〇ユーコ・スミダ・ジャクソンさん誕生会~その華麗なる経歴
【Happy Birthday Party For Yuko Sumida Jackson】
誕生会。
マイケル・ジャクソンのショートフィルム「ブラック・オア・ホワイト」(1991年11月)に登場したり、同じく『デンジャラス・ツアー』(1992年6月~1993年11月)に日本人ダンサーとして初めて帯同するという華麗なる経歴を持つユーコ・スミダ・ジャクソンさんの誕生会が2019年8月4日(日)、東京都内で友人たちを集めて盛大に行われた。実際の誕生日は8月5日。
Michael Jackson - Black Or White (Official Video - Shortened Version)(6分22秒)(1991年11月)
https://www.youtube.com/watch?v=F2AitTPI5U0
途中、当時はまったく新しい手法だったモーフィングで多くの顔が出る中の日本人女性がユーコさん。フィルムの6分00秒あたり
ユーコさんはまた、1998年から2000年2月までハーレム出身の映画プロデューサー、ジョージ・ジャクソン(1958年1月6日生まれ~2000年2月10日)と結婚。ジャクソンさんは、1997年、モータウン・レコードの社長にも上りつめた人物。アメリカのブラック・エンタテインメント界の多くの人たちと交流を持っている。
左からコナ・ローズさん、黒沢さん、吉岡、ユーコさん
2000年に42歳の若さで急死後、「ジョージ・ジャクソン・アカデミー」というハイスクール前のブラックの男子のための学校が設立された。
今回の誕生パーティーはたまたま故郷九州・熊本の人と知り合い意気投合、その人が主宰で急遽開いたものだが、会の半ば、ユーコさん関連の映像がいくつかスクリーンに打ち出され、これまでの歩みなどをスピーチした。
ツーショットの記念写真には、娘さんのコナさんとスティーヴィー・ワンダーの写真、ユーコさんとベリー・ゴーディー・モータウン元社長との写真などが映し出された。
スティーヴィーとコナさん
夫のジョージ・ジャクソンさんは、ハーレム出身で大変な努力家で、自力でハーヴァード大学の奨学金を獲得、通い、さらに映画の世界に入るために、100ドル持ってハリウッドのスタジオに出向いて、その駐車場の係の人と仲良くなり、大物プロデューサーとの面会にこぎつけた、などのエピソードを話してくれた。
ジャクソンさんはパートナーのダグ・マクヘンリー氏とともに映画プロデューサーとして『クラッシュ・グルーヴ』(1985年)の成功を皮切りに、『ニュー・ジャック・シティー』(1991年)、『ハウス・パーティー2』(1991年)、『ジェイソンズ・リリックス』(1993年)、『ア・シン・ライン・ビトゥイーン・ラヴ&ヘイト』(1996年)などを製作。ブラック・エンタテインメントの世界で確固たる地位を築いた。
このあたりの話はとてもおもしろく、今回は15分程度の簡単なスピーチだったが、ぜひ時系列を整理したり、写真、動画などをもっと集めて、じっくり話を聞きたいと思ったので、近々『ソウル・サーチン・ラウンジ』にお招きしようと思う。
この日は、以前から親交のあるゴスペラーズの黒沢薫さんも顔を見せ、一言挨拶をした。
ユーコさん、お誕生日おめでとうございます。
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