中にカセットテープで録音していたが、ケンが自宅に帰る途中、車でそのテープをかけていると「イフ・アイ・クド」の部分のメロディーがとても自然で完璧にフィットしているように思えた。すべてが自然に流れ出すような彼らが言う「ナチュラルなメロディー」だったのだ。しばらくして歌詞をある程度まで書いたが完成までは至らなかった。

 

そこでケンはもうひとりのソングライター・パートナーでやはり作詞家のヴェテラン、ロン・ミラーに声をかけた。そして、ロンは不完全だった歌詞の残りの部分を一晩でほとんど書き上げたのだ。1987年前半頃だったという。

 

デモ・テープ。

 

そしてケンはこれまでにもケン作品を録音してきた友人のカール・アンダーソンに声をかけ、デモ・テープを録音する。1987年夏頃のことだ。

 

カールはデモ・テープ録音のちょうどその日、親友の葬式から帰ってきたところだったが、この曲の歌詞とメロディーを聴いて、今までになかったほど感動したという。

 

つまり、先の「人生で一番高い買い物」で語っている同級生の親友の葬儀の日に、彼はこの曲のデモ・ヴァージョンを録音したのだ。同級生であればその親友は42歳~43歳だから、本当に突然死ということになる。カールが語っている素晴らしき親友の話を聞けば、彼がこの「イフ・アイ・クド」へ特別な感情を持つのは痛いほどわかる。

 

こうして「イフ・アイ・クド」の最初のデモ・テープはカールが録音したが、カールはすぐには自分でアルバムを作ったり、レコーディングする予定がなかったので、友人のナンシー・ウィルソンに聴かせる。すると、ナンシーもこの曲をすぐに気に入り、さっそくレコーディング。また彼女がテレビなど出演する際に歌うようになり、この楽曲が徐々に知られていく。こうしてナンシーのレコードが1988年、カールのものより先に世に出で、ナンシーの持ち歌として知られるようになった。

 

ナンシー・ウィルソン

 

Nancy Wilson - If I Could – Live

https://www.youtube.com/watch?v=deM3nKaLA1o

 

 

 

この頃、ケンたちはCBSレコード傘下の音楽出版社所属のソングライターだったが、このテープを持って、同じビルのCBSレコードのオフィースにいるディレクター、ジェイ・ランダースに聞かせた。彼はめったにすぐに曲を気に入ることはないが、この曲はすぐに気に入ってくれた。そしてジェイがこの曲をレジーナや、さらにバーブラにも紹介したのだ。紹介されたシンガーはこの楽曲の歌詞とメロディーにみな一聴して惚れ込んだ。こうして少しずつこの曲のファンが広がっていった。この曲はまだ大ヒットにこそなっていないが、ある種のスタンダードになっている珍しい一曲だ。

 

そして、ケンによれば、作曲作詞パートナーのマーティー・シャロン(マーサ・ヴァネッサ・シャロン)も2007年3月15日に若くして死去しているという。したがって、この「イフ・アイ・クド」を書いた3者で今生き残っているのはケン・ハーシュだけだ。

 

~~~~~

 

琴線。

 

多くのシンガーに愛されているこの曲は、それを聴いたオーディエンスからもすぐに愛されることになる。じわじわと、心の琴線にふれ感動を巻き起こして行くそんな名曲だ。

 

カール・アンダーソンの「イフ・アイ・クド」を巡るストーリーも胸を打つ。カールの父親が息子カールに聞かせたサム・クックとナンシー・ウィルソンのレコードによって彼が歌手の道を進むことになる。しかし、父は息子のことを生涯認めなかった。車椅子に乗った父が80歳を超え、初めて息子のステージを見にやってくる。そこで彼はこの「イフ・アイ・クド」に父へのメッセージを託す。つまり、「自分が父親だったら、息子にはこうしたい」という望みだ。「お父さん、僕がお父さんだったら、息子にやりたいことをやらせたよ」と、ステージでカールは父に歌いかける。「イフ・アイ・クド」にはカールの魂の叫びが込められていたのだ。

 

それほどの思い入れのある曲のデモ・テープを録音したのがカールで、それをいち早く聴かせたのがカールを歌の道に引き込んだ張本人ナンシー・ウィルソンだ。なんという運命のめぐり合わせか。

 

この曲が持つ「親から子へのメッセージ」には普遍的な魅力がある。カールは自身の心がけをほんの少しでも変えることから自身が徐々に変わっていき、ついにはこのメッセージを父に伝えるチャンスを得た。その様はマイケル・ジャクソンが「マン・イン・ザ・ミラー」で歌う「鏡に映る自分から変われ」というメッセージを彷彿とさせる。

 

ケン本人はあまたある「イフ・アイ・クド」のどれも好きだが、あまり知られていないレイ・チャールズのヴァージョンが個人的には特に好きだそうだ。この曲は男性歌手が歌えば、父から子へ、女性歌手が歌えば母から子への見事なメッセージになる。そして、カールのように歌えば、子から父、あるいは母へのメッセージにもなる。

 

果たしてこの曲を全米ナンバーワンにして、「自分の代表曲」「自分のヒット曲」にするシンガーは誰になるのだろうか。世界中の誰もが知る「スタンダード」になるのはいつの日のことか。

 

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ナンシー・ウィルソン・トリビュートで、レジーナがナンシーの前で熱唱し、ナンシーが号泣

REGINA BELLE honors MISS NANCY WILSON - SISTA / IF I COULD 1992

https://www.youtube.com/watch?v=ZfkofPT3usI

 

 

 

(ナンシー・ウィルソンは2018年12月13日、81歳で逝去。カール・アンダーソンは2004年2月23日、58歳で逝去)

 

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Youtube and Amazon link

 

Nancy Wilson – If I Could

https://www.youtube.com/watch?v=VgVKMqm4ICk

 

 

 

https://amzn.to/2SsP4wV

 

Carl Anderson - If I Could

https://www.youtube.com/watch?v=CZcx3x5FdGo

 

 

 

https://amzn.to/2y8x3gF

 

Regina Belle - If I Could (With Lyrics)

https://www.youtube.com/watch?v=lcw6nSFu7rw

 

 

 

https://amzn.to/2VVAvUN

 

Barbra Streisand - If I Could

https://www.youtube.com/watch?v=NYVCxzfTaZk

 

 

 

https://amzn.to/2SorKQM

 

Ray Charles - If I Could

https://www.youtube.com/watch?v=71LjA-UrB24

 

 

 

https://amzn.to/3bVJuei

CD99円から?

 

If I could By: Celine Dion

https://www.youtube.com/watch?v=8-vs8fuw43E

 

 

 

https://amzn.to/2VRakhU

 

かのグラディス・ナイトもライヴで歌っていた! 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=3LVtViJCpr8

 

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"If I Could"  written by Kenneth Hirsch, Ron Miller, Marti Sharron

 

イフ・アイ・クド(もし私にできるなら)(一応、レジーナ、バーブラのような女性視点で)(大意)

 

もし私にできるなら

あなたの瞳に映る悲しみから守ってあげましょう

この危険に満ちた世界で生きていくために、あなたに勇気を授けましょう

 

もし私にできるなら

私が学ぶことができなかったことさえも、すべて教えましょう

私が燃やしてしまった橋を渡るために手助けをしましょう

 

もし私にできるなら

この険悪な時代からあなたの純真さを守ってあげましょう

でもあなたに授けた人生は、私の人生ではありません

私はただあなたが育っていくのを傍らで見つめるだけ

そうしてあなたを巣立たせるの

 

もし私にできるなら

苦しい年月を切り抜ける手助けをしましょう

でもあなたの涙にもらい泣きすることはできないわ

でもそうするかもしれません

 

あなたが生きたくないという時代と場所に、もし私が生きているなら

あなたは私と一緒にこの道を歩む必要はありません

私の過去をあなたに押し付けることはないのですから

 

もし私にわかっていれば、あなたに授けたいような理想の世界に変えてみせたい

私にできることは多くはないけれど

もし私にできるなら、おー、ベイビー、

ママはあなたを守りたいだけなの

厳しい年月を生き延びる手助けをしたいの

それは私の宿命(さだめ)だから

あなたが肩にもたれかかって泣きたくなったらいつでもいらっしゃい

あなたの話し相手になるわ

いつでも相手になるわ

今まであなたの世界や人生を変えたことはなかったけれど、

もし私にできるなら、今度は変えてみせましょう

 

(訳詞・ザ・ソウル・サーチャー)

 

~~~~~

 

"If I Could"  written by Kenneth Hirsch, Ron Miller, Marti Sharron

 

If I could

I'd protect you from the sadness in your eyes

Give you courage in a world of compromise

Yes, I would

 

If I could

I would teach you all the things I've never learned

And I'd help you cross the bridges that I've burned

Yes, I would

 

If I could

I would try to shield your innocence from time

But the part of life I gave you isn't mine

I've watched you grow

So I could let you go

 

If I could

I would help you make it through the hungry years

But I know that I can never cry your tears

But I would

If I could

 

If I live

 

In a time and place where you don't want to be

You don't have to walk along this road with me

My yesterday

Won't have to be your way

 

If I knew

I'd have tried to change the world I brought to you to

And there isn't very much that I can do

But I would

If I could...

Oh baby... mummy wants to protect you

And help my baby through the hungry years

It's part of me

And if you ever... ever need

Sad shoulder to cry on

I'm just someone to talk to

I'll be there... I'll be there

I didn't change your world

But I would

If I Could!

 

~~~~~

 

ENT>GREAT SONG STORY>If I Could

ENT>ARCHIVE>Anderson, Carl, Wilson Nancy, Streisand, Barbra

 

GREAT SONG STORY>If I Could>Hirsh, Ken / Miller, Ron / Marti Sharon 

 

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■■「ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ」003 ■■ ジェームス・ブラウン・ショウの秘密

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■■「ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ」003 ■■ ジェームス・ブラウン・ショウの秘密

 

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『ジェームス・ブラウン・ショウの秘密』

 

1998年12月ジェームス・ブラウン(5月3日が誕生日)が赤坂ブリッツ(2020年9月で閉鎖)でライヴを行った。そのときのレポートの一部(オリジナルの3分の1程度約3000字)を当時あったFMファン誌(1999年5月3日~16日号=現在廃刊)に掲載していただいた。その後、このフル・ヴァージョン(約1万字)を日本語で書かれているジェームス・ブラウンのウェッブ「エスケイピイズム」(佐藤潔さん運営)に掲載していただいた。当時はまだ「ソウル・サーチン・ブログ」もなかった。今回いろいろなアーカイヴを掘り起こしている中で、やはりこれはぜひ再掲したいということで「エスケイピイズム」主催佐藤潔さんの了解も得て、アーカイヴとしてご紹介する。22年前のライヴ。ミスター・ブラウンの誕生日、ブリッツ閉鎖のニュースが流れた日、アーカイヴ日和だ。(笑) 本文約1万字。ジェームス・ブラウン独演会、彼のものの見方などたいへんよくわかる記事です。

 

(本作は約1万字。黙読ゆっくり1分500字、早い人で1分1000字換算すると、20分から10分。いわゆる「音読」(アナウンサーは1分300字くらい)だと33分くらいの至福のひと時です)

 

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JAMES BROWN

ジェームス・ブラウン・ショウの秘密

 

ACT 1 ● 喧騒の楽屋

 

 エイメン!

 

 「8ミニッツ(本番まであと8分)!!」

ジェームス・ブラウンのマネージャーであり、右腕といってもいいアル・ブラッドレーが、ミュージシャンたちに言う。

 赤坂「ブリッツ」のショウが始まる前の喧騒の楽屋廊下。ミュージシャンやスタッフが気ぜわしく行き来している。

 ミスター・ブラウンが、ホーン・プレイヤー3人に、あれこれ指示している。白いスーツに赤い蝶ネクタイをつけた3人は、両手を体の前でそろえて、ほとんど、直立不動で話を聞いている。すると、狭い廊下をバック・コーラスの女性が通った。ミスター・ブラウンは、軽く会釈をし、両腕を広げて「さあ、どうぞ」というしぐさをした。ミスター・ブラウンは女性に優しいジェントルマンだ。

 ミュージシャン、シンガー、ダンサー、スタッフ皆が、彼のことをミスター・ブラウンと呼ぶ。そのミスター・ブラウンも、スタッフやミュージシャンを呼ぶときに、男性なら「ミスター」をつけ、女性なら「ミス」をつける。組織がきっちりしつけられていることがわかる証拠の一つだ。

 「3ミニッツ!!」 大きなかばんを持ったミスター・ブラッドレーが言う。彼は、皆から「ジャッジ」の愛称で親しまれている。(元々弁護士だったため) 廊下の人の動きが慌ただしくなる。ミスター・ブラウンは、依然身振り手振りを交えながら、あれこれ話している。

 まもなく、ミュージシャンたちが舞台袖に消えた。

 彼らは舞台袖の暗がりで、全員手をつなぎ、目を閉じ、下を向いて、お祈りをしていた。「今日も無事にステージができますように」 全員の「エイメン!」のかけ声とともに、彼らは舞台の方に進んでいった。ミュージシャンが、ステージに歩きだすと、一斉に拍手と歓声が巻き起こる。いざ、ショウ・タイムの始まりだ。

 

ACT 2 ● ゴングの音

 

 ゴング。

 

 オープニングのインスト曲「ホンキー・トンク」が始まると、ミスター・ブラウンは、廊下脇にあるステージを映しだすモニター・テレビを見だした。腕組みをしながら見ていた彼は、やがて、舞台の袖に移り、「ホンキー・トンク」を演奏するバック・バンド、ソウル・ジェネラルを見つめる。続いて、ダニー・レイに紹介されて、今年になってミスター・ブラウンのレヴューに入った新人、日本初登場のトミー・レイの歌を見る。ジェームス・ブラウンの新作『アイム・バック』の日本盤ボーナス・トラックとしてジャニス・ジョプリンの持ち歌「トライ」という曲が収録されているシンガーだ。単独で2曲歌うことを許されており、彼女はオーティス・レディングの「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」と「トライ」を歌う。このレヴューの中では、特別の扱いだ。かつての、ジェームス・ブラウン・ファミリーのディーヴァたち、マーヴァ・ホイットニー、リン・コリンズ、ヴィッキー・アンダーソン的な位置にいるといっていいだろう。トミー・レイが戻って来ると、ミスター・ブラウンは、 手を差し伸べて、袖で出迎える。ジェントルマンなのだ。

 そして、ブラウン・ショウの司会歴35年以上のダニー・レイが再度登場。例の名調子であおりながら、5人組の女性バック・コーラス、ビタースイートたちがミスター・ブラウンのヒット曲をワン・フレーズずつ歌う。「ギミ・サム・モア」、「ペイバック」、「トライ・ミー」、「ドゥーイン・イット・トゥ・デス」・・・。充分にウォームアップしてきた会場は、一曲ごとにさらに盛り上がっていく。ミスター・ブラウンは、その様子を見て、待機している。そして、熱気も最高調になり、ダニーが「ジェーーーーーーームス・ブラウン!!!」と叫ぶと、興奮は大爆発する。ダニーの声と共に、舞台袖からミスター・ブラウンがステージへ飛びだしていく。それは、あたかもリング上のボクサーがゴングの音とともに、リング中央に飛びだしていくかのような勢いだ。ダニー・レイのその声は、ミスター・ブラウンにとって、ボクシングのゴングの音と同じなのだ。

 照明が舞台に降り注ぎ、観客席の方は、熱気のせいか、薄く「もや」がかかったようで、見えにくい。だが、舞台側からでもステージ真ん前に立っている興奮した観客たちはよく見える。一階席から「ジェームス・ブラウン!! ジェームス・ブラウン!!」の熱狂的な大歓声が聞こえる。暗闇の中のあれだけの観衆から、自分の名前を連呼されたら、一体どのような気持ちになるのだろうか。ただでさえ、気分を高揚させているのに、さらに、興奮し、アドレナリンが吹き出るにちがいない。

 ショウが始まってしまえば、あとは、一気呵成だ。「ゲッタップ・オッファ・ザット・シング」、「コールド・スゥエット」、「リヴィング・イン・アメリカ」と続く。「リヴィング・・・」では、都市名を連呼するところで、「トウキョウ」の名前をいれることを決して忘れない。ミスター・ブラウンは、気遣いの男なのだ。

 

ACT 3 ● モニター・スピーカーのないステージ

 

 モニター・スピーカー。

 

 ところで、舞台中央に、マイクスタンドが立っているが、そこには普通のライヴではよく置かれているモニター用スピーカーがない。一般的には、シンガーやミュージシャンは、まわりが出している音をステージ上ではなかなかうまく聴けない。観客席の方向に向いているスピーカーはハウリングが起こらないように、指向性が強く、ステージ側には音があまり返ってこないようになっているからだ。そこで、ステージ上の、ミュージシャンやシンガーの足下には、それぞれ小さなスピーカーが置かれているのが普通だ。そのモニターからでてくる音で、全体的な音を把握して、自分の音を出したり歌ったりする。特にシンガーは、バックの音が聴き取れないと、なかなかうまく歌えない。ステージでは本当に、バンドの音がよく聴こえない。だが、ミスター・ブラウンは、そのモニター・スピーカーを使っていなかった。今のミュージシャンやシンガーには考えられないことだろう。30年以上やっていて、ライヴに生きているミスター・ブラウンならではのことだ。その経験とおそらく絶対音感に近いものと自信をもっているのだろう。だから、モニターがなくても歌えるにちがいない。モニター・スピーカーのないところに、僕はミスター・ブラウンのライヴに対する計り知れぬ自信をかいま見た。

 

ACT 4 ● 5パーセント

 

 単純明快。

 

 次の日、ミスター・ブラウンは、ホテルの一室にトミー・レイ、マーサ・ハイ、ルーズベルト・ジョンソンとともにいた。「ミスター・ブラウン、あなたはなぜ、モニター・スピーカーを使わないのですか?」と僕は尋ねた。

 「いいか、モニター・スピーカーを置くとな、音が回り込んで、ハウリングを起こす。だから使わない。それにな、曲を知っていれば、そして、曲のフィーリングを知っていれば、そんなものは必要ない! (きっぱり) 昔は、誰もそんなモニター・スピーカーなんか使っていなかったんだ」

 単純明解である。ミスター・ブラウンが、そう言うのであれば、そういうことなのである。

 「僕は、3日連続であなたのショウを見たんですが、今回は、特に感激しました。いつものことですが、あなたは毎日、曲を変えますね」と言った。

 「ははは、だが、君は私たちができることの5パーセントしか見ておらんよ。我々は、実に多くのことができるんだ。2時間半でも、3時間でも、いくらでもできる。来年の1月から、またバンドのリハーサルに入る。もっと、もっと、よくなるぞ」

 ジェームス・ブラウンのインタヴューは、質疑応答というよりも、むしろ、ミスター・ブラウンの独演会になることが多い。のって来ると、話しは止まらず、質問を遮って話しを続ける。

 持って行ったエクスプロージョン誌(当時出していたディスコ情報誌)の表紙にR・ケリーが映っていた。ミスター・ブラウンがそれを見て言う。

 「R・ケリーはオウガスタ出身なんだ。マイ・ホームタウンだ」 僕が「シカゴ出身かと思っていました」というと、「オウガスタなんだよ。(註、ミスター・ブラウンがケリーをなぜオウガスタ出身と言ったかは不明。実際はシカゴ生まれ) 私みたいな人間が、オウガスタのような小さな街から出て来ると、その街はそのことで知られるようになる。オウガスタにはマスターズがある。ゴルフのトーナメントだ。タイガー・ウッズが勝った。マイノリティーとしては初めての勝利だった。私は最高にうれしかったよ。タイガー・ウッズを誇りに思っている。タイガー・ウッズは最高だ。大好きだよ。彼はかつてモハメド・アリがボクシングでやったことを、ゴルフで成し遂げたんだ」

 「音楽ではあなたがそれを成し遂げましたね」とちょっと持ちあげると、室内がどっと沸いた。

 「タイガー・ウッズのことを尊敬しているよ。彼はゴルフを次のもう一歩高い次元に持ちあげている」

 話はどんどん進む。

 「私は、自分が不遇の時も、自分がすべきことをやってきた。いいか、人々は成功を収めた者に嫉妬し、足をひっぱるようになるんだ。私に(過去40年間)起こったことは、すべて、私の成功に起因しているんだ。ひとつだけ確かなことがある。人々は、他人の成功を許そうとしないのだ。しかし、友達ならばそうは思わないだろ。人が上に行けば、誰かが下に引っ張る。成功は嫉妬を生み、嫉妬は憎しみを生むのだ。だが、私はそんなことは気にしないよ。友達は理解してくれるからな」

 ミスター・ブラウンは、友達(フレンド)をことの他重要視する。

 

ACT 5 ● 司祭

 

 司祭。

 

 それにしても、エネルギッシュで、動きに無駄がない。すぐに汗がにじみでる。マイクスタンドをポーンと客席側に倒して、マイク・コードでぱっと引き寄せるおなじみの技も、手慣れたものだ。左右前後に動かす足さばきも完全に現役だ。本当に、彼は65歳なのだろうか。実際は、35歳くらいなのではないか? この若さとエネルギーの秘密は何なのだろう。ますます不思議に思えてくる。(1933年ということは昭和8年生まれ。あなたの両親と同じくらいかもしれない) なぜだ、なぜだ、なぜだ。なぜ、あんなに踊り続けられるのだ? 彼は、かつて「200歳マイナス1年まで生きるんだ」、と言っていた。こういうステージを見ていると、本当に、そのあたりまで長生きしそうな気さえしてくる。

 そして、観客を背にして、ミュージシャン側に向くと、彼はこんどは指揮者さながらになる。両手を広げたり、人差し指で、ミュージシャンに指示を出したり、その一挙手一投足に、バンドが確実に反応していく。その姿は、オーケストラの指揮者というだけでなく、何かのメッセージを伝えるプリーチャー、司祭のように思える。教会では、牧師が説教をし、その一言一言に参加者が「オー、イエー」と言って反応する。いわゆるコール・アンド・レスポンスが成立する。ミスター・ブラウンは、ミュージシャン側を向いたとき、ミュージシャンたちを自由自在に操るコンダクター(指揮者)となり意志疎通をはかり、観客側を向いたとき、観客を司る司祭となる。この瞬間、会場のすべての空気と物体は、ミスター・ブラウンの手中にあるのだ。こんなライヴはミスター・ブラウンのもの以外にない。

 強烈な個性、リーダーシップ、組織をオルガナイズする力。そうした力量が、ミスター・ブラウンはずば抜けている。そして、彼がステージからミュージシャン側に向くとき、そして、観客側に向くとき、ともに証明されている。

 

ACT 6 ● 秘密のキュー

 

 密度。

 

 ミスター・ブラウンのライヴ・ショウで驚くべきは、実は、演奏される曲目が事前にはほとんど決まっていない、ということだ。一曲目から、ジェームス・ブラウン登場のいわゆる「ウォームアップ」までは大体決まっている。そして、ミスター・ブラウンが登場しての一曲目は、「ゲッタップ・オッファ・ザット・シング」だが、それ以降は、その曲が終わるたびに、ミスター・ブラウンがミュージシャンたちに様々なキューで、次の曲の指示を出す。ミュージシャン、コーラス・シンガーたちは、そのキューを決して見逃がしてはならない。そのキューは様々だ。腕の振り方、なにがしかのかけ声、また、歌詞の頭を歌った瞬間にその曲を演奏し始めるというパターンもある。

 例えば、ミスター・ブラウンが「パワー!」と声を上げると、それは「ソウル・パワー」へのキューだ。「1965」と叫ぶと、その瞬間、ギターが響き「パパズ・ガッタ・ア・ブランド・ニュー・バッグ」が始まる。そして、「ビッグ・ストロング・D」というと、「アイ・フィール・グッド」へのキューだ。また、ときには指で数字のサインを送ることもあるという。その数字で曲が決まるわけだ。また、「グッドフット」や「トライ・ミー」、「マンズ・マンズ・ワールド」などは、冒頭の歌詞を歌い始めるとバンドがすぐに演奏を追いかけていく。つまり、歌詞頭がキューになっているのである。

 だが、ミュージシャンも皆人間だ。過ちを犯すこともあるだろう。どうなるか。トランペット奏者でソウル・ジェネラルのメンバーになって約6年のホリー・ファリスが説明する。彼は右手を広げて、「もし間違えると、ミスター・ブラウンがそのミュージシャンに向かってこうするんだ。つまり、罰金5ドルということだ。二度間違えれば10ドル。どんどん増えて行くわけだ。え、僕の一晩での最高かい? 25ドルかな。ははは」

 それだから、ミュージシャンは常にミスター・ブラウンを凝視し、次のキューを決して見逃さないようにする。緊張感があふれるのだ。もちろん、罰金は結果的についてくるものだが、ソウル・ジェネラルが、そうしたライヴ・バンドとして緊張感を持続する秘密のひとつはそのあたりにある。

 それにしても、そうした多くのキューだけで、次々とメドレーが演奏されるその様はまさに奇跡である。見ている者は、それが即興で、その瞬間に曲が決まったことなど知る由もない。これはまさにライヴ・バンド歴40年を数えるミスター・ブラウンのライヴ芸術の粋を凝縮した「神業」といってもいい。

 ミスター・ブラウンのライヴをもし「オールディーズのライヴ・ショウ」などと思ったら大間違いだ。完全に現役のショウであり、今現在のライヴ・ショウだ。そして、そのショウには、お金と、知恵と、経験と、なによりも、40年以上のステージ上での歴史が凝縮されている。これほど、密度の濃いライヴ・ショウは、他にない。

 

ACT 7 ● ソウルがあるシンガー

 

 ブラック・シンガー。

 

 ジェームス・ブラウンが一気にしゃべると、「どうも、私ばかりしゃべりすぎたな。彼らにも訊いてやってくれ」と言って、ミスター・ブラウンの横に座っているミス・トミー・レイへ質問するように僕に促した。

 「このミスター・ブラウンのファミリーにはいったいきさつは?」

 「今年初め、友達のビタースイート(ジェームス・ブラウンのバック・コーラス・グループ)のメンバーが、ビタースイートのオーディションがあるけど来ないか、と誘ってくれたの。で、そこに行くと、ミスター・ブラウンがいて、私はジャニス・ジョプリンの歌をアカペラで歌った。すると、ミスター・ブラウンが気に入ってくれて、私にレコードを作るチャンスを与えてくれたというわけ。今年(1998年)の2月8日のことよ。それまでも、私はずっと歌ってきて、マーヴェリック・レコード(マドンナが持つレーベル)からレコードを出したこともあるんだけど、全然成功しなかった。理由はわからないけれど、誰もチャンスを与えてくれなかった。一時期、歌手をやめようとも思ったわ。でも、そんなとき、ミスター・ブラウンが私にチャンスを与えてくれたの」

 ミスター・ブラウンが割って入る。「最初はな、ビタースイートのオーディションで来たんだが、彼女の声を聴いたら、グループにはフィットしないことがわかった。とても、ディープな声をしている。そこで、ソロのプロジェクトでやることにしたんだ」

 こうして、彼女の曲はミスター・ブラウンの最新作『アイム・バック』に日本盤のボーナス・トラックとして入っている。来日も今回が初めてだ。

 ステージでも、少しだけアカペラで歌うが、その迫力はなかなかのものだった。僕は「最初にCDに入っている『トライ』を聴いたとき、あなたはブラック・シンガーだと思いました」と言った。すると、ミスター・ブラウンらみんなが大笑いになった。そして、「彼女にはソウルがあるからな」とミスター・ブラウンが言った。

 

ACT 8 ● マジックのソロ

 

 マジック。

 

 今年のライヴで、もうひとり初めて登場したのが、ショウ半ばにでてきたロジャー・ウィンブッシュという名のマジシャンだ。(3日目だけ、最後に登場) この一年ほど、ジェームス・ブラウン・レヴューに参加している、という。彼が簡単なテーブル・マジックを見せる。新聞紙を使ったマジック、ステッキをハンカチに変えてしまうマジックなどが披露される。マジックとしては決して大がかりなものではなく、子供騙しのようなものだ。だが、自分の歌と踊りだけでなく、レヴューのシンガー、ダンサー、ミュージシャンのソロなどを交えて、つねに観客を飽きさせないエンタテインメント・ショウを作る、その一環にマジック・ショウまでいれてしまったのだからおそれいる。サーヴィス精神旺盛のミスター・ブラウンならではだ。

 ウィンブッシュは、「ミュージシャンたちがサックスとか、ギターとかベースのソロのパートを演じるだろ。僕の出番もそんな風に考えているんだ。マジックのソロだ」と言う。ミスター・ブラウンは、手品の種を教えてくれ、と言ってこないかと尋ねた。

 「こないよ。ミスター・ブラウンは、マジックを楽しんでいるようだ」

 「では、もし彼が教えないとクビにするぞ、と言ったら?」

 「ははは、やはり教えないよ!」

ウィンブッシュは、アトランタを本拠とするプロのマジシャン歴約15年。ダグ・ヘニングのマジックをテレビで見て、マジシャンになりたいと思った、という。そして、本などを読み、独学でマジックを習得した。約一年前、ジェームス・ブラウンのマネージャーが彼をコンヴェンションで見て、ミスター・ブラウンに引き合わせた。そして、彼の目の前で、いくつかマジックを見せたところ、ミスター・ブラウンが気に入ってくれ、その場で契約書にサインした。前回(1997年11月)のミスター・ブラウンの来日時には、すでにブラウン・ファミリーに入っていたが、パスポートが間にあわず来日できなかったという。

 ミスター・ブラウンが言う「ショウはどんどんよくなっていく」とは、こうしたことも含めてのことだ。

 

ACT 9 ● バラード4曲メドレー

 

 バラード。

 

 3日目(9日)は、ミスター・ブラウンはのりにのっていた。日本最終公演ということもあったのだろうか。アップ・テンポのインスト曲「ブルーズ・ウォーク」、「アイヴ・ガット・ユー」のあと、いつも通り、バラードの「トライ・ミー」を歌いだすと、続いて「ロスト・サマー」を歌う。バラードを2曲続けるのは珍しい。すると、さらに「アイヴ・ガット・ファウンド・サムワン」、「ジョージア・オン・マイ・マインド」と何と4曲もバラードを連続して歌うではないか。よほど、歌いたい気分だったのだろう。こんな4曲連続バラードは初めての経験だった。

 しかも、それに続いては「ソウル・パワー」と「ソウル・マン」をメドレーにして、(マネージャーでもある、愛称RJ)ルーズベルト・ジョンソンとの強烈なツイン・ダンスまで披露する。その踊りが、ふたりで踊ることもあってすごい。雷に打たれたように、まさに、エレクトリファイングという形容がぴったりするようなダンスだ。それは、何か、きっと神かなにかに乗り移られたようにさえ見えた。

 

ACT 10 ● ティアーズの夜

 

 (1998年12月)9日深夜2時。六本木のソウル・バー、「ティアーズ」。ジェームス・ブラウンのバンド、ソウル・ジェネラルのメンバーやスタッフたちが集まっている。白人で大柄な、かなりおなかのでているジェフ・ワトキンスと、ブラックでボールド・ヘアのウォルド・ウエザースは、自分のサックスを持ってきている。ハウスDJが、1970年代のソウル・ヒットを次々とかける。ハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツ、オージェイズ、フォー・トップス、テンプス、そして、もちろん、ジェームス・ブラウン、JBズのヒットの数々。みんな我を忘れて踊り、話し、パーティーを楽しんでいる。モータウンのヒットでは、台の上に上り、レコードに合わせて振りをつけ口ぱくで歌う。テンプスやフォー・トップスの振りをそっくり真似るのがじつにうまい。心底から音楽を楽しむ姿を見て、彼らにとって、音楽が本当に生活の一部になっているのだなということを改めて痛感した。

 「ソウル・パワー」がかかった。すると、ジェフとウォルドが、レコードにあわせてサックスを吹きだした。大きなスピーカーから流れて来るサックスと、ジェフとウォルドがその場で生でプレイするサックスが微妙なハーモニーをかなでる。タンバリンを叩くものもいる。ティアーズが、ジェームス・ブラウン・ハウスになった瞬間だ。ジェフたちは、心から演奏するのが好き、という感じがひしひしと伝わってくる。「セックス・マシーン」では、レコードと寸分と違わない演奏を聴かせた。

 ソウル・ジェネラルの中では、最古参でJBズ時代からのベース奏者、フレッド・トーマスとミスター・ブラウンの司会者として35年以上しゃべり続けているダニー・レイがやってきた。フレッドは、大の日本酒好きで、ティアーズのママに日本酒を注文したが、置いてないので、ご機嫌ななめだ。それでも、強いブランデーを飲み、にこにこ酔っ払っている。フレッドとダニーは、お互い長くミスター・ブラウンの元で仕事をしているだけに、いつも外にでかけるときは一緒だ。ふたりは、ジョークを言い合い、ちょっとしたボケとツッコミの漫才コンビさながらだ。

 ダニー・レイが、DJブースのところに行って、マイクを握り話し始めた。その声は、ジェームス・ブラウン・ショウのMC(司会)のときとまったく変わらない。彼がひとたび口を開けば、そこはジェームス・ブラウン・ショウの会場になってしまう。文字どおり、ジェームス・ブラウン・ショウのもうひとりの司祭だ。彼がしゃべった後、「ドゥーイン・イット・トゥ・デス」がかかる。そのイントロは、ダニーのMCから始まる。レコードの声の方が少し若かった。それもそのはず、これがレコーディングされてからもう25年以上もの月日が流れているのだ。ブラウン・ショウの歴史が感じられる一瞬でもあった。

 ティアーズの夜は、大騒ぎのうちに更けていく。

 

ACT 11 ● アンコール

 

 熱狂。

 

 「ソウル・マン」が終わり、ミスター・ブラウンが「アイ・ウォナ・ゲッタップ・アンド・ドゥー・マイ・シング、アイ・ウォナ・ライク・ア、ライク・ア・・・」と叫ぶと、観客には次の曲がもうわかる。「ライク・ア、ライク・ア・・・」と言ったあと、やにわにマイクをつかむと、「セックス・マシーン」といって、15分に及ぶロング・ヴァージョンの「セックス・マシーン」が始まった。ミュージシャン全員が、ありったけの力を振り絞って、持ち場の楽器を演奏する。ミスター・ブラウンの、そして、ミュージシャン、コーラスの人々の額に汗が光る。15分間の熱狂だ。まさに、ブリッツがニューヨークのアポロ・シアターに変身する瞬間でもある。そして、それが終わると、ミスター・ブラウンは何事もなかったかのようにステージの袖に戻ってくる。一見、息など上がっていないようだ。すぐにお付きの者が白いタオルを渡す。

 だが、この日はミュージシャンやビタースイートたちも、袖で待っている。普段はアンコールをやらない。「アンコールをやるのだろうか」 みんなが不安そうに顔を見あわせる。会場からは、拍手と「ジェームス・ブラウン、ジェームス・ブラウン」の声が響く。それに答えるように、ミスター・ブラウンが「ジャム」を指示し全員ステージに戻った。この「ジャム」では、珍しくミスター・ブラウンはドラム・ソロまで見せた。そして、およそ、10分「ジャム」が続いた。

 そして、その「ジャム」を終えると、最高に上機嫌で、舞台の袖でも「サンキュー」と言い続けながら、楽屋へ消えていった。

 会場からは、再び、拍手と「ジェームス・ブラウン! ジェームス・ブラウン!」の連呼が聞こえ始めた。だが、まもなく、会場の照明が点灯した。

 興奮の夜の幕が下りた。

 ミュージシャンやスタッフらが戻り、再び、楽屋の廊下に、慌ただしさと喧騒が戻った。

 

おわり

(1998年12月・記)

 

追記:

 

ジェームス・ブラウンは、2006年12月5日、73歳で死去。トミー・レイはその後、ジェームス・ブラウンと2001年結婚、2006年離婚。マジシャンのウィンブッシュはその後、ツアーには帯同しなかった。ルーズベルト・ジョンソンはミスター・ブラウン・トリビュート・ライヴ・バンドで来日した。ダニー・レイは、ミスター・ブラウン逝去後、2014年9月ジャズ・ベース奏者、クリスチャン・マクブライドのビッグバンド・ショーのMCとして来日。六本木「ティアーズ」は、現在は逗子に移転し営業中。サックスのジェフ・ワトキンスとトランペットのホリー・ハリスは2007年4月のジョス・ストーンのバンド・メンバーとして来日し、再びティアーズに足を運んだ。2014年全米公開のジェームス・ブラウンの伝記映画『ゲット・オン・アップ(邦題:ジェームス・ブラウン~最高の魂(ソウル)を持つ男~)』2015年5月日本公開。

 

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(佐藤潔さんのメモ)

 

いや~、素晴しいレポートでした。これをカットしてしまうFM FANは、なんて思ったのですが、吉岡さんからは「短くても出ないより出たほうがいいわけで」とたしなめられてしまいました(^^;)。J-WAVEへの生出演、「笑っていいとも」への出演、タワーでのサイン会等、ライヴ前には非常に盛り上がりを見せた割にはその後のフォローアップとしての音楽関係のマスメディアへの露出が非常に少なかった今回のJBのライヴ。彼等はJBのライヴをオールディーズだと思っているのでしょうか。この吉岡さんのレポートは、文中でも書かれている通り、それに対するカウンターパンチでもあったのではないかと思います。

 

ARCHIVE>Brown, James>Live

 

 

 

 

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