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Channel: 吉岡正晴のソウル・サーチン
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■ビル・ウィザース物語(パート3)~炭鉱の町からハリウッド・ヒルまで

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■ビル・ウィザース物語(パート3)~炭鉱の町からハリウッド・ヒルまで 2

 

前回パート1まで。

 

ウェスト・ヴァージニア州の炭鉱の街スラブ・フォークに生まれたビル・ウィザースは、黒人で喘息持ちで吃音(どもり)の問題があるという三重苦の少年だった。しかし、その極貧の街から出るために海軍に入隊。そこで培った人生を生きる術をもとに、西海岸に出る。ジャンボ機のトイレを取り付ける仕事をしながら、日々の生活を送っているときに、ひょんなことから見たルー・ロウルズのライヴ会場でルーのギャラがはんぱなく大きいことを知り、音楽業界入りを目指す。起業家クラレンス・エイヴォントと出会い彼のサセックスと契約。見事にヒットを出し、グラミー賞を獲得。ニューヨークの名門カーネギー・ホールでのコンサートも成功させた。すべては順風満帆のキャリアに見えたが… 

 

~~~~~ 

 

 

 シンガー・ソングライター、ビル・ウィザースが2020年3月30日に81歳で死去しました。その訃報などを当初はツイッターなどで連投し、さらに4月5日付けブログから8回にわたっていろいろと投稿しました。それらのビル・ウィザース関連原稿を大幅に加筆修正しまとめて、このノートに『ビル・ウィザース物語~炭鉱の街からハリウッド・ヒルまで』として2回に分けて掲載します。これはその2回目の前半です。

 

1回目(パート1)は、こちらです→https://note.com/ebs/n/nfada9bf816d2

 

ビルの訃報は日本時間の2020年4月3日(金)夜に流れました。僕のツイッターでは3日の23時43分に一報を流し以後いくつも情報を出し、4日以降、日本でも、また世界でも一斉に追悼モードとなりました。「ソウル・サーチン・ブログ」5日付けのブログで少しまとめ、以後、ビル関連の記事を結局トータル8本紹介したのでひとつにまとめました。特に評伝はかなり加筆しました。ゆっくりお楽しみください。 

 

また、本物語と同時に2020年6月、東京FM系のJFN系24局ネットで放送される『アイ・ガット・リズム I Got Rhythm』(基本25分or30分x5回)で吉岡正晴が『ビル・ウィザース物語』を担当することになりました。

 

6月2日FM新潟を皮切りに全国24局のFM局で放送されます。放送日・日時など一覧にまとめました。 番組ホームページ『I Got Rhythm 音楽が生まれる時』(#62~#66) 

 

https://park.gsj.mobi/program/show/43952

 (5日前後に更新の予定です) 

 

ラジオ番組は、いずれもラジコ(ラジオのインターネット配信サーヴィス。パソコン、スマートホンなどで聴取ができる)のタイムフリー、エリアフリー(有料)で全国どこからでも聴取可能です。 

ラジコ http://radiko.jp/

(エリアフリーなどの契約もこちらでできます。

 

月額350円+税で全国の地上波FM局が聴取可能になります) 

 

この他に、ウィズ・レイディオというアプリで全国のFM局が無料で聴けます。詳細はこちらへ

https://www.wizradio.jp/

 

初回放送は、2020年6月2日(火)午前11時半からのFM新潟でした。その後6月5日から7日の週末に初回がオンエアされています。 皆様お住まいの各地のFM局をお探しの上、お聞きいただければ幸いです。また、お住まいの地域に放送される局がなくてもいずれのラジコ・エリアフリー、タイムフリー(お住まいの地区以外のFMを聴くにはラジコの会員になる必要があります)のサーヴィスで聴取可能です。 

 

~~~~~ 

 

放送日、各放送局は次の通りです。いずれも2020年。例えば6/7は6月7日。放送日の早い順に並べました。番組名は『I Got Rhythm』。25分番組として放送する局と30分番組として放送する局があります。できれば、30分番組をお聞きいただけると澤岩居です。30分局に★をつけました。 

 

【2020年6月2日火曜・初回放送(基本は以降同曜日同時間に放送】 

 

FM新潟 11:30~11:55(火)6/2~再放送6/6(土)21:30~55 https://www.fmniigata.com/

(以降毎週火曜午前11時30分~、再放送毎週土曜21時30分~) 

 

【2020年6月5日金曜・初回放送】 

 

福島エフエム 6/5、6/12、6/19、6/26、7/3 11:30~11:55(金) https://www.fmf.co.jp/pc2/

FM群馬 6/5、6/12、6/19、6/26、7/3 11:30~11:55(金) https://www.fmgunma.com/fmg863/

FM熊本 6/5、6/12、6/19、6/26、7/3 11:30~11:55(金)※6/5~ https://fmk.fm/

 

【2020年6月6日土曜・初回放送】 

 

★FM長野 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 5:00~5:30(土) http://www.fmnagano.co.jp/

★FM大分 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 7:30~8:00(土) http://www.fmoita.co.jp/

FM山口 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 11:30~11:55(土) http://www.fmy.co.jp/

FM佐賀 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 11:30~11:55(土) http://www.fmsaga.co.jp/

★FM福井 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 12:25~12:55(土) https://www.fmfukui.jp/docs/

FM高知 (Hisix) 6/6 12:30~12:55(土)※第1週のみ    6/25 20:30~20:55(木)最終週のみ?

http://www.fmkochi.com/

FM広島 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 18:30~18:55(土) http://hfm.jp/

仙台 Date FM 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 18:30~18:55(土) http://771.fm/smp/

★FM長崎 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 20:00~20:30(土) https://www.fmnagasaki.co.jp/

★FM香川 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 20:25~20:55(土) https://www.fmkagawa.co.jp/ 

★FM宮崎(JOY FM) 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 27:30~28:00(土) http://www.joyfm.co.jp/

 

【2020年6月7日日曜・初回放送】 

 

★FM徳島 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 6:00~6:30(日) https://fm807.jp/ 

★FM岩手 6/7、6/21、7/5 8:00~8:30(日)※第1、3、5週 のみ放送 http://www.fmii.co.jp/

★FM石川 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 8:00~8:30(日) https://hellofive.jp/ 

★FM山形 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 9:00~9:30(日) http://www.rfm.co.jp/ 

FM鹿児島 6/7、6/21 9:30~9:55(日)※第1、3週のみ放送 https://www.myufm.jp/

三重(レディオ・キューブ) 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 18:30~18:55(日)

 http://fmmie.jp/

★栃木 Radio Berry 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 19:00~19:30(日) http://www.berry.co.jp/

★FM山陰 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 24:00~24:30(日) http://www.fm-sanin.co.jp/

★FM大阪 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 27:30~28:00(日) http://www.fmosaka.net/

 

全24局ネット。各局のエリアフリー、タイムフリーで何度でも聴取可能です。 ちなみに、一番最初に放送されたFM新潟(6月2日11時半~)のものは、エリアフリー、タイムフリーですでに聴取可能です。契約者の方は、こちらで聴取可。 http://radiko.jp/#!/ts/FMNIIGATA/20200602113000

 

~~~~~

 

 冒頭にニュース、リンク、そして、本編『ビル・ウィザース物語~炭鉱の街からハリウッド・ヒルまで』(パート2) ~~~~ 

 

(前回パート1まで。ウェスト・ヴァージニア州の炭鉱の街スラブ・フォークに生まれたビル・ウィザースは、黒人で喘息持ちで吃音(どもり)の問題があるという三重苦の少年だった。しかし、その極貧の街から出るために海軍に入隊。そこで培った人生を生きる術をもとに、西海岸に出る。ジャンボ機のトイレを取り付ける仕事をしながら、日々の生活を送っているときに、ひょんなことから見たルー・ロウルズのライヴ会場でルーのギャラがはんぱなく大きいことを知り、音楽業界入りを目指す。起業家クラレンス・エイヴォントと出会い彼のサセックスと契約。見事にヒットを出し、ニューヨークの名門カーネギー・ホールでのコンサートも成功させた。すべては順風満帆のキャリアに見えたが…) 

 

■ビル・ウィザース物語(パート2の前半)~炭鉱の町からハリウッド・ヒルまで

 

 12.サセックスが倒産~CBSへ移籍 

 

倒産。

 

ビル・ウィザースのキャリアは順風満帆だった。シングルもヒット、アルバムもベストセラーに。ライヴも好調。だが、好事魔多し。なんと所属レーベル、サセックスが1974年からそれまでのブッダ・レコーズの配給から独立し、自身で配給するようになってから資金繰りがうまくいかなくなってしまった。そして、1975年7月には倒産してしまう。 

 

同社の最大のベスト・セラー・アーティストだったビル・ウィザースはサセックスに3枚のスタジオ・アルバム、1枚のライヴ・アルバム計4枚のアルバム(このほかにベストが1枚)を残し、同年、CBSコロンビアに移籍。 

 

1975年10月、移籍第一弾『メイキング・ミュージック』をリリース。ソウル・アルバム・チャートで7位、ポップ・アルバム・チャートで81位とそこそこの成績を収めた。続く1976年の『ネイキッド&ウォーム』は不発だったが、1977年発売の『メナジェリー』は、それまでの最大のヒット・アルバムだった2作目『スティル・ビル』以来初めて50万枚を超えるゴールド・ディスクに輝く。コロンビア時代では最大のヒット作だ。ここからは、「ラヴリー・デイ」が大ヒットし、これがアルバムのベスト・セラーに結びついた。 

 

ビル・ウィザース ジャケ写 メイキングミュージック 

 

ビル・ウィザース ジャケ写 ネイキッド 

 

ビル・ウィザース ジャケ写 マネジェリー 

 

そして、1978年『‘バウト・ラヴ』を出したあたりで担当のA&Rディレクターの人事異動があったようだ。移籍から約3年半でゴールド・ディスク1枚を含む4枚のリリース成績はまずまずだったとは言えるだろう。 

 

ビル・ウィザース ジャケ写 バウトラヴ 

 

移籍後4年ほどは順調だった。

 

 しかし、この担当替えがビル・ウィザースにとって大きな転機になるとは誰しも思わなかった。 

 

13.変わったA&Rディレクター

 

悪夢。 

 

この時期コロンビア・レコーズのソウル部門はマンハッタンズやジョニー・テイラー、さらにはアース・ウィンド&ファイアーの大成功でかなり勢いに乗っていた。また、音楽的には、ディスコが大ブームでダンス曲が主流になっていた。しかし、ウィザースはそうしたものにはまったく見向きもせずマイペースで自身の作品を歌っていた。いちおうグルーヴのあるアップテンポの曲はそれでも録音はしている。

 

担当替えは、アーティストにとっても、その担当者にとってもリスキーだ。A&Rマンが変わり、成功することもあれば、逆にヒットが出なくなることもある。基本的には成功しているときには、「物事を動かすな」がセオリーだが、『メナジェリー』の次の『‘バウト・ラヴ』の成績が芳しくなかったので、担当替えになったのだろう。 

 

そのコロンビアで新しく担当となったA&Rディレクターはミッキー・アイクナー(白人)という人物だった。 

 

ミッキーアイクナー (ミッキー・アイクナー) 

 

ミッキーの正確な生年はわからないのだが、おそらくビル(1938年生まれ)と同じ年か少し上かもしれない。おそらく1930年代中期くらいの生まれだろうか。1960年代初期には、すでにインディのジュビリー・レコードでヒット曲に携わってきた。フォー・エイセス、ボビー・フリーマンなどの作品をてがけてきた。1970年ごろにはセプター・レコードでシングル盤などにプロデューサーとして名前が残されている。その後1970年代初期になってコロンビアに移籍し、以後、十数年コロンビアで制作、宣伝ディレクターとして活躍した。1970年代には、マンハッタンズなどを担当していた。1990年代に入り、現在では、「ジ・アイクナー・エンタテインメント・カンパニー」という会社を運営している。元々ラジオDJになることが夢だったそうで、ラジオ局のDJともコネがあり、いかにシングル・ヒットを生み出すかに長けた人物のようだ。 

 

そんなアイクナーは、ウィザースの担当になり初ミーティングの席で「私はあなたの音楽に興味はないし、いいとも思わない」と言い放ったというのだ。そのときウィザースは「彼のことを殴らなかった自分を誇りに思う」と振り返る。 

 

自分の担当アーティストにそんなことを言うディレクターもディレクターだが、おそらく、昔ながらの古参ディレクターだったのだろう。以来、彼らはことあるごとにぶつかり合う。彼にとって、悪夢の始まりだった。 

 

コロンビア時代のアルバムは、当時のLAのトップ・セッション・ミュージシャンを起用することが多く、ウィザースの昔からの仲間であるメンバーがあまり重用されていない。盟友ジェームス・ギャドソン(ドラムス)は、調べてみると5枚のアルバムに一曲も入っていないのだ。 

 

そのあたりもウィザースは若干不満を持っていた。 

 

14. 敵対(アンタゴニスティック)。 

 

A&R。 

 

A&Rとは、アーティスト&レパートリー(レパトワー)の略。直訳すると「アーティストと楽曲」。アーティストにどんな曲を歌ってもらうかを考え、その辺の事務・スタジオ作業を一切取り仕切る。レコード会社でA&Rといえば、そのの中枢であり、作品を作る司令塔でもある。 

 

しかし、このA&Rをビルは、「antagonistic and redundant」(敵対と冗長、不必要、余剰)だと言ってはばからない。 

 

■ビル・ウィザースが2015年、ロック殿堂入りを果たした時の受賞スピーチ(約13分) 

 

Bill Withers Acceptance Speech at the 2015 Rock & Roll Hall of Fame Induction Ceremony 

https://www.youtube.com/watch?v=Ir3JDyQ7yZE&fbclid=IwAR3p4H8hlg9XBNdKb9hs9HyTUEQryoXlgPnUCjWBfi7K7pA73AqwrkNFmMA

 

(キャプションをオンにすると、ある程度の英語字幕がでます。固有名詞は間違いが多いですがw) 

 

13分にもおよぶスピーチはなかなか楽しく素晴らしいので全文の起こしがほしいほどだが、この1分02秒くらいのところで、「アンタゴニスティック&リダンダント」という表現がでてくる。 

 

この授賞式ではこの前にジョーン・ジェットがA&R問題についてちょっと語ったようで、それを受けて、A&Rについて少し語る。そして、この授賞式自体を最大のA&R(敵対と冗長な)ミーティングだと言い、観客から笑いを取る。 

 

15.「イン・ザ・ゲットー」問題。 

 

ゲットー。 

 

このアイクナーとはとにかく衝突した。ウィザースがしばしば語るのが、アイクナーがウィザースにエルヴィス・プレスリーの1969年の大ヒット「イン・ザ・ゲットー」をカヴァーさせようとしたことだ。 

 

エルヴィスの「イン・ザ・ゲットー」はとてもいい歌詞で、またメロディーも抒情的で、一見(一聴)ウィザースに向いているかとも思わせられる。しかし、ウィザースはきっぱりと言う。 

 

エルヴィス イン・ザ・ゲットー ジャケ写 

 

「そんなゲットーに住んだこともないし、ほとんど行ったこともない。だいたいエルヴィスについても何も知らないんでね。なんで、そんな曲をカヴァーしなきゃならないんだ」とけんもほろろだ。自分自身がその歌詞に共感できなければ、彼は絶対にその歌を歌わない。ビル・ウィザースは、サセックス以降、誰かのヒットをほとんどカヴァーしていない。 

 

A&Rマンとして、そのアーティストに歌わせたい曲と、そのアーティストが歌いたい曲の心意気を知るのは重要な仕事だ。あるときは、その狭間を埋めるのもA&Rマンの大きな仕事のひとつだ。 

 

■「イン・ザ・ゲットー」について 

 

キャンディ・ステイトンが歌った「イン・ザ・ゲットー」 

2012年07月03日(火) 

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11292423452.html

 

「イン・ザ・ゲットー」はこんな歌だ。 

 

イン・ザ・ゲットー (マック・デイヴィス作) 

 

粉雪落ち行く 寒く暗いシカゴの朝 

ひとりのかわいそうなベイビーが生まれた 

ゲットーの片隅に 

 

母親は泣いている 

 

ろくに食事も与えられないベイビーなど欲しくないからだ 

 

ゲットーで生きていくには 

どうして子供に愛ある手助けが必要だと 

みなわからないのだろう 

手助けがなければ、その子はいつか怒れる心荒む若者になってしまう

顔をそむけ、目をそらし、 

あなたと私、見て見ぬ振りをするの?

 

世界は遷ろう 鼻水たらし、飢えた小さな子が、北風すさむストリートで遊んでいる 

ゲットーのストリートで 

 

空腹も限界に達し、街をうろつき始め 

盗みを知り、喧嘩を覚える 

ゲットーの片隅で 

 

自暴自棄になったある夜 

若き男はキレた 銃を買い、車を盗み 逃げようとしたが、逃げ切れなかった そして、母親は泣く 

 

怒れる心荒んだ若者の周りに人垣ができた 

地に横たわった彼の手には銃が 

ゲットーのストリートの一風景 

 

こうして母親の息子は、シカゴの冷たく暗い朝、死んでいった 

だが一方で、ゲットーでは、また小さなベイビーが生まれてくる 

そして、涙にくれる母親がまたひとり 

 

(訳詞・大意・ザ・ソウル・サーチャー) 

 

ウィザースは不満をぶちまける。

 

 「彼らは僕に、(バックに)かわいい女の子のコーラスをいれて、ブラス・セクションもいれろ」と言ったり、「イントロは何秒だ? 曲にイントロをつけろ」と言ったりしてきたという。「冗談じゃない。そんなのは僕の音楽じゃない。イントロなんて、僕の曲には別に必要ない。『エイント・ノー・サンシャイン』なんて、歌いだして始めるんだから」 

 

1970年代後期は、映画『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』(1977年)の世界的大ヒットによって、音楽業界が「ディスコ一色」になっていた時期でもある。レコード会社はアップテンポでダンサブルな曲をアーティストに録音させようと躍起になった。バック・コーラスをいれ、ブラス・セクションをいれる派手なディスコ曲、そうしたものをレコード会社は求めた。しかし、ウィザースの作る曲は、歌詞が重要であり、ダンス・ミュージック、ディスコではなかった。彼自身「ディスコ的な作品」を作るつもりは毛頭なかった。 

 

「僕はエンタテイナーになりたいなんて思わない。ステージにあがって拍手をもらいたいとも思わないんだよ。もっとも避けたかったことがステージでダンスをすることだ(苦笑)。 僕は、なによりもソングライターだと思っている。僕の収入のほとんどは楽曲の使用料(印税)からでライヴ・ツアーをしてのものではない。毎晩、全米中を旅してまわっていたら、子供をきちんと育てられないとも思っていた。そして、ソングライターの仕事と言うのは家のトイレで、トイレット・ペーパーにでも書き散らしてもできることなんだ」 

 

ウィザースが歌う歌は、自分自身の生活半径5メートルくらいのものだ。5メートルが極端であれば、彼の身近な人々に起こることを彼のヴォキャブラリー(語彙)で歌詞・物語にしていく。 

 

たしかに、「イン・ザ・ゲットー」はすばらしい曲だが、ウィザースの生活とはあまりに接点はなかった。ウィザースは貧しい田舎街の生まれ育ちで、都会のゲットーのような所で生活はしていなかった。貧しくても、お互い助け合う(lean on everybody)、そんな温かい土地に住んでいたのだ。 

 

16.衝突。 

 

没連絡。 

 

A&Rディレクターとアーティストは、通常は連絡を密に取り、次の作品をどのようなものにしようか、どんな楽曲をどのミュージシャンと録音しようか、アルバムのコンセプトはどうすrか、ツアーはどうするか、宣伝をどのようにするかなど話し合う。小説の世界で言えば、作家と編集者という立場に相当する。 

 

しかし、あるとき、ウィザースからアイクナーに電話をすると、まったく折り返しの電話がなかった。何度かかけても、電話に出ることもなくなり、返事はまったく来ないで、結局2年以上電話で話すことさえできなかったという。 

 

こんな調子だったら、ビルでなくても激怒し、どんなシンガーもコロンビアではもうアルバムは作るまい、と思うことだろう。それにしても、2年も自分の担当と電話でさえ話せないのに、ウィザースはよく我慢したものだ。 

 

実際、ビルは1975年から78年まで4枚のアルバムを出したが、アイクナーの担当になり、アルバムが出なくなる。その間、7年の長きにおよぶ。

 

ウィザースが振り返る。「もう(契約だけに)縛られているような、閉じ込められている感じになってね。『もうたくさんだ』と思った。彼(アイクナー)は何もブラック・ミュージックのことなどわからずに僕を葬り去ろうとしていたからね。とても不愉快だった。だから、以来レコード会社とはどことも契約していない」 

 

ビル・ウィザースはそんな彼にいいように振り回されてしまったわけだ。

 

アイクナーにビル・ウィザースが生きてきた人生の歩みなどは、到底わかろうはずもない。1980年代にレコード会社が、「産業ロック」「産業ジャズ」など数を売る巨大産業になり、「売れること至上主義」となった弊害が如実にここにでたのかもしれない。また、単に本当にビルの音楽に興味がなかったのかもしれない。レコード会社はなぜ担当を変えたりしなかったのだろう。ちょっと不思議だ。 

 

17. 空白のとき。 

 

音楽仲間。 

 

1978年の『‘バウト・ラヴ』以降、ディレクターと連絡が取れなくなったビル・ウィザースだったが、ミュージシャン仲間の間では十分にリスペクトされていた。 

 

1980年、彼のもとにジャズ界のアーティスト2人から声がかかる。1人がクルセイダーズのジョー・サンプル、もう1人がラルフ・マクドナルドだ。 

 

 (ジョー・サンプル) 

 

ちょうどジョー・サンプルがクルセイダーズの次のアルバム用に作った「ソウル・シャドウズ」という曲のヴォーカルを探していて、ビル・ウィザースに白羽の矢が立った。 

 

「ソウル・シャドウズ」の歌詞は1978年以来ジョーと一緒に仕事をしている職業作詞家のウィル・ジェニングスが書いている。ジョーとウィルはB.B.キングの『ミッドナイト・ビリーヴァ―』(1978年)のアルバムを一緒に作り、その後、クルセイダーズの「ストリート・ライフ」(1979年)を共作し、さらに、ランディー・クロフォードなどが歌う「ワン・デイ・ウィル・フライ・アウェイ」(1980年)を作る。そして、ウィルはのちに映画『タイタニック』のテーマ「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」ではアカデミー賞を獲得。また、エリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘヴン」も彼の作詞だ。

 

ジョーからこんな曲をレコーディングしないかと誘われて、ビルがスタジオに行き、録音した。ジョーによれば、「ファースト・テイクで文句なしだったよ。だけど、ビルが『もう一度やらせてくれ』ってせがむんで、もう一度やらせた。そうしたら、『もう一回』と。何度かやったんだよね。2時間ほどでビルは帰っていったが、翌日プレイバックを電話越しに聴いたビルは、『なんであんなに何度もやらせたんだ』って言うんだ。(笑) 『いや、私たちはファースト・テイクで十分だって何度も言ったよ』って言い返したよ」と笑う。 

 

この曲のコンセプトは、ジョー・サンプルが偉大な先達に敬意を表明するというもの。そうしたコンセプトをウィルに話し、ウィルが歌詞を書き、ジョーが曲を書いた。クルセイダーズの1980年6月発売のアルバム『ラプソディー・アンド・ブルーズ』に収録されている。「ソウル・シャドウズ」は1980年8月からソウル・チャート入りし、最高位41位を記録する。

 

クルセイダーズ ラプソディー&ブルーズ 

 

ちなみに、この中にでてくる「スーパー・チーフ」はシカゴからロスまで行く大陸横断列車のことだ。ジョーの父親は、この「スーパー・チーフ」ではないかもしれないが、こうした大陸横断列車のシェフだった。ジョーの父はニューオーリンズからロスアンジェルスに向かう「サンセット・ルート」だったかもしれない。いずれにせよ、ここにも、ジョー・サンプルの思いが込められていた。 

 

この「ソウル・シャドウズ」はアルバム『ラプソディー・アンド・ブルーズ』に収録される。 

 

Rhapsody And Blues 

クルセイダーズ 

https://amzn.to/2xlOMR3

 

Soul Shadows – Crusaders ftg Bill Withers (1980) 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=x_ShHW5iKlY

 

18.ソウルの面影。 

 

面影。 

 

「ソウル・シャドウズ」(ジョー・サンプル作曲、ウィル・ジェニングス作詞) 演奏=クルセイダーズ・歌=ビル・ウィザース 

 

サンフランシスコにきーんとした冷たい朝が訪れる 

目覚めているのか、夢うつつかぼんやりしている 

シカゴからロスへ向かう「スーパー・チーフ」(*)で車窓をともにしたファッツ・ウォーラーが言った 

「俺の音楽は本物だ。それ以外はまがいものだ」 

彼がプレイすると、彼のソウルは残り香を漂わせた 彼は僕の心の奥深くソウルの面影(Soul Shadows)を残していった 

 

霧が忍び込む窓辺に佇むと、はるかかなたの音楽が聞こえてくる

ジェリー・ロール・モートン(*)がルイジアナのストーリーヴィルでピアノを奏でている 

サッチモ(*)がシカゴでむせび泣いている 

コルトレーン(*)は心の叫びを音に託していた 

彼らのソウルはこの空気の中に漂っていく 

彼らは僕の心の奥深くソウルの面影を残していった、ソウル・シャドウズを 

 

【註】 

 

スーパー・チーフ Super Chief は、1936年から1971年までアチソン・トピカ&サンタフェ鉄道(AT&SF)がシカゴとロスアンジェルス間に運行していた大陸横断の旅客列車。 

 

(スーパーチーフ) 

 

ファッツ・ウォーラー (1904年5月21日~1943年12月15日)。ニューヨーク出身のジャズ・ピアニスト、オルガン、キーボード奏者、作曲家。代表曲に「エイント・ミスビヘイヴィン」、「ハニーサックル・ローズ」など。 

 

 (ファッツ・ウォーラー) 

 

ジェリー・ロール・モートン (1890年10月20日~1941年7月10日) ニューオーリンズ出身のラグタイムのピアニストとしてよく知られる。1915年の「ジェリー・ロール・ブルーズ」、「キング・ポーター・ストンプ」などが知られる。 

 

 (ジェリー・ロール・モートン) 

 

サッチモ=ルイス・アームストロング(日本ではルイ・アームストロングの表記が一般的)(1901年8月4日~1971年7月6日) ニューオーリンズ出身のトランペット奏者、作曲家、ヴォーカル。愛称、サッチモ。「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」が1967年に大ヒット。 

 

 (ルイ[ス]・アームストロング) 

 

コルトレーン=ジョン・コルトレーン (1926年9月23日~1967年7月17日)ノース・キャロライナ州出身のジャズ・サックス奏者。ビバップ、ハードバップ、モードなどからフリー・ジャズまで常に新しい波をクリエイトしてきた。マイルス・デイヴィス、セロニアス・モンクらとの共演も。 

 

 (ジョン・コルトレーン) 

 

SOUL SHADOWS Music Written by Joe Sample Lyrics by Will Jennings Performed by Crusaders Sung by Bill Withers 

 

San Francisco morning coming clear and cold 

Don't know if I'm waking or I'm dreaming 

Riding with Fats Waller on the Super Chief 

He said, musics real, the rest is seeming 

 

Oh, deep pain 

Feeling that won't go away 

There's the sound of his soul in the air 

I can hear it up there And I know he left those soul shadows On my mind, on my mind, on my mind 

 

Soul shadows on my mind On my mind, on my mind,

 Soul shadows on my mind On my mind, on my mind 

 

Standing by the window as a fog rolls in 

I swear I can hear a far-off music 

Jelly Roll is playing down in Storyville 

And Satchmo is wailing in Chicago 

You ought to heard 'em play 

Feelings that won't go away 

Left the sound of their souls in the air I hear out there and I know 

 

They left them soul shadows all on my mind On my mind, on my mind They left them soul shadows all on my mind On my mind, on my mind 

They left soul shadows on my mind They left them shadows on my mind They left them soul shadows on my mind ~~~~ 

 

19. 一枚のポスター。 

 

ポスター。 

 

パーカッション奏者として日々レコーディング・スタジオで仕事をしていたラルフ・マクドナルドがニューヨークのとあるスタジオでセッションをしていた時、その壁に一枚のポスターが貼ってあったのを見かけた。それは、カリブ海のふたつの島の観光宣伝ポスターだった。二島はそれほど経済的に裕福ではなく各島は観光宣伝予算もなかった。そこで地理的な関係から両島は手を組んで観光客を誘致しなければならなかったために、一枚のポスターで二つの島の宣伝をしていたのだ。 

 

 (トリニダッドとトバゴの環境客誘致ポスター) 

 

そして、そのポスターのコピーがしゃれていた。それが「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス・・・アンド・ユー」(我々二島だけで、あなたと)という言葉だった。このキャッチコピーにぴんと来たマクドナルドはすぐに1曲書き始めた。カリブ調の音を使い、「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」を男女の恋人たちに変えて、ラヴソングに仕立て上げようとした。いつも一緒にやっているベース奏者、ウィリアム・ソルターと曲の骨格を作った。歌詞の部分はざっと作り、タイトルは「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」にした。 

 

 (ラルフ・マクドナルド) 

 

さっそく、ラルフは親友のビル・ウィザースに連絡し、「こんど書いた曲をグローヴァー・ワシントンにやってもらおうと思ってるんだが、歌ってくれないか」と誘った。 

 

(グローヴァ―・ワシントン・ジュニア) 

 

ラフなデモ・テープを聴いたビルは、「わかったいいよ。でも、ちょっと歌詞を『ドレスアップ』してもいいかな」と答えた。どうやらビルの言葉使いのセンスとこの歌詞が少しばかり趣味が違ったようなのだ。

 

 ビルは「僕は言葉使いには『スノッブ』(気取ってる)なんでね。で、少し歌詞を変えた。たしか、『クリスタル・レインドロップス』のあたりは、僕が変えた。最初のワード(歌詞)がなんだったか覚えてないんだが、そこは変えたことを覚えている」と振り返る。 

 

「ただ、ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス(私たち二人)~~~」なんて歌は歌いたくなかったんだ」とビル。 

 

歌詞カードの中で、この「クリスタル・レインドロップス」はものすごく人を引き付けるキャッチ―なワードだ。これをビル・ウィザース本人のアイデアだったとは。ほかの歌詞はだいたい出来上がっていたというから、ひじょうにいいワード(単語)をここにいれたことになる。 

 

トラックは、カリブ風の音を出そうと、スチール・ドラムスをロバート・グリニッジに頼んだ。

 

グローヴァーはそれまでほとんどインストゥルメンタルだけでレコードを発表していたが、ここでビル・ウィザースをヴォーカルに起用した作品を録音することになる。 ビルによれば、グローヴァーに会ったのはレコーディングのときが初めてだという。ただし、それまでもちろん、グローヴァーのことは知っていた。ビルの「エイント・ノー・サンシャイン」などをいち早くカヴァーしていたのがグローヴァー・ワシントンその人だったからだ。 こうして、この曲は1980年10月にエレクトラ・レコードから発売されたグローヴァー・ワシントンの『ワインライト』というアルバムに7分23秒のヴァージョンが収められた。 

 

 (グローヴァ―・ワシントン・ジュニア『ワインライト』1980年) 

 

(明日に続く)

 

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