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■ビル・ウィザース物語(パート2)~炭鉱の町からハリウッド・ヒルまで

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■ビル・ウィザース物語(パート2)~炭鉱の町からハリウッド・ヒルまで

 

【Bill Withers Story (Part 2) : From Slab Folk To Hollywood Hills】

 

ビル・ウィザースの訃報は日本時間の2020年4月3日(金)夜に流れました。僕のツイッターでは3日の23時43分に一報を流し以後いくつも情報を出し、4日以降、日本でも、また世界でも一斉に追悼モードとなりました。「ソウル・サーチン・ブログ」5日付けのブログで少しまとめ、以後、ビル関連の記事を結局トータル8本紹介したのでひとつにまとめました。特に評伝はかなり加筆しました。ゆっくりお楽しみください。

 

■JFN24局で『アイ・ガット・リズム』でビル・ウィザース物語放送

 

また、本物語と同時に2020年6月、東京FM系のJFN系24局ネットで放送される『アイ・ガット・リズム I Got Rhythm』(基本25分or30分x5回)で吉岡正晴が『ビル・ウィザース物語』を担当することになりました。6月2日FM新潟を皮切りに全国24局のFM局で放送されます。放送日・日時など一覧にまとめました。

 

番組ホームページ
https://park.gsj.mobi/program/show/43952
(5日前後に更新の予定です)

 

ラジオ番組は、いずれもラジコ(ラジオのインターネット配信サーヴィス。パソコン、スマートホンなどで聴取ができる)のタイムフリー、エリアフリー(有料)で全国どこからでも聴取可能です。

 

ラジコ
http://radiko.jp/
(エリアフリーなどの契約もこちらでできます。月額350円+税で全国の地上波FM局を聴取可能になります)

 

初回放送は、2020年6月2日(火)午前11時半からのFM新潟でした。その後6月5日から7日の週末にオンエアされます。

 

皆様お住まいの各地のFM局をお探しの上、お聞きいただければ幸いです。また、お住まいの地域に放送される局がなくてもいずれのラジコ・エリアフリー、タイムフリー(お住まいの地区以外のFMを聴くにはラジコの会員になる必要があります)のサーヴィスで聴取可能です。

 

~~~~~

 

放送日、各放送局は次の通りです。いずれも2020年。例えば6/7は6月7日。放送日の早い順に並べました。番組名は『I Got Rhythm』。

 

【2020年6月2日火曜・初回放送(基本は以降同曜日同時間に放送】

 

FM新潟 11:30~11:55(火)6/2~再放送6/6(土)21:30~55
https://www.fmniigata.com/
(以降毎週火曜午前11時30分~、再放送毎週土曜21時30分~)

ちなみに、一番最初に放送されたFM新潟(6月2日11時半~)のものは、エリアフリー、タイムフリーですでに聴取可能です。契約者の方は、こちらで聴取可。
http://radiko.jp/#!/ts/FMNIIGATA/20200602113000

 

【2020年6月5日金曜・初回放送】

 

福島エフエム 6/5、6/12、6/19、6/26、7/3 11:30~11:55(金)
https://www.fmf.co.jp/pc2/
FM群馬 6/5、6/12、6/19、6/26、7/3 11:30~11:55(金)
https://www.fmgunma.com/fmg863/
FM熊本 6/5、6/12、6/19、6/26、7/3 11:30~11:55(金)※6/5~
https://fmk.fm/

 

【2020年6月6日土曜・初回放送】

 

FM長野 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 5:00~5:30(土)
http://www.fmnagano.co.jp/
FM大分 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 7:30~8:00(土)
http://www.fmoita.co.jp/
FM山口 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 11:30~11:55(土)
http://www.fmy.co.jp/
FM佐賀 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 11:30~11:55(土)
http://www.fmsaga.co.jp/
FM福井 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 12:25~12:55(土)
https://www.fmfukui.jp/docs/
FM高知 (Hisix) 6/6 12:30~12:55(土)※第1週のみ
   6/25 20:30~20:55(木)最終週のみ?
http://www.fmkochi.com/
FM広島 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 18:30~18:55(土)
http://hfm.jp/
仙台 Date FM 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 18:30~18:55(土)
http://771.fm/smp/
FM長崎 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 20:00~20:30(土)
https://www.fmnagasaki.co.jp/
FM香川 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 20:25~20:55(土)
https://www.fmkagawa.co.jp/
FM宮崎(JOY FM) 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 27:30~28:00(土)
http://www.joyfm.co.jp/

 

【2020年6月7日日曜・初回放送】

 

FM徳島 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 6:00~6:30(日)
https://fm807.jp/
FM岩手 6/7、6/21、7/5 8:00~8:30(日)※第1、3、5週 のみ放送
http://www.fmii.co.jp/
FM石川 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 8:00~8:30(日)
https://hellofive.jp/
FM山形 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 9:00~9:30(日)
http://www.rfm.co.jp/
FM鹿児島 6/7、6/21 9:30~9:55(日)※第1、3週のみ放送
https://www.myufm.jp/
三重(レディオ・キューブ) 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 18:30~18:55(日)
http://fmmie.jp/
栃木 Radio Berry 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 19:00~19:30(日)
http://www.berry.co.jp/
FM山陰 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 24:00~24:30(日)
http://www.fm-sanin.co.jp/
FM大阪 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 27:30~28:00(日)
http://www.fmosaka.net/

 

全24局ネット。各局のエリアフリー、タイムフリーで何度でも聴取可能です。

 

~~~~~

 

本編『ビル・ウィザース物語~炭鉱の街からハリウッド・ヒルまで』(パート2)です。

 

~~~~~

 

(昨日のブログからの続き)

 

■ビル・ウィザース物語(パート2)~炭鉱の町からハリウッド・ヒルまで~

 

7.「リーン・オン・ミー」誕生。

 

素朴。

 

ビルは、ワッツ・103rd(ハンドレッド・サード)バンドのメンバーだったドラムスのジェームス・ギャドソン、ギタリストのバーノース・ブラックマン、キーボードのレイ・ジャクソン、そして、ベースのメルヴィン・ダンラップを従え、全米ツアーにまわる。そのツアー中にもビルは曲を書き、いくつかはステージで試しに歌ってみたりした。そして、それらの曲を集めて2枚目のアルバムを出すことになる。

 

そして、2作目からの名曲「リーン・オン・ミー」はこうして生まれた。1972年7月には全米ポップ・チャートで1位を3週連続で獲得するこの曲は、その後も何か有事のときの応援歌としてたびたび歌われたり、ラジオから流れたりする。ニューヨークの「911テロ」のとき、あるいは、いまのコロナ禍でも、社会が暗くどんよりしたときの応援歌になっている。それは詞の内容が時代と関係なく普遍的なものだからだ。

 

ビル・ウィザースの生まれ故郷スラブ・フォークは前述の通りとても貧乏な炭鉱町だ。そこでは、近所の誰もが皆を知っていた。誰かの家に塩がなければ、誰かが塩を貸し、ミルクが足りない家があれば、誰かがミルクを与えた。お互いがお互いを助け合い生きてきた小さな素朴な田舎街だった。そんな街では、誰かに頼る(Lean On Somebody)ということは、自然なことだった。

 

1971年のある日、ロスアンジェルスに移っていた彼は新しく買ったウーリッツァー社のキーボードをダンボールから取り出した。彼自身、ある程度ギターは弾くが、キーボードはそれほど弾けなかった。取り扱い説明書を読むこともなく、適当にいじりながら音を出し始めると、彼はある音が気に入った。いろいろなスイッチを適当にさわりながら、音を出していると、ちょっとしたメロディーをハミングしていた。そのハミングしたメロディーは彼が炭鉱の近くか、あるいは故郷の教会で聴いたようなメロディーだった。

 

DVD スクショ ビルウィザース ウーリッツァー (イメージ)

(ウーリッツァー・キーボード=イメージ)

 

思い浮かんだメロディーから、ビルの脳裏にはその故郷の人々が思い出された。そして、その故郷に思いをはせるうちに、歌詞ができてきた。誰もが誰かに頼る小さな炭鉱町の人々を歌った歌詞だ。「リーン・オン・サムバディー(誰かに頼る)」の街、スラブ・フォーク。そのことを思い浮かべながら書いた作品、それが「リーン・オン・ミー」だった。

 

しかし、この曲を作った時、彼にはアルバムのレコーディングの予定はなかった。1971年6月発売のデビュー・アルバム『ジャスト・アズ・アイ・アム』(ありのままの自分、自分そのもの、等身大の自分と言った意味)がヒットしていたが、それをプロデュースしてくれたブッカーTはスケジュールの関係で次の作品をプロデュースできなかった。(ここは推測だが、ブッカーTはビルのファースト・アルバムのプロデュース料を正しくもらえなかったのではないか。なので、1枚目があれだけ売れていたにも関わらず、ブッカーが断った。ブッカーの自伝にはビルのデビュー作のことは書かれているが、2枚目をてがけなかった理由などは書かれていない。おそらく公式には、「スケジュールがあわなかった」、ということになるのだろうが、実際はブッカーがファーストの約束されたギャラをもらえず、断ったのではないかと僕はふんでいる。次回、ブッカーに取材する機会があれば、ぜひ確かめてみたいと思う)

 

8.ガレージ・バンド。

 

直談判。

 

ビルはレコード会社サセックスの社長、クラレンス・エイヴォントにツアーで一緒にやっていたバンド・メンバーで2作目のレコーディングをしたいというが、エイヴォントは首を縦にふらない。エイヴォントは、一流のスタジオ・ミュージシャンを起用してアルバムを作ろうと考えていたようだった。

 

この頃の音楽業界の常識というのは、レコーディングはそれなりのプロ、つまり、スタジオ・ミュージシャンを使ってきっちりと音を作ることが「よし」とされた。彼らは譜面が読めなければならなかった。スタジオ代はひじょうに高かったので、一度譜面を見るだけで演奏できなければならなかった。

 

だから、何度もリハーサルを繰り返すライヴ・バンド、あるいは、ツアー・バンドは、そうしたスタジオ・ミュージシャンと比べると一段下に見られていたのだ。エイヴォント社長も、レコーディングはちゃんとしたミュージシャンを使ってやり、ツアーは別のライヴ用のバンドでやればいいと考えていた。ファーストを録ったブッカーT&MGズは、スタジオ・バンドとしても、またライヴ・バンドとしてもすでに定評があったので、レコーディングはうまく行ったわけだ。

 

DVD スクショ ビル・ウィザース ジェームスギャドソン アー写

(ジェームス・ギャドソン)

 

そこで、ビルはスタジオ代の安い午前中に3時間ほど時間をとってもらい、そのメンバーでデモ・テープを録音させてくれるよう直訴。なんとか社長の了解を得た。

 

ビルとジェームス・ギャドソン、そして、その仲間たちはいつもギャドソンの自宅ガレージに集まって、汗だくになってセッションをしていた。ビルは同じ仲間のキーボード奏者レイ・ジャクソンにメンバーを集めるように頼み、ある金曜の午前10時、皆がスタジオに集まることになった。彼らはギャドソンのガレージでいつもやっている曲を、スタジオでやればいいだけだ。心意気もよくわかっている。

 

しかし、このレコーディング・セッションの日、なんとギャドソンの車が故障してスタジオに来れなくなった。あわてたビルは、すぐにギャドソンの家に迎えに行き、大急ぎでスタジオに彼を連れてきた。「あんなに飛ばしたことはなかった」とビルは振り返る。

 

定刻より少し遅れたが、なんとか全員が揃いビルはメンバーに言った。「この3時間で我々は自分たちの実力を証明しなければならない」。

 

9.アル・ベルの助言

 

助言。

 

レコーディングはリハーサルの甲斐もあってか順調に進み、スタジオで「ユーズ・ミー」など何曲かを録音。スタジオからいきなり、ビルはテープを持ってエイヴォント社長のオフィースに直行した。社長は、ちょうどスタックス・レコードの重役であり、エイヴォントの手伝いをしていたアル・ベルとミーティングをしていた。そこで、できたての作品を聴かせると、クラレンスはあまりのってこない。ところが、アル・ベルがその作品を気に入ったようだった。

 

DVD スクショ ビル・ウィザース アル・ベル アー写モノクロ

(アル・ベル)

 

アル・ベルは言った。「このドラムスは、ワッツ・ハンドレッド・サード・バンドのドラムスのようだな。彼らにやらせたらいいじゃないか」。するとアル・ベルの意見には一目置いていたエイヴォントも「そうか…」という感じで、なんとかセカンド・アルバムのレコーディングにゴーサインがでた。もちろん、アル・ベルがぴんときたドラムスは、ジェームス・ギャドソン、つまり彼が見立てた通りワッツ・ハンドレッド・サード・バンドのドラマーだった。

 

2-3度のセッションで彼の2枚目のアルバム『スティル・ビル』が完成する。タイトルは、デビュー作が大ヒットし、グラミー賞を取ったとしても、ビル本人はハリウッドのけばけばしい世界に入って変わったりはしていない。「以前、昔と同じビル」という意味で、「スティル・ビル」と名付けられた。

 

アルバムからの最初のシングル「リーン・オン・ミー」は、1972年4月からヒット。見事にソウル・チャート、ポップ・チャートでナンバー・ワンに輝いた。その後もイギリスのグループ、マッドがカヴァーしたり、他にもマイケル・ボルトン、ティナ・ターナー、アル・ジャロウまで多数のカヴァーが誕生し、ビル・ウィザース作品の中でももっとも人気の一曲となった。その普遍的なメッセージは曲が書かれて30年以上たった今日でも輝きを失わない。

 

アルバムは1972年5月にリリースされソウル・アルバム・チャートで1位、見事ゴールド・ディスクに輝く。

 

DVD スクショ ビル・ウィザース リーンオンミー盤面 サセックス

 

10.「僕を頼って」。

 

リーン・オン・ミー
作詞・作曲・歌・ビル・ウィザース

 

人生、生きていけば、みな、痛みを感じる時もあれば、
悲しみにくれることもある
だが、私たちが賢ければ、
いつでも希望に満ちた明日がやってくることがわかっている

君が落ち込んでいる時には、僕を頼ってくれていいんだよ
僕は君の友達になって、君ががんばれるよう手助けしよう 
僕だってすぐに誰かを頼りにする日がくるかもしれないのだから

君に必要なものが僕の手元にあって、借りたいと思うなら、
プライドを捨てて、そう言ってくれ
その事を口に出して言わなければ、
誰も君の気持ちをわかってくれない

ブラザー、手助けが必要なら、ただ僕を呼んでくれればいい、
僕たちはみな、誰か頼れる人が必要なんだ
僕も君にはわかってもらえる悩みを抱えているかもしれない
僕たちはみな、誰か頼る人間が必要なんだ

持っていかなければならない荷物があるなら、
僕を呼び出してくれ、僕が荷物を少し持ってあげよう、
すぐに飛んでいくよ、君に友達が必要な時は・・・
呼んでおくれ

 

(大意・訳詞ソウル・サーチャー)

 

Lean On Me (1972)
Written And Sung By Bill Withers

 

Sometimes, in my lives
We all have pain, we all have sorrow
But, if we are wise
We know that there’s always tomorrow

Lean on me, when you’re not strong
And I’ll be your friend, I’ll help you carry on
For, it won’t be long
Til I’m gonna need somebody to lean on

Please swallow your pride
If I have things you need to borrow
For no one can fill
Those of your needs that you won’t let show

You just call on me brother when you need a hand
We all need somebody to lean on
I just might have a problem that you’ll understand
We all need somebody to lean on

Lean on me, when you’re not strong
And I’ll be your friend, I’ll help you carry on
For, it won’t be long
Til I’m gonna need somebody to lean on

You just call on me brother when you need a hand
We all need somebody to lean on
I just might have a problem that you’ll understand
We all need somebody to lean on

If there is a load
You have to bear, that you can’t carry
I’m right up the road
I’ll share your load if you just call me
Call me if you need a friend
Call me …

 

Lean On Me- Bill Withers (Lyrics)
https://www.youtube.com/watch?v=rdlPVBvkr-s

 

~~~~

 

11.カーネギー・ホールの栄誉。

 

栄光。

 

ビル・ウィザースは2枚のアルバムで、アメリカの音楽シーンに大きなインパクトを与えた。シングル「エイント・ノー・サンシャイン」と「リーン・オン・ミー」の2大ヒットで、いわゆるトップ40ファンからも、ロック・ファンからも、そしてもちろんソウル・ファンからも親しまれるようになった。

 

そして、その2枚のアルバムを受けて、ライヴ・アルバムを作る話がでてきた。しかも、会場はニューヨークの音楽の聖地とも言えるカーネギー・ホールだ。

 

レコーディングは1972年10月6日、メンバーは気心の知れたレイ・ジャクソン(キーボード、ピアノ)、ジェームス・ギャドソン(ドラムス)、メルヴィン・ダンラップ(ベース)、ギターにビノース・ブラックモン、パーカッションにボビー・ホール、そして、ビル・ウィザースがヴォーカルとギターとピアノを担当した。

 

DVD スクショ ビル・ウィザース カーネギーホール外観

(カーネギー・ホール)

 

そして彼は満員のカーネギーの観客を沸かせた。アルバムは、当時のヴァイナル2枚組で『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』と題され、1973年4月に全米発売された。(現在はCD1枚) ここには全14トラック(15曲)が収録されうち5曲が過去2枚のアルバムに入っていない新曲だ。

 

ちなみに1作目『ジャスト・アズ・アイ・アム』から「エイント・ノー・サンシャイン」、「グランドマズ・ハンズ」、「ベター・オフ・デッド」、「ホープ・シール・ビー・ハピアー」、「ハーレム」の5曲、2作目『スティル・ビル』から「ユーズ・ミー」、「レット・ミー・イン・ユア・ライフ」、「ロンリー・タウン、ロンリー・ストリート」、そして、「リーン・オン・ミー」の4曲。残る6曲が新しい。

 

ただ、「ハーレム」とメドレーになっている「コールド・バロニー」は一足先にアイズレイ・ブラザースが「ハーレム」をベースに二次創作、改編し「コールド・ボローニャ」としたもので、ビル自身もその制作に携わった曲だ。

 

二次創作。

 

この「ハーレム」と「コールド・ボローニャ(コールド・バロニー)」について少し説明しておこう。

 

まず「ハーレム」を聴いてインスパイアーを得たアイズレイ・ブラザースが「コールド・ボローニャ」という曲を作った。「ハーレム」のコード進行、リズムを使い独自の歌詞を載せたもの。アイズレイのアルバム『ギヴン・イット・バック』(1971年)に収録された。アイズレイのヴァージョンにもビルはゲストでギターを弾いている。

 

「コールド・ボローニャ」とは、冷たいボローニャのこと。ボローニャとは写真のようなハムだ。

 

DVD スクショ ビル・ウィザース ボローニャハム

(ボローニャハムのサンドイッチ)

 

主人公のお母さんが金持ちの家のお手伝いさんをしていて、そこの余りもののコールド・ボローニャを持ち帰って、それにマヨネーズをつけパンと一緒に食べるという話。家には食べ物がなくて、おなかが空いている子供が、お母さんが持ち帰る残り物のコールド・ボローニャを待っているというまさにハーレムにありそうな世相を描いた作品だ。

 

これがアイズレイのヴァージョン。ギターはビル・ウィザース。

 

Isley Brothers – Cold Balogna
https://www.youtube.com/watch?v=nlrCNFIr_xY

 

ということで、この2曲はビルにとっても1曲でメドレーにして歌うのも自然なことだった。

 

そして、1枚目と2枚目のアルバムが出た後に、ビルはカーネギー・ホールでのライヴで2曲をメドレーにして披露した。ライヴ盤ではなんと13分余におよぶ。

 

Harlem / Cold Baloney-Bill Withers-1973
https://www.youtube.com/watch?v=c6_qJ4_EXnk

 

これはいわば当夜のハイライトの一曲と言えるかもしれない。

 

もうひとつ、日本人の僕には当初わからなかったが、彼にとって「ハーレム」と「ゲットー」というのは、なにかしっかり違うものという意識があるようだ。「ハーレム」はその昔は「ハーレム・ルネッサンス」とも呼ばれるほど、一時期は華やかな場所だった。一方、「ゲットー」は本当にスラム街だ。「ハーレム」は歌うが、「ゲットー」は歌いたくない。それがビルの気持ちなのだろう。

 

「スリー・ナイツ~」として作った曲が、洗練された「ハーレム」となり、その「ハーレム」をベースにいわば二次創作のような形で「コールド・ボローニャ」ができ、それをなんとカーネギー・ホールでメドレーにして披露するという、楽曲としては大変な栄誉、栄光の道を歩んだともいえる。

 

■CD

 

Bill Withers – Greatest Hits (輸入盤)
https://amzn.to/2wzlKNC
なぜか各作品が異様に値上がりしていて困りますね

 

アイズレイ・ブラザース=ギヴィング・イット・アップ

DVD スクショ ビル・ウィザース アイズレー


https://amzn.to/2RuGjSs

 

ビル・ウィザース=ライヴ・アット・カーネギー・ホール
ライヴ(在庫切れ)

DVD スクショ ビル・ウィザース ジャケ写 ライヴ 


https://amzn.to/2XsbgL5

 

~~~~~

 

ハーレム
作詞・作曲・歌 ビル・ウィザース

 

ハーレムの夏の夜
本当に暑いぜ
暑すぎて寝られない、この暑さだが心は寒すぎる
俺が死のうが死ぬまいが関係ない

ハーレムの冬の夜
暖房が温かくならない
意地悪な大家は俺が凍え死のうが死ぬまいが、気にしちゃいない

ハーレムの土曜の夜
万事OK
のってのって踊りあかすんだ
すべてOK

ハーレムの日曜の朝
みんなドレスアップする
遊び人たちはパーティーから帰ってくるが、まじめな連中は朝起きたところ
牧師を聖なる地に送るという名目で詐欺師たちが寄付を募る
なあ、ハニー、君の金をそんなウソつきのペテン師にやっちゃだめだ

 

(訳詞・ソウル・サーチャー)

 

~~~

 

冷たいボローニャ・ハム
作詞・作曲・歌 ビル・ウィザース
演奏・アイズレイ・ブラザース


コールド・ボローニャ(冷たいボローニャ・ハム) 5歳の僕はたった一人でお留守番
外は凍てつく寒さ
ママは金持ち一家のためにステーキを焼いてる

僕は眠い、でもママが帰ってくるまで待っている
そう、金持ち一家がおいしいものを食べ残してくれたら、ママが持ち帰ってきてくれるから

そう、食べ残しの冷たいボローニャを
それにマヨネーズとパン
その冷たいボローニャ・ハムがないと僕は死んじゃうんだ

ママはクタクタだ
ママは言う「お前、何食べてるんだい?」
「ボローニャ・サンドイッチだよ、おいしそうでしょう。ママにも作ってあげようか?」

そう、食べ残しの冷たいボローニャを
それにマヨネーズとパン
その冷たいボローニャ・ハムがないと僕は死んじゃうんだ

 

(訳詞・ソウル・サーチャー)

 

~~~~


Harlem
Written and sung by Bill Withers

Summer night in Harlem
Man it's a really hot
Well it's too hot to sleep, and I'm too cold to heat
I don't care if I die or not

Winter night in Harlem
Radiator won't get hot
Well the mean old landlord, he don't care
If I freeze to death or not

Saturday night in Harlem, everything's alright
You can really swing and shake you're pretty thing
Everything's alright

Sunday morning here in Harlem, everybody's all dressed up
While the hip folks gettin' a home from the party
And the good folks just got up
Crooked delegation wants a donation
To send the preacher to the holy land
Hey, hey lawd, honey don't give your money to that lying, cheatin' man

Saturday night in Harlem, everything's alright
You can really swing and shake you're pretty thing
Everything's alright

Sunday morning here in Harlem, now everybody's all dressed up
While the hip folks gettin' a home from the party
And the good folks just got up
Crooked delegation wants a donation
To send the preacher to the holy land
Hey, hey lawd, honey don't give your money to that lying, cheatin' man


~~~

 

Cold Bologna
Written by Bill Withers
By Isley Brothers


[Verse 1]
Cold bologna, and I'm home by myself
Well, I'm 5 years old, and it sho' is cold
Mama's out cookin' steak for someone else

Sure am sleepy, but I'm gonna wait 'til my mama comes
Well, if the rich folks don't eat up
All that good meat, y'all, mama's gonna bring me some

[Chorus]
Talkin' bout that
Cold bolonga and mayonnaise and bread
If it wasn't for cold bologna by now (Cold bologna)
Y'all know I would've been dead

[Verse 2]
Mama sure looks tired
She said, "what's that you eatin', son?"
"That bologna sandwich sure looks good --
Won't you Ahh, Owww, fix your mama one?"

[Chorus]
Talkin' bout that
Cold bolonga and mayonnaise and bread (Cold bologna)
If it wasn't for cold bologna by now (Cold bologna)
Y'all know I would've been dead


ストーリーテラーとしてのビル・ウィザースの魅力が存分に出たライヴ盤としても傑作となった。

 

石炭の炭で薄汚れたスラブ・フォークの田舎街を出てレコード・デビューしてからわずか2年ほどで、カーネギー・ホールへ。誰も想像だにしない出世ぶりだった。

 

サセックスではこの後3枚のアルバムを出す。この間に、1971年、デビュー作から「グランドマズ・ハンズ」、1972年2作目から「リーン・オン・ミー」、「ユーズ・ミー」、1973年「キッシング・マイ・ラヴ」、1974年「ザ・セイム・ラヴ・ザット・メイド・ミー・ラフ」、1977年「ラヴリー・デイ」などが大ヒットし、押しも押されぬスターとなった。

 

この間、いい仕事もはいってきて、1974年10月にはアフリカのザイールで行われたモハメド・アリとジョージ・フォアマンのボクシングの試合のイヴェントにジェームス・ブラウン、スピナーズらと出演。この模様は2008年に映画『ソウル・パワー』として日本でも公開された。

 

DVD スクショ ビル・ウィザース 映画 ソウルパワー ザイール ビルが映ってるところ

(映画『ソウル・パワー』から、左・モハメド・アリ、真ん中・ビル・ウィザース、右・ドン・キング)

 

すべては順風満帆のようだった。だが、好事魔多し…。

 

(後半パート3へ続く)

 

~~~~~

 

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2) ペイペイ(PayPay) 使用の方法

 

ペイペイアカウントをお持ちの方は、こちらのアカウントあてにお送りいただければ幸いです。送金先IDは、 whatsgoingon です。ホワッツ・ゴーイング・オンをワンワードにしたものです。こちらもサポートは匿名でもできますし、ペンネーム、もちろんご本名などでも可能です。もし受領の確認、あるいは領収書などが必要でしたら上記メールアドレスへお知らせください。PDFなどでお送りします。

 

3) サポートしたいが、ペイペイ、ペイパル、ノートなどでのサポートが難しい場合は、 ebs@st.rim.or.jp までご連絡ください。銀行振込口座をご案内いたします。(ちなみに当方三井住友銀行です。同行同士の場合、手数料がゼロか安くなります)

 

コロナ禍、みなさんとともに生き残りましょう。ソウル・サーチン・ブログへのサポート、ご理解をいただければ幸いです。

 

ソウル・サーチン・ブログ運営・吉岡正晴

 

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